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7 月5日(東京)・7日(大阪)に公開コンサートが東京、大阪で開かれました。ダイジェスト版動画の作成しましたので、ぜひご覧ください。
エリアプラン シリーズ #6 「風に吹きまわされたり,もてあそばれたりすることなく」 アジア北地域会長会 スコット・D・ホワイティング会長
2017年 エリアプラン シリーズ  #1 「エリアの優先事項「福音に喜びを見いだす」 2017年に向けて─アジア北地域会長会 スコット・D・ホワイティング会長の年頭メッセージ
エリアプラン シリーズ #5 「イエス・キリストの福音に喜びを見いだす」 アジア北地域会長会第二顧問  チェ・ユーフワン長老
日本福岡神殿の田代浩三会長に家庭でどのように個人の啓示を受けてきたかをお伺いしました。
植物を通して癒しを与える園芸療法士として多くの人が憩える場所を作った細谷ゆみ姉妹の記事です。
聾者として生活し、教会員生活を続けていく中で井上姉妹が示した信仰とバイタリティーあふれる行動のヒューマンストーリーです。
東京広尾駅近くにある乳児院にシニア宣教師を中心とした家庭の夕べの一環として衣料他を寄贈しました。
今年、2016年夏、日本で第3回目となる青少年のためのプログラムfsy(for the strength of youth─若人の強さのために)が 開催されます。 fsyへの参加の準備となるメッセージをセミナリー・インスティテュートのディレクターの金城兄弟からいただきました。
2015年12月19日(土)、「ヘンデル メサイア」クリスマスコンサートが日本最大の敷地を擁する沖縄ワードにて開かれました。 64人から成る日米合同聖歌隊、17人から成るオーケストラ、4人のソリストによって演奏されたコンサートは約750人の観客を迎え大成功に終わりました。
FR活動の一環として藻岩ワードでは3時間プログラム終了後、若い男性・若い女性合同の聖歌隊による歌のプレゼントが行われました。 これは従来のFR活動ではなく子供たちの成長する姿を見てもらうという趣旨に基づくものです。
子供用パプテスマ招待状を使ってお友達をパプテスマに招待しましょう。  実際にこのバプテスマ招待状を使ってお友達やおばあちゃんを自分のバプテスマに招待した女の子のお話をお届けします
2015年9月9日、10日に北関東を通過した台風18号による記録的な大雨により大規模な河川の堤防の決壊、越水が起こりました。 この災害に対して複数のステークでヘルピングハンズの活動が計画・実行されました。
fsyが行われる目的を地域七十人の恩田長老にお伺いしました。
パイロットプロジェクトとしての総大会の日本手話通訳放送される
沖縄に最初に赴任した宣教師サム・K・島袋長老―日本とアジア北地域の聖徒に献身した生涯
2015年年 8 月2日,4 日に両日,山口地方部 宇部支部と広島ステーク高須ワードそれぞれで行われた中央若い男性会長のスティーブン・W・ オーウェン兄弟姉妹によるディボーショナルでのお話です。
2015年7月27日から8月8日にかけて山口県で第23回世界スカウトジャンボ リーが開催され、161か国、3万 4,000人あまりのスカウトと指導者が参加 しました。
破壊行為を伴う自閉症の二男を持つ木村御家族の葛藤と信仰の日々の記録です。
2015年5月15日、建築中の札幌神殿の尖塔にモロナイ像が設置された。 そのモロナイ像を吊り上げたのは札幌神殿建築現場作業員であり教会員である太田雅幸兄弟であった。これは太田兄弟がクレーンオペレーターとして長年の願いを叶えたヒューマンヒストリーである。
先月に引き続き、元地域七十人・楠目克美長老のインタビューをお送りします。 自らの弱点を知り謙遜になり、主に願い求め、贖いの力を受けることにより弱さを強さに変え、心を変えていくことが真の成長、真の改心の過程であると語られました。
リアホナライターコンクール一般部門応募作品です。奨励賞受賞。
信仰生活とは心の変化の連続です。 地域七十人として6年間、その任に就かれていた楠目長老が召しを通して学んだ原則や経験をお伺いしました。
みくに国際学園開校
アジア最大級の集会所
リアホナライターコンクールの応募作品です。 お孫さんがおばあちゃんの経験を書いてくれました。
リアホナライターコンクールの応募作品です。 什分の一の戒めは,困難な時の経済的な保障や生活の安定にとどまらず,いかなる状況にあっても霊に平安を与えるという証が記されています。  
十二使徒のネルソン長老,七十人のエバンズ長老を迎えてのディボーショナル
横浜ステーク川崎ワードの教会堂の脇に幅2〜3メートルの小さな川が流れている。名を「二ヶ領用水」という。多摩川を水源とする全長約32キロの人工用水路で,徳川家康が命じて作らせ1611年に完成した。
2月20日と22日,十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老,七十人会長会のロナルド・A・ラズバンド長老,ゲーリー・E・スティーブンソン管理ビショップの一行は名古屋と東京で一般会員向けのディボーショナルを行いました。日本に住む聖徒へ向けた預言者のメッセージを抜粋してお伝えします。
この2 月中旬,アジア北地域のエリアレビュー(視察)のため,十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老が,七十人会長会のロナルド・A・ラズバンド長老またゲーリー・E・スティーブンソン管理ビショップとともに来日した。
わたしは2014年の2月に,千葉ステークの東金ワードからシンガポール伝道部に召されました。わたしの両親はともに帰還宣教師であり,小さい頃から伝道のすばらしさについて聞いて育ってきたため,大きくなったら伝道に出たいと思っていました。
2014年12月20日(土),長野地方部松本支部の教会堂で,LDS松本クワイアのクリスマスコンサートが行われた。2012年4月に結成したLDS松本クワイアは,8か月後にクリスマスコンサートを,以後半年ごとにコンサートを開催してきた。
横浜ステーク山手ワードは観光地( 1850 年代の横浜開港の際に開かれた山手外国人居留地)の真ん中に位置する。周囲には往時をしのばせる洋館群やカトリック教会,プロテスタントの教会,外人墓地などの観光スポットが連なる。
英語が母国語の人が聞くと,ミニスターというのは「霊的に養う」とか「教える」という霊的,宗教的なニュアンスがあります。名詞のMinister は「牧師」,カトリックなら「総長」です。
「イエスはシモン・ペテロに言われた,『ヨハネの子シモンよ,あなたは……わたしを愛するか』。ペテロは言った,『主よ,そうです。わたしがあなたを愛することは,あなたがご存じです』。
東京ステーク中野ワードに独身会員を対象としたグループが組織された。従来,集会を行ってきた中野ワードは午前中に集会を行い,独身会員グループは午後に集会を行う。
横浜ステーク山手ワードは観光地( 1850 年代の横浜開港の際に開かれた山手外国人居留地)の真ん中に位置する。周囲には往時をしのばせる洋館群やカトリック教会,プロテスタントの教会,外人墓地などの観光スポットが連なる。
11年前,当時小学校高学年であった昴くん※の中には,二つの疑問が芽生えていた。
新春の風物詩として知られる箱根駅伝。毎年,1 月2 日から3 日にかけて行われる,関東地区選出20 大学対抗の駅伝競技会である。
わたしには心の奥に大切にしまっている言葉があります。「無償の愛」です。
毎晩9 時になると,大阪ステーク阿倍野ワードの坂本家ではテレビを消し,各々の仕事や勉強の手を止めて,両親と三女の早彩姉妹の家族3 人がリビングに集まる。
アジア北地域会長会からの提案を受け,去る10 月25 日にさいたまステークで「献血プロジェクト」が行われた。日本赤十字社との協力の下,浦和のさいたまステークセンターに献血車を招き,教会の建物を献血会場として活用してもらう。
2014 年9月4日午前2 時10分,福岡神殿会長の金城正之兄弟が福岡市内の病院で家族に見守られながら逝去された。享年69 ,神殿会長としての召し半ばでのことだった。
8月16日土曜日,岡山県東部から京都府にかけての一部の地域で,周囲が見えなくなるほどの豪雨が通過し,京都府福知山市で大きな被害をもたらした。
東京南伝道部では,扇形ファミリーツリーのちらしと『わたしの家族』の冊子を使って,家族歴史を切り口にした伝道を伝道部全体で積極的に行っている。
去る10月18日(土),東京の武蔵野ステークセンター(吉祥寺)にてデジタルミッション訓練集会が開かれた。この集会は東京を皮切りに, 19日(日)には千葉ステークセンター,21 日(火)には名古屋インスティテュートハウス,22日(水)には大阪北ステークセンター(茨木)と日本各地で開催され,続けて韓国の各地でも開催された。
慎也少年が中学生のとき,仙台に十二使徒のL・トム・ペリー長老が訪問した。ディボーショナルが終わった後,会員たちが列になってペリーご夫妻と握手する機会が設けられた。
自転車が走る原理や,その構造を教科書で幾ら学んだとしても,実際に乗って練習しなければ自転車を乗りこなせるようにはなりません。水泳やダンスを習うときも同じです。それは,良い家族関係を築くときにも言えることでしょう。
東日本大震災(2011年3月11日)被災から4回目の夏,宮城県漁業協同組合の石巻市荻浜漁港へ教会から,漁船上架設備が寄贈された。
山下太郎兄弟は今,鎌ヶ谷ワードで,伝道主任と福音の基礎クラスの教師を兼任している。この日の基礎クラスのレッスンのテーマは「祈り」だ。
水曜日の午後7時。仙台ステーク上杉ワードの多目的ホールに女性の声が響き渡る。「グッド イブニング エブリワン」─和やかな雰囲気の中,一言一言に歓声が上がり拍手が沸き起こる。
東京ステークが主催する「家族歴史フェア」が2014 年7月19日,中野の東京ステークセンターで日本で初めて開催された。
末日聖徒イエス・キリスト教会のより多くの宣教師は今後,アメリカやカナダ,日本,西ヨーロッパにおいて福音を宣のべ伝える際にデジタル機器を使うことになる。
2014 年7 月2 日から5 日にかけて東京ビッグサイトで開催された,第21 回東京国際ブックフェアに,アジア北地域広報部が3 回目の出展をした。
「傾聴という言葉があります。耳を傾けるという意味なんですけれど,それだけでもとても気が楽になる方もいっぱいいらっしゃるんだと気がつきました。」
今年6 月11 日,「NHK ニュースおはよう日本」で,「反転授業」を実践している山梨大学工学部の取り組みとその成果が放送された。※ 1 
去る7 月12 日,東京・渋谷ワード(渋谷区桜丘町28-8)の3 階に東京自立支援センターが開設され,テープカットが行われた。
アジア北地域に間もなく開設される「自立支援センター」の準備のため,この5月19日に東京で訓練集会が開かれた。日本,韓国,グアムそれぞれの国の自立支援センターマネージャーと職員,奉仕宣教師が一堂に会し,七十人第一定員会のロバート・C・ゲイ長老をはじめ,ソルトレークの教会本部職員数人,地域自立支援サービスのダーウィン・W・ハルヴォーソン部長らがトレーニングを実施した。
武蔵野ステークセンターでのクック長老の話は,長老がまだ20代だった1960 年代,夫婦でカリフォルニア州湾岸地区に住んでいた頃のことから始まる。「とても美しい地区です。すばらしい人々がいます。
異なった宗教間での対話や交流を目的としたイベントが欧米では盛んに行われ始めている。インターフェイス(Interfaith─信仰を越えた)という言葉も頻繁に使われるようになり,信仰や信条についての違いを乗り越えて,互いに歩み寄ろうとする機運が高まっている。
クリストファーソン姉妹は,夫を亡くしたやもめが預言者エリシャを訪ねてきた話を紹介した。やもめには負債があったが支払う力がなかったため,債主が来て子供を奴隷にしようとしていた。
ここしばらくでは珍しい,と地元の会員が言う晴天に恵まれた5 月28 日の札幌。神殿が建設されている札幌市厚別区大谷地西1 丁目の広大な現場に,風は爽やかながら夏を思わせる日差しが照りつける。
クック長老は5 月28 日,立正佼成会の川端理事長への表敬訪問を行った。教会の指導者による重要なインターフェイスの活動※ 1 で,中央幹部が各地を訪問する際には可能なかぎり,他の宗教団体指導者との会談が計画されることになっている。
「あなたにとって障がいとは?」とのわたしの問いかけに,聴覚に障がいのある大学生の友子さんは「他の人と関わるときに,理解してくれる人とは障がいはなく,知らない人との間には障がいがあると感じます」と答えてくれました。
4月に開催された総大会に先立つ数日前,地域七十人を含む全ての七十人定員会の長老たちは,広報に関する特別な訓練を十二使徒から受けた。
バートン姉妹は,一緒に立って英語の歌を歌いましょう,と聴衆に促す。歌を教えて皆で歌った後,「これは,約束をする前にその重要性について考えてください,そして約束をするときにその約束を心に刻んでください,という意味の歌詞です」と説明し,幼少時の経験を語り始めた。
「今日は一つの招きについてお話しします。わたしたちはいろいろな招待状を受け取る機会がありますが,例えば結婚式の招待を受けることがあります。
わたしたちの人間関係や社会における慈愛の本質についてすばらしい真理を思い出させてくれる,初等協会の歌があります。「愛のあるところ 神様います。 
「不自由だけど(生活が)安定した方がよいという方,手を挙げてください。(全体の6割程度が挙手)─その気持ちはよく分かります。では逆に,不安定だけど自由がよいという方は?(4割程度が挙手)」
八ヶ岳山麓の美しく豊かな自然に囲まれた長野県茅野市。田口雅規兄弟が活発に集う長野地方部諏訪支部は諏訪湖から車で10分ほどの所にある。
『リアホナ』2014年1月号の中でわたしたちは,全ての会員がそれぞれの場所で立ち上がり,主の神聖な福祉の業に携わるようにという,現代の預言者の招きに応えるよう呼びかけました。
精神疾患について理解が増してくると,それに苦しんでいる人たちに対して,愛と思いやりをもって手を差し伸べることができるようになります。
─丈夫な人には医者はいらない……わたしが好むのは,あわれみであって,いけにえではない(マタイ9:12) 
来る 2014年 3月 28日 に は,教会歴史上初めて中央女性集会が開かれる。教会は,年に1度の成人女性の集会と若い女性の集会を交互に開く代わりに,8 歳以上の女性を対象とする集会を半年に1度合同で開催することを決定した。
福岡ステークでは,カンボジアフレンド協会 ※1 を通じ,2001年から13年間継続してカンボジアの小・中学生に文房具キットを贈っている。
武蔵野ステークでは,東北被災地へのヘルピングハンズ活動を継続している。昨年暮れの12 月 7 日 ( 土 ),福島県伊達郡川俣町の農村広場仮設住宅に暮らしている住民約200軒へ1年ぶり5回目の訪問をした。
2013年9月21日。海を渡って宣教師が佐渡島のアパートに到着した。特に珍しいことではないが,佐渡島の教会員にとっては胸躍る特別な日だった。祈り,断食をし,待ち焦がれていた願いがやっと成就された日だったからである。
「高校に入ってから周りに明るい友達が増えて,中学校のころは真面目に過ごしていたので,遊びたい気持ちが出てきて。膳所の近くのパルコとかマクドナルドで何時間もおしゃべりして帰ったりすることが多かったですね。」
2013年12月 21日(土)から 23日(月) の 3 日間,横浜ステーク山手ワードでオープンハウスが開催され,1,705人の訪問者があった。
Agency(名詞)という英語は,ラテン語のagere(動詞)に由来します。agereはまさに「行う」という意味です。agencyの名詞としての意味は,「力を発揮するその様子」または,「行動している状態」ということなんです。
2012 年の半期総大会でモンソン大管長は,宣教師として働くための年齢の引き下げについて発表した。当時,世界中で奉仕する宣教師の数は約5万8,000人だったが,現在では約8万人の宣教師が各国で奉仕している。
普天間ワードの上原家族はわたしたち家族をいつも助けてくださいました。自分が多くの試練でだめになりそうなとき,小さな子供たちを預け( めったにこういうことはしないそうですが) 夫婦で家を訪問してくれました。
教会員へ(福音を教えること),新会員へ(改宗者の定着),教会を知らない人へ(会員伝道活動),教会から足が遠のいている人へ(レスキュー),霊界にいる先祖へ(神殿・家族歴史活動)─預言者は,様々な人への 「救いの業」に携わるよう会員に勧告していますが,行うことはただ一つ,「すべての人々を,イエスのもとに来て救われるよう『招く』こと」※1です。
苦難の中でのかじ取りモルモン書に記された様々な出来事の中で,専制的な首謀者アマリキヤと,後に彼の弟アモロンに扇動されたレーマン人とニーファイ人との間に起きた11年におよぶ戦いの記録ほど多くのページが割かれている一連の出来事はほかにありません。
「救いの業」の衛星放送では,十二使徒のL・トム・ペリー長老が心躍るような発表をした。すなわち─
1月2日( 土 ),東京都武蔵野市の末日聖徒イエス・キリスト教会 吉祥寺教会堂にて, ブリガム・ヤング大学ハワイ校第15 回全国高校生英語スピーチコンテスト全国大会が開催された。
どの文化であれ,暦が変わって新年になると,人生に変化をもたらす決心の機会,つまり,弱点を克服し,才能と長所を伸ばし,何であれ選んだ分野において成果を上げる機会が訪れると考えられています。
森 幸春氏のもとへ,徳永悦世姉妹が「自転車の走り方を教えてほしい」と言ってきたのは5年ほど前のことだった。「そのころ彼女はトライアスロンをやっていて……トライアスロンの自転車はちょっと特殊で,(乗りこなすのが)非常に難しいんですよ。」
9月21 日(土)から23 日(月・祝)の3 日間,福岡ステーク主催で全国手話交流会が開催された。これまでの会(ろう者の集い)はおもに関東方面で行われており,今回が福岡での初めての開催となった。
鹿児島地方部宮崎支部の後藤高江姉妹は,19歳から約50年間,胆道ジスキネジーと膠原病(結節性動脈周囲炎)による痛みから一時も完全に解放されることなく生活してきた。
一年を通して,わたしたちは非常事態への備えと対応,自立,貧しい人や助けを必要とする人への支援に関する教義と実際の応用方法について考えてきました。
火曜日の朝,ブラッド・ウィルコックス兄弟が神戸セッションを訪れた。「Are you 元気?!」ウィルコックス兄弟は非常にエネルギッシュな口調で青少年に呼びかける。
「今日はわたしのひいひいおばあさん(高祖母)についてお話ししたいと思います」と家族歴史部のアン・タイソン姉妹は切り出した。「1850年,スウェーデンで生まれました。クリスティーナ・マットソン・ニールソンと言います。
神戸セッション2日目,火曜日の午後─青少年たちは音楽プログラムの練習かバラエティーショーの予選,または自由時間を思い思いに過ごしている
木曜日─smyc4日目の夜,消灯時間の10時はもう間近。とあるカンパニーの兄弟たちの“振り返りの時間”にて。二段ベッドが立ち並ぶ宿泊棟の一室は喧噪と言ってもいいほどのにぎやかさ。風呂上がりで就寝前の若い男性たちは楽な服装でリラックスしている。
「この場所は奇跡です。」青少年の到着を玄関で待ちながら地域七十人の田代浩三長老は言った。smyc福岡セッションは,長崎県佐世保市の烏帽子岳という山の中腹にある『長崎県立佐世保青少年の天地』で行われる。
ブラッド・ウィルコックス兄弟はブリガム・ヤング大学(BYU)教育学部教授である。長い実績を持つefyのプログラムをBYU以外の場所でsmycとして開催するための翻案を何年も前から手がけてきた。
これまでのところ,わたしたちは,だれもが慰めや支えを必要としていること,神の子供たちの必要は多岐にわたり,その必要は人によって異なっていること,またすべての人が苦しんでいる人を見つけ,支援するという偉大な業に取り組むことができ,また取り組むべきであることを確認しました。
ボーイスカウト日本連盟主催による第16回日本ジャンボリー/第30回アジア太平洋地域スカウトジャンボリーが,2013 年7月31日から8月8日まで山口県阿知須・きらら浜にて,参加国52か国,スカウト・指導者1万4,000人を集めて開催された。
2013年1月から始まった青少年のための新しいカリキュラム「わたしに従ってきなさい」の「学習リソース」(「教師用手引き」または「教師用ガイド」ではないことに注意)の冊子が配られたとき,青少年の担当教師には困惑した人が少なくなかった。
自立に関する話し合いは,わたしたちを愛し,助けてくださる天の御父のようになるために,自立を目指して懸命に努力するという霊的なメッセージで終わりました。
Endureとは,まさに何かを耐えることですが,もう一つの一般的な意味は,「残る,あり続ける」。フランス語の古語にもeエンデュレルndurerという言葉があり, 「とどまる,耐える,許容する,維持する」などの意味があります。
─社交的改宗(social conversion)という言葉があります。キリスト教の文化的背景のない日本では,多くの人が,社交的な方法で最初に教会を知ります。
2010年10月の総大会で,トーマス・S・モンソン大管長は経験豊かな教会員に次のようなメッセージを伝えました。「そして熟年の兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは熟年の夫婦をもっと大勢必要としています。
2013年7月3日から6日にかけて東京ビッグサイトで開催された第20回東京国際ブックフェアに,教会広報部が2回目の出展をした。昨年に引き続き『モルモン書─イエス・キリストについてのもう一つの証』をテーマに,昨年の2倍の面積(4m×5.5m)のブースを準備して臨んだ。
過去2か月にわたって,聖文と教会指導者の模範から自立に関する記事を連載してきました。このシリーズ最後となる今回は,情緒的および霊的な自立を強化するうえで役立つ原則と実践例に焦点を当てます。
Conversionという言葉は,convert という動詞の名詞形ですけど,ラテン系の言葉でcon というのは大体,引っくり返すとか反対とか,そういう意味になるんです。convertというと,前の状態から,まったく違うものになる,何かががらっと変わるようなイメージですね。
御手洗岩男兄弟は身体的には障碍を持っていても,お祈りも証もしますし,霊的には非常に高貴な方です。大事なことは,神殿で儀式を受けなかったらその霊は強くならないということです。
神は,わたしたちに幾つかの戒めを与えてくださいました。この戒めはわたしたちが幸せな生活を送ることができるように,愛ある天のお父様がわたしたちに与えてくださいました。
中嶋晃大長老は2012年11月に帰還した宣教師である。ただ彼は,自転車に乗ることも街角で声をかけることもない。それでも中嶋長老は同僚たちから頼りにされた。
◉ 今年のアジア北地域のテーマである「真の改心」(true conversion)について,地域会長のマイケル・T・リングウッド長老が語ります。改心とは何か,どのようにして成し遂げるのか─ 前後編でお届けします。(編集室)
2013年6月11日,アジア北地域会長会と教会広報部は,様々な宗教関係者・学術研究関係者を招いて30人ほどの夕食会を催した。ゲストの方々と教会はこれまで,多くの機会を通じて良い関係を築いてきた。
間もなく80歳を迎えようとしている御手洗岩男兄弟は,1933年12月,大分県に生まれた。勉強熱心な岩男兄弟は苦学して立命館大学の理工学部を卒業後,運輸省(現在の国土交通省)に入省する。
救い主は教える際に,良いサマリヤ人のたとえを使われました。総大会に出席すると,預言者やそのほかの指導者が自立の原則について現実的な例を分かち合っているのを聞きます。
愛知県は,東日本大震災以降,東海,南海,東南海地震が心配される地域であり,太平洋沿岸の津波の被害想定もされている。その中にあって,緊急時の備えを地域住民の方々に説いている会員がいる。
秋山広子姉妹は,脊髄性筋萎縮症と先天性ミオパチー※1 という二つの難病を患っている。体幹と四肢の筋力低下と筋萎縮,筋緊張の低下は進行性で,徐々に食事や呼吸にも影響を与えるという。
細い白地の布が竹ひごでパンと張られ床に広がっていた。その表面には鉛筆の手描きでブドウの葉が何枚も描かれている。「こうやって描いていくんです」と,ひざをついて布地を触る二人の少女が顔を上げた。
第1 四半期の福祉強調事項として,2月から4月までは,非常事態への備えと対応について焦点を当ててきました。わたしたちは,生活を送る際に起こりうる出来事に対し,備えをしなければなりません。
3月2日(土),東京・吉祥寺の武蔵野ステークセンターにカリスターご夫妻を迎えてディボーショナルが開かれた。
東日本大震災から2年の節目を翌日に控えた2013年3月10日の安息日,アジア北地域のマイケル・T・リングウッド会長は福島ワードを訪問した。
2013年2月28日,仙台地区特別集会が仙台ステーク上杉ワードで開催され,管理ビショップリック第二顧問のディーン・M・デービーズビショップ,アジア北地域会長会第一顧問で七十人の山下和彦長老,田鶴子姉妹が出席した。
十二使徒定員会会員のラッセル・M・ネルソン長老は,2013年のエリアレビュー(地域の視察と訪問)のための来日に伴い3月1日に外務省と法務省を訪れ,岸田文雄 外務大臣と,前自由民主党総裁の谷垣禎一法務大臣を表敬訪問した。
冒頭のニュース記事に記したようにこの2月下旬から,十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン長老ご夫妻,七十人会長会のタッド・R・カリスター長老ご夫妻,管理ビショップリック第二顧問のディーン・M・デービーズビショップご夫妻がアジア北地域を訪れました。
2月初旬,七十人のアラン・F・パッカー長老が,FamilySearchTMCEOのロックウッド兄弟,七十人第五定員会のブリムホール長老とともに来日した。2月8日,新たなオンライン系図サイト「ファミリーツリー」を若い世代に紹介するファイヤサイドが東京神殿別館で開かれた。
災害が起きた後に最初にすることは落ち着くことです。パニックを起こさせないように心がけます。全員が無事かどうか必ず確認します。周囲を見回して,火事,ガス爆発,がれきの落下,切れた電線への接触などの二次災害の恐れがないかどうか確認します。
「次はいつ来るの?」仮設住宅の子供たちは帰ろうとする本多隆治兄弟にこう投げかける。これは本多兄弟にとっての“マジックワード”(魔法の言葉)だ。「被災地の人にとって,訪れるボランティアは『通り過ぎて行く人』なんですね。
定員会(と補助組織)の兄弟(姉妹)愛を深めるということもまったく同じなんですよ。定員会の中で大切なことは,どうしたらこの家族が強められるように助けられるか,どうしたら家長を助けて家族一人一人がよく御霊を感じられるように支援できるか,です。
2013年1月7日(月),宮城県牡鹿郡女川町の高台にある仮設復興商店街「きぼうのかね商店街」の一角に,地元住民の方々への職業紹介を業務とする「ワークリンク・女川センター」が開設された。
七里隆幸兄弟は阪神淡路大震災で凄惨な体験をされました。心に受けた衝撃も強く,被災直後はそれを言葉にすることができませんでした。東日本大震災後の今,自分の経験が役に立つなら,との霊的な促しを感じ,初めて寄稿されました。(編集室)
備えの第一歩は自立の向上を目指して進むことです。世の中には危機的な状況に陥る家族がありますが,そのような状況の多くは,福音を実践し,愛と赦しの心を深め,親子や兄弟,夫婦の関係を強めることにより回避しやすくなります。
あるワードの独身成人アドバイザーとして大森夫妻が召されたのは2010年の暮れのこと,夫婦でともに働く責任に召されるのは初めてだった。
2012年12月24日午後2時5分,戦後日本の教会歴史とともに歩んだ鈴木正三兄弟が神奈川県相模原市の自宅で家族に囲まれながら逝去された。享年81であった。
2011年3月11日の東日本大震災では,双葉町は震度6強の地震を観測した。翌日からの福島第一原発の事故の影響により3月19日に避難指示が出されると,双葉町の住民たちは取る物も取り敢えず,放射能から逃れるため町を飛び出した。
2012年12月22日,昨晩からの冷たい雨が昼過ぎまで降り続いていた。千葉ステーク千葉ワード,稲毛ワードの合同クリスマス会が開かれたこの日,稲毛ワード扶助協会会長の木下美知子姉妹は目を輝かせていた。
人生は喜びにあふれた幸せなときがある反面,悩み,苦しみ,恐怖などにおびえるときもあります。時として,人生は試しの時と考えることによってそうした苦しい時期を受け入れることができます。
預言者ジョセフ・スミスを通して主は「シオンは我々の神の都であり」1 シオンは「心の清い者」2 であると教えられました。
福音が韓国へ最初に伝えられたのは,朝鮮戦争で国が混乱していた1950年代であった。1955年にジョセフ・フィールディング・スミスが韓国で奉献の祈りをささげ,1956年になって東京の北部極東伝道部から最初の宣教師たちが赴任した。
家族を物質的に強める方法をわたしたちはよく知っています。生活費を稼いできて食べさせて,必要な学資を出してあげて,学校に行かせて……福祉の原則に関するすべてを家族に与えなければなりません。
取材が始まるなり「これを見てください」と1枚の写真を示す。昔の写真を大きく引き伸ばして額に収めたもの─尖塔の上にはラッパを吹く金色の像。
新年おめでとうございます。 2013 年度のアジア北地域のテーマは「真の改心により真の成長をなす」ことです。
この秋の総大会,2012年10月6日,土曜午前の部会で壇上に立ったトーマス・S・モンソン大管長はこう述べた
大型トラクターや自動コンバインの時代が来るまで,農民は耕作や,植え付け,刈り取りのほとんどを自分の手で行っていました。このきつい仕事のために牛馬を利用できる人もいました。
十二使徒や中央幹部の皆さんはよく,家族を大切にしなさい,と言われます。この教会ほど家族を大切にすることを教えている教会はないだろうと思います。
塩夫妻は,現在息子家族と一緒に千葉県に住んでいる。夫である英雄兄弟は,19 5 0年代前半に3世代にわたって改宗した,宮城県仙台市における開拓者一家の一員である。
今や国民の1,000万人以上が罹患していると言われている糖尿病。「初めのうちは,痛くもかゆくもなかった。」横浜ステーク横須賀支部の木村民雄兄弟はこう振り返る。
これまで教会は,ニューファミリーサーチと呼ばれる,インターネットを通じて家族歴史を探求するウェブサイトを公開してきた。しかしながら日本では,日本特有の社会的事情により,各ユニットに割り当てられた一定の人数の会員のみにニューファミリーサーチへのアクセス権が与えられてきた。
わたしたちは人生で様々な選択に直面します。時間の使い方,お金の使い道,またそのお金を稼ぐ方法,どの才能や賜物を伸ばすのかまたは顧みないでおくのか,霊的な事柄とこの世的な事柄のどちらを求めるかなどを選択します。
去る8月9日に教会は,宮城県本吉郡南三陸町の南三陸森林組合への林業支援として自走式森林伐採運搬機(ハーベスタ)を寄贈し,寄贈式典が行われた。
「わたしにとってダンスは生活の一部です。曲が流れると踊りたくなります」と言う広島ステーク徳山ワード(山口県)の藤井優花姉妹は,まだ表情にあどけなさの残る高校1年生。
東日本大震災が起きた2011年3月11日を境に,仙台伝道部の宣教師たちは大きな変化を余儀なくされた。宣教師全員の無事が確認されてほどない3月16日,大管長会は仙台伝道部と東京伝道部の宣教師全員の,全国各地への転任を決定する。
人は皆,神の子ですから,生まれて来るときは皆,神の良い特質を持って来ているんです。でもこの地上には,(天上の大会議でルシフェルを支持した)3分の1の悪霊が住んでいるわけです。
新しい教会の公式ウェブサイトがこのたび公開された。そこでは,福音生活に役立つ数多くの情報や機能を日本語で楽しむことができる。聖典,教会機関誌,安息日の集会で使われるテキスト類などを,インターネットを通じていつでも,どこでも参照できる。
神は,男と女を創造されてからこうお命じになりました。「生めよ,ふえよ,地に満ちよ,地を従わせよ。また海の魚と,空の鳥と,地に動くすべての生き物とを治めよ。」(創世1 :28 )
「今から歌うのは花っていう歌です。この世界もわたしたちも神様の創造物なんですけど,ほんとうにきれいだなと思って作った歌です。」
宮城県気仙沼市の気仙沼湾に,大島という離島がある。離島とはいえその大きさは9km2,東北地方最大級の有人島である。昨年の3月11日以前,島の人口は約3, 400人だった。
2012年8月4日(土),東日本大震災復興支援として教会が提供する職業支援センター「ワークリンク・久慈」が岩手県久慈市に開設され,開所式が行われた。
戦後日本の教会の発展に大きく寄与し足跡を残したドゥエイン・N・アンダーセン兄弟が,2 012 年8月13日午前9 時3 0 分に米国ユタ州プロボにて逝去された。享年91。葬儀は8月18日,プリーザントビュー第4ワードにて行われた
古川盛悦兄弟は刑務官である。昨年春に定年を迎え,今は再任用されて,秋田県横手市にある秋田刑務所横手拘置支所の支所長を務めている。
先月号掲載のスティーブンス姉妹のメッセージに続き,5月20日 ,中央若い女性会長のダルトン姉妹より語られた,青少年と親世代へのメッセージを要約してお伝えします。(編集室)
昨年は日本中の,また世界中の多くの人にとって,真の「ボランティア」の意味をより深く理解する特別な機会となりました。日本の東北における大災害の後,多くの人が時間と才能を使って地域を訪問したり,様々な支援や奉仕を提供したりしてボランティアに参加しました。
2011年秋の総大会で,十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は家族歴史について話した。1836年4月3日,カートランド神殿に預言者エリヤが現れ,先祖と子孫を結び固める神権の鍵を回復したことを振り返り,「エリヤの霊は教会員と教会員でない人の双方に影響を与えています。
東京湾岸にある国際展示場(東京ビッグサイト)では毎年,日本最大の出版業界の展示会,東京国際ブックフェアが開かれる。今年も7月5日から8日までの4日間にわたって開催された同展示会に,教会が初めて出展した。
一つの重要なポイントは,人を愛するなら,神様が人に与えられている選択の自由(Agency)というものをわたしたちは皆,尊重しなければならないということです。
2012年6月24日,戦後の教会の開拓者である今井一男兄弟が横浜の病院で逝去された。享年82であった。
日曜学校には神殿・家族歴史コースがあり,長町ワードのそれは4回の教義クラスと3回の実技クラスで構成されている。教義クラスでは家族歴史活動の霊的な意味を深く知る。
長町ワードでは,よく考え抜かれた,会員への家族歴史プログラムを用意している。完全予約制,青少年や成人会員が申し込んだ時間と場所で,家族歴史相談員らがマンツーマンでニューファミリーサーチの操作や入力手順を教えるというものだ。
わたしたちが家族や教会にあって自立し,より霊的に強くなるために一致はとても大切です。家庭であっても,3人の会長会,30人の支部,あるいは300人のワードであっても,天の御父と一致し,イエス・キリストと一致し,周りの人々と一致することにより,わたしたちの霊性は高まります。
去る2012年5月17日,石巻市の宮城県漁協表浜支所にて漁業復興支援物資の贈呈式が行われた。内訳は,漁船陸揚げ用台車6台,高圧洗浄機3台,プレハブ倉庫3棟,簡易トイレ4台,2tトラック1台,2.5tフォークリフト2台とパケット,パソコン,浮標灯,空調設備などである。
2012年4月21日,東京,広尾にある教会の東京サービスセンターを,独立行政法人 国際協力機構(JICA)の関係者一行22人が訪れた。
2012年5月下旬,中央初等協会会長会第一顧問のジーン・A・スティーブンス姉妹と,中央若い女性会長のイレイン・S・ダルトン姉妹が来日しました。
2012年6月15日,アジア北地域会長会第一顧問の山下和彦長老をはじめとする教会の代表者が岩手県庁舎を訪れ,岩手県の達増 拓也知事と会談した。
今日の教会福祉計画は1936年に導入されました。当時,福祉計画の第一の目的が次のように述べられています。「忌まわしい怠惰を打破し,施しのもたらす悪弊を除去し,独立心,勤勉,倹約,自尊心を再びわたしたちの間に確立する体制を築くことである。
2012年4月5日,宮城県漁業協同組合七ヶ浜支所に,教会が提供した漁業用砕氷製造機と冷凍・冷蔵庫,荷捌き所が落成し,寄贈式典が行われた。
この(福音の)教えと勧告というのはすべて,父なる神様とイエス・キリスト御二方の愛から来ているものですよね。ですからこの慈愛をわたしたち指導者は皆,身に付ける必要があります。
わたしたちの人生には予期せぬ出来事が待ち受けていることがある。突然襲ってくる堪え難い試練をあなたはどう切り抜けるだろうか。
1945年5月の太平洋戦争末期,弱冠18歳の末日聖徒の兵士ニールは沖縄戦を戦っていた。砲弾飛び交う激戦地となった那覇の首里戦線,その丘でニールは主に祈りをささげ,「もし命が助けられ,本国に帰ることができたときには,主のみ業のために,すべてを主にささげます」※1 と約束した。
教会福祉計画の目的の一つは,教会員の自立を助けることです。手引きはこう教えています。「自立とは,自分自身と家族の生活における霊的・物質的な必要を満たす能力であり,決意であり,努力である。
2012年2月24日,十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老ご夫妻が仙台ステークセンターを訪れ,一般会員との集会に臨みました。
七十人 青柳弘一長老 生活の中心にイエス・キリストがおられるすべてのことの中に神の手を認めない者と,神の戒めに従わない者のほかに,人はどのよう なことについても神を怒らせることはない〔。〕(教義と聖約 59:21)
十二使徒定員会会員のダリン・H・オークス長老と七十人定員会会長会のドナルド・L・ホールストロム長老が2月18日に日本を訪問し,26日まで滞在した。
2012年1月21日(土),暦では1年中でいちばん寒さが厳しいと言われる「大寒」である。東京の気温は3.4℃,前日からの雪混じりのみぞれが朝から降り続いている。
與座宏章兄弟は,沖縄尚学高等学校と附属中学校の筆頭教頭を務めている。沖縄尚学は,2度甲子園で優勝している野球部をはじめとするスポーツの強豪校であり,また文武両面での名門校として知られる。
わたしたちの物質的な生活を考えるとき,資源は限られているのに必要と欲求は限りなくあると多くの人は言うでしょう。人口増加にあって,世界も同じような状態です。
アメリカ合衆国大統領選挙の候補者のニュースに関連して,米国では末日聖徒イエス・キリスト教会に関する報道が増えてきている。また,日本においても,テレビの特集番組や新聞報道でも教会名が採り上げられる機会が多くなっている。
わたしは日本と韓国の国々を祝福します。また,宣教師が働くこの地域にある他の島々を祝福します。
3.11 東日本大震災の大惨事から,早くも1年を迎えようとしています。わたしたちは,この恐ろしく,悲しい経験を決して忘れることができません。
2011年の暮れも押し迫った12月29日(木),札幌市厚別区の札幌ステークセンターにて,札幌,札幌西,旭川の3ステークと札幌伝道部の合同主催による第1回メサイアコンサートが開かれた。
静かな奉仕
1975年3月,原岡和樹兄弟と桂子姉妹がハワイ神殿へ旅立ったとき,長男の善行兄弟は2歳半だった。1ドルが360円の時代,国外へ持ち出しできるのは500ドルまで。
イエス・キリストは,最も大切な戒めは何ですかと質問されたときに,こう話されました。「心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ」。
19年前の1993年3月,郡山市の小室正幸,悦子ご夫妻のもとに初めて赤ちゃんが生まれた。祝福文に記された子供を授けてくださるよう, 結婚後18年間祈り続けた末のこと。
天の御父はわたしたちを地上に送るときに,わたしたちがこの世においても永遠にわたっても実りある人生を送れるよう,必要なものをすべて与えてくださいました。
アジア北地域会長会の青柳弘一長老は,本誌のインタビューにこたえ,この教会を象徴する真珠と宝石箱のたとえ(右下参照)から話を始めた。
石巻市で独り暮らしをしていた義母のもとに近い,東松島市へわたしたちが引っ越したのは4年前です。海や川が近く,春は桜やアカシアが咲き,冬にはいろいろな渡り鳥が来るなど,自然に恵まれて散歩をするのが楽しみでした。
福岡県福岡市早良区には「能古島」という離島がある。島へ渡る橋はなく,行き来する手段は船だ。渡航時間は約10分。始発は朝5時で1時間に1,2便が往復している。渡邊楠子姉妹はそこに住む中学3年生。今年の4月からセミナリーが始まった。
トーマス・S・モンソン大管長は2008年10月の総大会で,問題や変化,落胆に遭遇するとしても,「人生の旅路に喜びを見いだ」さなければならないと会員たちに語りかけました。
わたしたちは試されるためにこの地上に送られてきたことを,末日の聖文を通して知っています。「そして,わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。」(アブラハム3 :25 )
今年で13回目を迎えたブリガム・ヤング大学ハワイ校(BYUH)全国高校生英語スピーチコンテスト本選が去る2011年11月5日(土)に大阪で行われた。
「父が中国から日本に働きに来るために船に乗ったときから系図の業は始まったとわたしは考えています。」 現在,福岡神殿でメイトロン補佐を務めている長谷川洋子姉妹は日本人の母親と中国人の父親を持つ。
宮城県の石巻市街を車で走ると,街道沿いに真新しい店舗が立ち並ぶ一方で,商店街の一角には再建のめどが立たないのか,津波にひしゃげたシャッターを閉め,建物も傾きかけたまま放置されている店も目につく。
2010年1月中旬,地域会長から広島伝道部の統合計画を伝える電話を受けました。合併は7月1日ころに実施され,その結果,広島伝道部は閉鎖されてその3分の2が神戸伝道部に吸収されるということでした。
日本札幌神殿の鍬入れ式が10月22日(土)に開催された。建設予定地の札幌市厚別区大谷地西には札幌神殿地区(北海道のすべてのユニットと青森地方部)各地からの参加者が到着し,午後2時から始まる鍬入れ式への期待で心を躍らせていた。
「 駐車場に車を止め,店内に入り飲み物を手に取ろうとした瞬間,どんと地面を突き上げるような衝撃とともに,あちこちから商品の落下する音が聞こえ,店の窓ガラスが大きく揺れました。
この夏,日本で初めて開催されたefy京都セッション(8月8~13日)と東京セッション(8月22~27日)。参加した約1,400人の青少年が帰宅したとき,家庭で,教会の証会で,彼らの変化に目を見張った親御さんや指導者の数は決して少なくない。
わたしたちは豊かな時代に生きています。1834年,主はジョセフ・スミスに「地は満ちており,十分にあり余っているからである」と言われました(教義と聖約104:17)。
4年前に亡くなった伯父の一周忌を1週間後に控えた2 0 0 8年9月下旬,わたしはその伯父の夢を見ました。沖縄県中頭郡北中城村荻道にある実家の家の中から伯父が元気に出て来て,わたしに何かを訴えるような,問いただすような様子で語りかけていました。
チエコ・N・岡崎姉妹が2 011年8月1日,鬱血性心不全で逝去された。享年84。葬儀はユタ州ソルトレーク・シティーのホラデイ南ステークセンターで8月10日に執り行われた。
教会のアジア北地域会長会が,2011年8月1日付けで再組織された。これまで会長会の第一顧問を務めた崔 崙煥長老に替わり,七十人第一定員会会員のマイケル・T・リングウッド長老が召された。
現在,教会では週に3便のバスを東京から東北の被災地へ運行し,ボランティアとして働くことに興味を持つ多くの兄弟姉妹を送り出している。
75年前に,主は預言者を通して教会福祉プログラムを創設なさいました。年月が過ぎても,そのメッセージは変わりません。自分の必要を満たすためにできる限りのことを行い,人に助けの手を差し伸べてください。
◉東日本大震災と津波に加えて,福島第一原子力発電所の大事故に見舞われた福島県。今も現在進行形で進む,放射能という見えない災害の中で,不安と戦いながらも信仰によって前向きに生きる福島県の聖徒たちの現況をレポートします。(編集室)
出身は福島県。中学校まで二本松市で育ち,その後,桐生ステーク熊谷ワードでセミナリー時代を送る。5人きょうだいのいちばん上で,3人の妹と1人の弟がいる。
3月11日に東北で地震と津波が発生した直後から,安否確認の多くはインターネットを通じて行われた。実際に,教会のサイトには多くの会員から安否確認情報が寄せられた。
教会は,日本の地震と津波の被害者への救援活動の手を広げ,漁協に対して人道支援を目的とした寄付を行った。
福祉の基となるものは愛です。良い行いに駆り立てる力はすべて愛です。天の御父は,霊の子供たちを愛しておられますから,天において御自分のすべての霊の子供たちを会議にお集めになりました。
◉末日聖徒の傾聴ボランティアは,香りの良いアロマオイルを使ったハンドマッサージで気持ちを癒し,そこから被災者の心を開いて,語られる悩みに耳を傾ける。
仙台市の山手に住んでいる文屋姉妹の家では津波の被害はなかった。震災後4日ほどで電気も復旧した。しかし自宅からわずか30分ほどの沿岸部は壊滅的な被害を受けている。
「 一星という名前は一番星という意味もあるし,聖典で(イエス・キリストの生誕のとき東方の三博士たちが)星に導かれてやって来た,というところから『目印になって』という願いを込めて付けたのですが,ほんとうにそのとおりになったなという思いがあります。
2011年5月27日に,仙台伝道部の宣教師約80人が宮城県塩竈や東松島で側溝の泥の除去作業に従事した。仙台伝道部の宣教師にとって,被災地でのボランティア活動は宣教師全員が熱望していたものだった。
1,000年に一度の災害といわれる東日本大震災そこに住む会員は,宣教師は,霊的な側面も含めてこの大惨事の中に何を見たのか─今月より長期連載でお伝えします。(編集室)
4月号ローカルページ(4ページ)で予告したように,2 011年2月,東京と名古屋で開催されたディボーショナルにおける,七十人会長会のロナルド・A・ラズバンド長老,十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老のメッセージの抜粋を掲載します。
わたしたち地域会長会は,3月11日に起こった未曾有の大災害から1か月以上を経過した現在,教会員であるなしを問わず被災されたすべての皆様に対し,改めて哀悼の意と心からの憐れみの思いをお伝えします。
トーマス・S・モンソン大管長は2 010年10月に行われた総大会の最後に,預言者たちが長年語ってきた一つの努力目標を繰り返しました。「今,大会は終わりました。……
自らを「あまり人の目を気にしない,マイペースな性格」と評する。2世の教会員だが,ご両親も教会の指導者も井上姉妹の選択を温かい目で見守ってくれたので,自分のペースで証をはぐくんでこられた,と感謝する。
2011年2月12日から20日にかけて,十二使徒定員会会員のジェフリー・R・ホランド長老とクエンティン・L・クック長老,また七十人会長会のロナルド・A・ラズバンド長老がアジア北地域のエリアレビューの一環として韓国と日本を訪れた。
アドニー・義夫 ・小 松長老が,2011年2月23日にハワイ州ホノルルにおいて逝去された。享年87。遺族は伴侶のジュディ姉妹と4人の子供たちである。
先日開かれた千葉ステーク大会終了後のことです。会場のあちこちで人々が親しくあいさつを交わしていました。若い女性のグループも元気に談笑していましたが,その中に見かけない顔があったので,わたしは輪に加わって彼らにあいさつをしました。
「 長老姉妹の皆さん,アジア北地域でのすばらしい2週間も,終わりを迎えようとしています。この名古屋での宣教師との集会は,残念ながら,この長い旅の最後になります。
愛する日本の兄弟姉妹,指導者の皆さん, 先の3月11日(金曜日)に東北地方で起こった大地震と大津波は,想像を絶するとても悲惨な結果をもたらしました。
人生は試しの時期です。そのため,わたしたちは絶え間なく何かしら選択するよう迫られています。重大な選択もあれば,そうでないものもあります。
取材当日は大学入試本番の数日前だった。工学部で材料工学を学びたい,と目を輝かして語る。志望のきっかけは,中学生のとき川崎ワードに集っていたアメリカ人留学生の兄弟がこの分野を「すごく楽しそうに」学んでいたことから。
わたしの信仰はまだ完成されているとは言えませんが,わたしが今,教会に来ることができている一つの選択についてお話しします。
「 わたしたちのワードのお子さんで,どのように助けたらいいか分からないのですが……」先日,電話相談に,ある初等協会の会長さんから電話がかかってきました。
ラッセル・N・堀内兄弟が,88歳の誕生日を10日後に控えた2011年1月15日にユタ州オレムで逝去された。
辞書にある「勤勉」(industrious)の意味は「精励してよく働くこと」(diligent and hard-working)です(New Oxford American Dictionary,第2版,2005年, “industrious”の項)。
平成22年(2 010年)11月9日。皇居では恒例の秋の叙勲の授与式が行われた。その受章者の中に,藤沢ステーク保土ヶ谷ワードの杉山洋二・敦子ご夫妻の姿があった。
高良愼清・暁子ご夫妻が家族歴史宣教師として召され,ユタ州ソルトレーク空港に到着したのは2008年1月30日のことであった。「外は雪で真っ白に覆われており,外気は相当な寒さのようで,わたしの体でこの冬の期間持つだろうか,一瞬不安が頭をよぎりました。
「 イタリア民謡を歌ってみたい,しかも自分の結婚式で……」その漠然とした思いから,渡辺正二兄弟が歌曲の世界へ導かれたのは23歳のときだった。
聖典の中には,困難な時期に備えて食料を蓄えていた人々の例が記されています。ヨセフは7年間の食糧を集めました。リーハイは,果物と,蜂蜜と,肉を用意しました。
2010年11月27日(土)から12月2日(木)にかけ,中央若い男性会長会第一顧問のラリー・M・ギブソン兄弟と,中央日曜学校会長会第二顧問のマシュー・O・リチャードソン兄弟が来日し,大阪,京都, 沖縄,福岡を訪問した。
平成22年2月17日午前9時,二人の息子は小学校と幼稚園に,妻は幼稚園の行事にそれぞれ出かけた後,わたしはテーブルの上にあったおにぎり3つを昼食代の節約にしようとカバンに入れ,いつものように原付バイクで仕事に出かけました。
わたしは1979年に改宗し,その後おもに東京地域のワードに属して教会員生活を送ってきました。それが,2002年に現在勤めている会社の人事異動で欧州の会社に異動となり,最初にアイルランド,その後2005年からはロンドンに居住することになりました。
去る11月21日,七十人第一定員会のデビッド・F・エバンズ長老を迎えての特別ファイヤサイドが,東京・吉祥寺の武蔵野ステークセンターにて行われた。
愛する兄弟姉妹,皆さんが心と勢力,思いを尽くして献身的に奉仕してくださることに,わたしたちアジア北地域会長会は心からの感謝をお伝えします。
日本が高齢社会へと確実に突入して行く現在,子育てを終え,定年退職を迎えるシニア世代の末日聖徒はどのようなビジョンをもって第3の人生を過ごせるのか──福音の観点から考察します。
11月6日(土)に東京の吉祥寺の教会堂を会場として,第12回全国高校生英語スピーチコンテスト(後援:文部科学省/駐日アメリカ大使館/末日聖徒イエス・キリスト教会)が開催された。
「ドアを開けると二人の男性が立っていました。一人は前田憲史長老。もう一人はスコット・ロビンソン長老でした。」改宗する前の田中兄弟を宣教師が訪問したのは,今年の1月7日の夜。
与えることは永遠の原則です。天地創造のとき,主は大空に光を備えて,言われました。「天のおおぞらにあって地を照らす光となれ。」(創世1:15)
和歌山県新宮市。人口3万人程度の市に新宮支部はある。現在この支部では活発な会員,宣教師含め8人ほどが,毎週この小さな教会に集っている。
あの恐ろしい毎月の第1日曜日。10代の若者にとっては,1か月の中で最悪の日,期末試験以上に嫌な日でさえあるかもしれません。期末試験の週には,少なくとも自由に飲食ができるからです。大人にとっては,「対処」の日です。
「お前たちがこの世に命を受けているのは,お前たちのお父さんが1回おぼれたけど,助かったからなんだよ。」 堀井紀久夫兄弟が家族を連れて実家へ帰ったとき,次兄が子供たちへ話しているのを耳にした。
キックボード事件 わたしには4人の子供がいて,3番目の二男は1年生です。その男の子の話です。
人生にはいろいろなことが起きる──悪いことも良いことも。内田まり子姉妹は2007年の秋に乳癌に侵された。そして同じ病を抱える多くの女性の賞賛と感謝を浴びる発明家にもなった。
6月20日(日),衛星放送によるステーク大会が日本全国で同時に行われた。十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン長老管理の下,前アジア北地域会長で七十人第一定員会のデビッド・F・エバンズ長老が司会をした。
教育はこの世と次の世において多くの扉を開く鍵です。教育とはいわゆる学校制度を通して学ぶ事柄に限るのではなく,良いことであれ悪いことであれ,人生を通じて学ぶすべてのことを含みます。
駐日ブラジル大使館のホームページには,ブラジル教育省から認可されている47の日本国内の学校のリストが掲載されている。その一つが静岡県浜松市にあるエスコーラ・ブラジル。
「母は何でもこなすばりばりのスーパーウーマンでした。ですから,(母に)認知症が出て,いろいろなことが分からなくなる,できなくなる,ということに対して,わたしの父は受け入れられなかったんです。」── そう西原里志長老は回顧する。
わたしたちは心から望んでいるものをどれくらいの間待つことができるだろうか。半年? 1年? 10年?太田章子姉妹は19歳で改宗してからずっと,永遠の結婚を何よりの望みとして生活してきた。
前福岡神殿メイトロンの徳沢愛子姉妹は,詩人として知られ,数多くの詩集を出版している。その作品の多くは日常に取材し,なにげない生活の一場面をいきいきと描き出す。
「病院の匂いがとても好きでした。ちょっと変わった子供でしょ?」子供がいちばん苦手な匂い,それを好きだったと語る飯坂和子姉妹の原点は,三世代が同居していた家族にあるのかもしれない。
1936年に教会の福祉計画が開始されたとき,J・ルーベン・クラーク管長は計画の目標を次のように述べました。「福祉計画の真の長期目標は,与える側と受ける側双方の教会員の人格を築き,人の心の奥深くに眠っている最も優れたものをすべて解き放ち,内に秘められた豊かな精神を開花結実させることである。
「あっ,わたしはこの教会の会員になるんだ……。」 羽岡照代姉妹は,初めて教会の玄関に立ったときにそのような気持ちを感じたという。
イエス・キリストは御自分の民に,貧しい人と助けの必要な人の世話をするよう言葉と模範によって教えられました。今日,「自分には与えるものがない」あるいは「忙しくて他人のことなどかまってはいられない」と言う人がいます。
霊的な福祉(バプテスマを通して霊的な導きを受ける)
十二使徒が世界を巡回する,新しく導入されたエリアレビューの一環として,十二使徒定員会会員のダリン・H・オークス長老と伴侶のクリステン・M・オークス姉妹がアジアを訪れ,去る2月上旬に来日した。
青木浩兄弟が宣教師と出会ったのは今から約20年前のことだった。就職した会社から,福島県の郡山への赴任を言い渡され,23歳の青木兄弟は,その地で新しい人生の一歩を踏み出した。
末日聖徒の作詞作曲家として親しまれているジャニス・カップ・ペリー姉妹が,この3月に来日し,初のコンサートツアーを行った。
アルマ・O・テーラー長老が8年5か月の宣教師としての任期を終え,日本を発ったのは,1910年1月10日の朝だった。長きにわたって同僚として過ごしたフレッド・A・ケイン長老とともに横浜港を出発した。
霊的,物質的な福祉や永遠の福祉の基礎について考える場合,まず何よりも贖い,すなわちイエス・キリストの贖いの犠牲について思い巡らすとよいでしょう。
奉仕は,人を霊的に強める最も純粋な方法の一つと言えるでしょう。実際,より困難な状況にあって,だれかのために何かをしたり与えたりすることによって心が高められるのです。
横浜市は2009年に横浜開港150周年を記念して開港記念祭を実施した。横浜ステークも「横浜ステークY150」と題して多くの活動を計画した。
元七十人会長会 ジョー・J・クリステンセン長老 1994年1月9日,ブリガム・ヤング大学第19ステークのディボーショナルで行われた説教からの抜粋
11月14日(土)に東京の吉祥寺の教会堂を会場として,第11回全国高校生英語スピーチコンテストが開催された。来賓に,遠藤利明衆議院議員(元文部科学副大臣)を迎え,全国各地の予選大会で選出された14人の高校生が「家族」をテーマに4分間のスピーチを披露した。
イエス・キリストの生涯を,ヘンデル作曲のオラトリオ(聖譚曲)『メサイア』とナレーションでつづる日本語メサイア・コンサートは,1996年より,関東地区の教会内外の音楽愛好家によって公演を重ね,親しまれてきた。
カンファレンス最終日,3日間の最後のプログラムとして,アジア北地域会長のスティーブンソン長老ご夫妻によるディボーショナルが行われた。
全日本シングルアダルトカンファレンスの初日,オープニングセレモニーに続いてディボーショナル(霊的な集会)が開かれ,十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老と伴侶のクリステン・M・オークス姉妹が登壇した。
12月7日から10日まで,東京と大阪で「新興国知的財産制度シンポジウム」が特許庁の主催により開催された。その中で「インドネシアの知的財産制度について」というテーマで,インドネシア知的財産庁長官の代理として山本芳栄姉妹が講演を行った。
わたしたちにとって,2009年を通じて皆さんにお会いできたことは,大きな特権でした。皆さんは,主の王国で仕えるわたしたちの偉大な模範となってきました。
先の総大会の最初の話者として説教壇に立ったモンソン大管長は,建設が決まった5つの神殿の名前を順番に発表した。その5番目に「Sapporo, Japan」と告げたのは日本時間2009年10月4日(日)午前1時10分33秒。
イエス・キリストへの信仰を持つこと,安息日を聖く保つこと,家庭の夕べを開くことは,大人にとっても子供にとっても霊性をはぐくむうえで欠かせません。以下のアイデアは,これら福音の3つの原則を実践し,さらに,このクリスマスの季節に救い主の降誕と生涯に心を向けるうえで助けになるでしょう。
最後の大役を果たして日本語版のモルモン書を完成させたアルマ・O・テーラー長老には,まだ,大きな仕事が残されていた。それは,当時の日本のオピニオンリーダー(社会の中で影響力を持った人々)にモルモン書を贈呈することだった。
200 9 年1 0 月25日(日)に,中央扶助協会会長会第一顧問のシルビア・H・オールレッド姉妹と中央若い女性会長会第二顧問のアン・M・ディブ姉妹を迎えてのディボーショーナルが,吉祥寺(東京)の教会堂で開催された。
職を失い,何か月も就職できなくなったらどうしますか? 予定外の医療費を支払うことになったらどうしますか? けがで職場を離れ,長期療養することになったら?
わたしが19歳の学生であった1969年,大阪駅前の陸橋を歩いていると人だかりがありました。見ると,路上に置いた大きな紙に外人が日本語で何やら器用に書いています。
1967年暮れに建築が始まった大阪府豊中市岡町の教会堂は,石井英一支部会長とエバン・A・ラーセン監督の指導の下,1年以上の歳月を費やし完成する。
「モルモン書」を口語訳から文語訳へ書き換える作業の中でアルマ・O・テーラーが時間をかけて慎重に行ったことは,文才のある人物を探すだけではなく,その人物の品格も見極めることであった。
夏休み最後の週末である8 月29日(土),金沢ステークの初等協会の子供たちはとても印象的な経験をしました。家族で日本東京神殿を訪問し,両親がそろって儀式を受けている間に,ステーク初等協会の活動としてノルウェー王国大使館を表敬訪問したのです。
50年前(訳注:現在から数えて73年前)の4月5日,当時の地上における神の教会の預言者,聖見者,啓示者たちは一堂に会し,大変重要な会合を開きました。
北海道,札幌から函館本線を北東へ約1時間,岩見沢駅の駅前にその店はある。「岩見沢名物天狗まんじゅう」と白抜きで記された赤い看板。
「モルモン書」の翻訳を完成させたアルマ・O・テーラー長老は常に最善のものを追い求めていた。時間と労力を積み上げるように翻訳を行ってきたが,自らが作り上げた口語訳よりも,あらゆる面で文語訳の方が好ましいという結論に達するやいなや,振り返ることなく,文語訳の作業を開始した。
新しい地域会長会であるわたしたちは,これまで長きにわたり地域会長として奉仕してこられたデビッド・F・エバンズ長老に,心からの感謝を申し上げます。エバンズ長老は,実に10年近くもの間,アジア北地域の教会のために,専任で奉仕してこられました。
「長らく世界を脅かしてきた経済的な暗雲が,今やわたしたちを覆っています。……企業の人員削減や倒産が続くと,良い働きをしている人でも新しい職場を探す必要に迫られるかもしれません。
給料が低いせいで,我が家は万年金欠の状態が続いていました。仕事に励んでも一向に給料は上がりません。残業もしましたが,それでも生活を支えているのは什分の一がもたらす主からの祝福でした。主は,多くの方の愛ある手により我が家を支えられていました。
1906年3月21日の日記に,アルマ・O・テーラー長老は満足感を込めた思いをつづっている。それは,モルモン書の翻訳をついに完成させた記念すべき日だった。
2001年は,世界中の人々にとって生涯忘れられない年となりました。その年の10月の総大会で,ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は教会の会員に次の勧告を与えました。
去る2009年3月10日から12日にかけて,七十人会長会のスティーブン・E・スノー長老ご夫妻が日本を訪れ,広島・大阪・名古屋で一般会員向けのディボーショナルを行いました。スノー長老ご夫妻のメッセージを抜粋してお伝えします。(編集室)
アルマ・O・テーラー長老が行っていたモルモン書の翻訳方法は,現在,一般的に行われている方法とはだいぶ異なっていた。英語から日本語へ直接翻訳するのではなく,入念に段階を経ながら行われていた。
デビッド・F・エバンズ長老が日本伝道部の専任宣教師として初めて日本の土を踏んだのは1970年のことであった。1998年から2001年までは名古屋伝道部の会長として再来日する。
全日本シングルアダルト(SA)カンファレンス(9月21日〔祝・月〕─23日〔祝・水〕,於:東京・代々木,国立オリンピック記念青少年総合センター)へ,十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老と,伴侶であるクリステン・オークス姉妹が参加することが発表された。
ブリガム・ヤング大学(BYU)ウィンドシンフォニー(吹奏交響楽団)のメンバー48人が来日し,5月15日から,東京,横浜,仙台,名古屋,大阪でコンサートを開催した
あなたは緊急時に家族の必要を満たす十分な水を確保していますか。その保存方法は適切ですか。成人が必要とする水の量は1日少なくとも2クォート(約2リットル)です。
福地山地方部豊岡支部に毎週集う中嶋晃大兄弟が教会に着くと,周囲の空気が一瞬にして和む。教会だけではなく,学校でもそうだ。
長嶺顕正兄弟●1936年沖縄に生まれる。小学生のとき沖縄戦を経験。戦後の1958年に改宗し,1962年から1979年まで沖縄で最初の日本人地方部会長を務める。
1904年(明治37年)8月に,日本初の電車営業運転が,甲武鉄道の飯田町(飯田橋)~中野(現在のJR中央線中野駅)間で開始された。
先の第179回年次総大会,4月4日土曜午後の部会において,中央幹部,地域七十人,中央補助組織会長会の異動が発表され,満場一致で支持された。
福岡ステーク扶助協会会長会の姉妹たちは,ステークのすべての幼い子供を持つ若い母親たちが神殿の祝福を受けることができるよう,毎週金曜日午前11時のセッションでベビーシッターをしてくださっています。
自立の6つの要素の一つは家庭貯蔵です。ここ最近,1年貯蔵の代わりに,日常的に食べている食料品を少しずつ蓄え,3か月分を貯蔵するようにと強調されています。
東京神殿の中野神殿会長は,神殿の意義とビジョンを以下のように語られる。「新約聖書に,やもめが二つのレプタをさい銭箱に入れたのを見たイエス・キリストが,この人こそ生活費のすべてをささげた,あなたたちは余っている中からささげたとおっしゃったという話があります。
1909(明治42)年,日本最初の宣教師の一人アルマ・O・テーラー長老らによって日本語の『モルモン経』初版が発刊された年に,徳島県で生を享けた稲垣高義兄弟。
千葉ステーク東金ワードの狩野元滋ビショップは,毎月,青少年たちを神殿に連れて行って死者のバプテスマに参入している。参入を始めて1年になろうとしている狩野ビショップに伺った。
2009年2月28日に中嶋晃大兄弟は初めて神殿で儀式を受けた。晃大兄弟は幼いころの事故による低酸素脳障がいのため四肢麻痺の状態で,身体を自由に動かすことはできない。
モルモン書翻訳が始められた地,千葉伝道の拠点を千葉に移したアルマ・O・テーラー長老は,伝道活動のかたわら,モルモン書の翻訳を始めた。
2007年の総大会で管理ビショップリックのキース・B・マクマリンビショップは,個人と家族の備えについて話しました。その中で,以下の簡単な公式が一つの範例として与えられました。
このプログラムが夜でなく朝であることで,冬は朝6時前の月とか,夏は朝日とか,今までの生活では見られなかったものを見ることができ,神様の創造物に対する感動を経験できました。
「雨の日でも自転車で教会まで通って早朝セミナリーに出席していました。ですから,伝道中に雨の中を自転車で走ると,むしろ,早朝セミナリーに通っていたときのことを思い出して懐かしくなるくらいです。」
わたしはセミナリーに入るまでは,家族で(聖典を)読んだり祈ったりしていても,個人ですることは全然ありませんでした。けれど,毎日聖典を5分でも読んで,毎日祈ると,とても主を近くに感じることができて,主の愛をたくさん感じることができました。
日本語を学び始めてから約1年後,アルマ・O・テーラーは簡単な日本語の翻訳ならばできるまでに成長していた。
「最初は全然,行く気はなかったですし,好きでもなくて。できることなら,やりたくなかったですね」と,徳沢美邦姉妹は早朝セミナリーを始めた4年前を振り返って率直に語る。
数年前,わたしの夫が突然失業しました。経済不況の中,他の求職者との競争に打ち勝つためには,意欲的にどんどん職探しをする必要がありました。
現在,世界では3秒に1人,つまり1時間で1,200人,1日に3万人近い子供が貧困のために命を落としています。また,世界の人口の20%つまり5人に1人は極度の貧困状態にいます。
皆さんには,ちょっと難しそうだけど,できたらいいな,なれたらいいな,という夢や目標,または合格できたらいいな,という志望校などがありますか。そういう目標に関して,もし先生など周りの人に,「君には難しいね」と言われたらどう感じ,どう反応しますか。
横浜のグランドホテルから東京築地のメトロポールホテルへ住居を移した宣教師たちは日本語の勉強を毎日続けた。ある日,日本語教師の青木氏から千葉の自宅への招待を受け,その翌日に,テーラー長老は独りで千葉,四街道へと向かった。
人類が初めて地球に送られたときから,人はすべての生き物を治める権利を受け,働くよう命じられました。労働は人が自立するための手段です。労働を通して,人は視野を広げ,技術と才能を高めるのです。
「それでは,末日聖徒イエス・キリスト教会聖歌隊の音楽をお聴きください!」──2008年12月6日,暮色に包まれた茨城県つくば市で司会者の声が響いた。地域活性化のためのイベント「100本のクリスマスツリー」点灯式でのことである。
回復の初期,福音の基礎が置かれつつあった時代に聖徒たちに与えられた啓示から,わたしたちは多くを学ぶことができます。「心を高めて喜びなさい。
あなたは子供を保育園に連れて来たとしよう。出勤時間が迫っているので少々焦っている。ところが5歳の娘は保育園に行きたくないとだだをこね,車から降りようとしない。
1901年7月24日の開拓者記念日に4人の宣教師が日本へ向けてソルトレーク・シティーを出発した。経験豊かなヒーバー・J・グラント,ホレス・S・エンサイン,ルイス・A・ケルチに加え,ヒーバー・J・グラントの友人の息子であった一人の青年も同行することになった。
過去1世紀の大半を通じて,教会は就職戦線を闘う人々が活路を見いだし,学び,自立できるよう支援してきました。教会の近代福祉制度の歴史に関して最も信頼できる著書『純粋な宗教』(Pure Religion)の中で,著者のグレン・L・ラッド長老は,20世紀初頭の教会の雇用制度であるデゼレト職業安定所を紹介しています。
ヤーニス・ツィエラウス(Yaanis Tsielavs)兄弟は,東欧バルト海に面するラトビア共和国の公立大学に通う23歳。首都リガの近郊にあるイマンタ支部で今年の2月9日にバプテスマを受けた。
12月のイスラエルは気候的に雨季に入り,少し肌寒くなる。このころになると街のパン屋やスーパーにはサフガニア(イスラエルの伝統的ドーナツ)が並べられ,家庭では毎日ハヌカの蝋燭台(ハヌキヤ)に火を灯すなど,ハヌカの雰囲気が盛り上がってくるが,クリスマスの雰囲気を感じることはない。
アウトリーチセンター。福岡ワードの玄関を入り廊下を進むと,奥まった一室の扉にその表示がある。開館時間─月曜~金曜,午後5時から9時。土曜,正午から午後9時。
文部科学省の後援を受け,第10回全国高校生英語スピーチコンテストが11月8日(土)に東京・吉祥寺の教会堂で開催された。全国の各地区予選大会で選出された13名の高校生が一堂に会し,「家族」をテーマにして4分間のスピーチを披露した。
デビッド・O・マッケイ大管長がブリガム・ヤング大学ハワイ校(当時は,チャーチカレッジ・オブ・ハワイと呼ばれた)を設立したとき,大管長は比類ない高潔さを持つ若い男女を備える,他に類を見ない教育機関を心に描いていました。
9月13日(土)に慶応義塾大学(三田キャンパス)を会場として,北海道教育大学名誉教授である潟沼誠二兄弟による「論語とキリスト教-比較によって見えてくる課題を考える」と題した講演会が開催された。
ロバート・ブラウニングの詩に,「神,天にまします。世のことすべては善し」という喜ばしい一節があります(Pippa Passes: A Drama, 第2部,227-228行)。
●1908年(明治41年)に改宗した高橋仁吉の姪であり,大正時代に『末日聖徒讃美歌』を翻訳した高木富五郎の娘として1919年(大正8年)に生まれる。1960年には父との共同作業で賛美歌の再翻訳を行うなど,日本の教会歴史の証人として歩む。
イスラエルの水辺を行く新約聖書の福音書によれば,イエス・キリストの伝道活動のほとんどはガリラヤ湖の周辺で行われた。ガリラヤ湖からヨルダン川,そして死海へと続く道は,重要な水源地として聖書には描かれている。
長野県松本市の中央公民館(Mウイング)を会場に,8月24日,「グレートソルトレークデイ」と呼ばれるイベントが開催された。松本市とソルトレーク・シティーの姉妹都市提携50周年を祝う行事の一つとして,長野県松本市ソルトレーク姉妹都市提携委員会主催,松本市教育委員会後援によるものであった。
ロシアの文豪レフ・トルストイの曾孫であり,トルストイ記念館の館長でもあるウラジミール・トルストイ氏が来日し東京大学や上智大学での講演を行った。
日本最初の戸籍法は明治5年に施行された。その記録は家族歴史の作成,先祖の救いの儀式,個人がこの時代に存在した証という観点からも貴重な資料といえる。
わたしは決意して,体を健康に保ち,体力を養います。160年以上も前に,主が健康の規範,すなわち知恵の言葉を明らかにしてくださったのはすばらしいことです。
大山ご夫妻は2007年4月から日本東京神殿の神殿宣教師として奉仕を続けている。夫婦伝道にはたくさんの奉仕の場がある。伝道部で働く宣教師から家族歴史宣教師,神殿宣教師,広報宣教師……大山ご夫妻も申請時には伝道部の宣教師となることを想定していたが,神権指導者との面接の際には,召されるならばどこにおいても喜んで奉仕しますと伝えた。
現代イスラエルの祭りイスラエルにおける祭りはユダヤ暦に基づいて行われる。国際社会でおもに使用される西暦はキリスト教に由来するものであり,ユダヤ教徒は,(日常生活では西暦も使うが)公式な行事はすべてユダヤ暦によって実施する。
2008年7月11日午後10時57分,九州の教会の発展とともに歩んだ開拓者として知られる吉沢敏郎兄弟が逝去された。享年86であった。
1901年(明治38年)8月12日。ヒーバー・J・グラントをはじめとする最初の4人の宣教師が日本の伝道を開くべく横浜へと到着した。その中で最も若かったアルマ・O・テーラー(船上で19歳の誕生日を迎えた)は,エンプレス・オブ・インディア号から横浜を見渡し,日本との最初の出会いの印象を日記に綴つづった。
体力作りは,今年中,またはこれから5年間でといった,短期で成し遂げる目標ではありません。生涯にわたって努力すべきことであり,日常生活の一部であるべきです。定期的に運動をするという習慣は,自分自身,また子供にとって最も有益な贈り物となります。
香港の教会本部は香港島の灣仔地区にあり,周囲には政府やビジネスの主要な建物が立ち並ぶ。教会本部のビルの中には教会堂や家族歴史センターが入っている。
香港島からフェリーで30分ほどのランタオ島ディスカバリー湾に住む鈴木武徳兄弟は,島内を走るバスに乗るたびに気になることがあった。バスを降りる際に次々と無言で降りる人たち。ある日,鈴木兄弟は自分一人だけでもバスの運転手に感謝を示そうと決心した。
BYUエルサレムセンターは,ブリガム・ヤング大学の学生に教育を提供する施設として運営されている。土地を40年間イスラエル政府より借り受け,そこに多額の費用を投じて大学施設を建設した。
天の御父がわたしたちをこの地球に送られたのは,学び,経験を得るためです。学ぶべきことの多くを,わたしたちは実際に行動することによって初めて身に付けることができます。
2000年10月7日に行われた総大会の神権部会で,ゴードン・B・ヒンクレー大管長は父親に向けて,子供たちの行く末がどうなるかということほど,父親の幸福に深い影響を及ぼすものはないと話しました(「あなたの子らの平安は深い」『リアホナ』2001年1月号,61参照)。
 日本の教会の黎明期を担った開拓者から後に続く世代へ贈られる言葉
東京ステークの中野ワード教会堂を会場として,フィリピン人会員の親睦会が3月15日(土)に開催された。東京近郊のワードにはフィリピン人会員が多いが,ワードを越えて互いに知り合う機会は少ない。
小学校に上がる時点で,子供は驚くほど高い割合で障がいを持っています。といっても,従来の意味とは違うものです。精神的あるいは肉体的な障がいはないかもしれませんが,こうした子供たちは,物事の学び方を学んでこなかったというだけの理由で,学校の勉強をとてつもなく大変なものと感じています。
仙台ではまず,地域会長会のデビッド・F・エバンズ会長が壇上に立ち,特にその場に集った求道者へ向けてこう話した。「今日,(これまで)感じられなかったことを感じるでしょう。
ヒンクレー大管長の葬儀の中でタバナクル合唱団により歌われた賛美歌に,ヒンクレー大管長自身によって作詞されたものがあります。この12月にわたし(ジャニス・カップ・ペリー姉妹)が曲を付けました。その物語を分かち合いたいと思います。
ソルトレーク・シティー,2007年4月20日 デビッド・セイと妻ジャニーは先日,自分たちの通う教会が発行する2冊のパンフレットを読み,実践的な内容に感銘を受けた。
神殿も週休2日もなかった1970年代初頭の日本。新潟支部の加藤(旧姓木村)眞理子姉妹は『福千年の集合の始まり』とも言われていたソルトレーク神殿訪問に参加すべく,ウォルター・R・ビルス伝道部会長との面接に臨んだ。
長野県の諏訪支部の会員である浅間由美姉妹,中村信行兄弟が中心となり,第1回「メサイア」チャリティ演奏会が2007年12月15日(土)に行われた。ソリスト,合唱,楽器アンサンブルは,地元の音楽関係者,末日聖徒と他宗派の教会員,日本語メサイア発祥の合唱団「木曜会」などから集まり,多彩な顔ぶれとなった。
四大聖典を学ぶセミナリーにはそれぞれに25個のマスター聖句がある。暗記するよう勧られているこの100の聖句を覚えるのに苦労している青少年は多いことだろう。
2007年12月号のローカル記事「備えはできていますか?」で予告された,賢明な生活のための豆知識を,英語の機関誌『エンサイン』から抜粋して連載します(地域福祉部)
越湖(旧姓高橋)寛子姉妹は,戦時中を千葉に疎開して過ごし,終戦後に東京の杉並区荻窪へ戻って来た。16歳のとき製菓会社へ入社し,そして1年ほどしたある日のこと。工場に入ると機械は動いていたが,点検のためか安全カバーが開いていた。
●第①回  吉沢敏郎兄弟・みどり姉妹 ●九州で最初に組織された福岡支部の初代支部会長であり,初代福岡ステーク会長などを歴任。1982年から1985年まで岡山伝道部会長を務める。
在イスラエル日本大使館に出向中の森哲也兄弟は,奥様の一江姉妹とイスラエルのテルアビブに在住しています。教会員にとってよく知られた国でありながら,実情が理解されていない国イスラエル。
沖縄の会員と本土の同胞が一堂に集い,神殿儀式を受け,懇親会まで持てたらどんなにすばらしいことか──金城正之ステーク会長の思いに始まった那覇ステークの特別な東京神殿団体参入「かりゆしセッション」が,去る12月8日(土)に行われた。
事故,病気,失業,そのほかの非常事態など,ほとんどの家族がいつか貯蔵や貯蓄に頼らざるを得なくなる時が来るでしょう。
昨今,マスコミに採り上げられることも多くなった広汎性発達障碍。今,初等協会の教室でも,こうした子供たちの存在は例外ではありません。
「完成への道」 エバンズ会長はまず,全日本YSAカンファレンスのテーマ聖句「恐れることはない,ただ信じなさい。」(マルコ5:36)から基調セミナーを始めた。
太平洋に浮かぶ南の島々から喜びの便りが届いた。日本全国の教会員から文具が寄せられ,8月の全日本YSAカンファレンスにおける人道支援奉仕活動でバックパックに詰められたスクールキット。
地域福祉部は,地元の指導者と教会員が霊的福利(自分自身を霊的に強めようとするあらゆること)と物質的福祉(貧しい人を助けることと自立すること)にかかわる原則を理解し,生活に取り入れることができるように支援します。
ヤングシングルアダルトカンファレンス最終日,府中の森芸術劇場(東京都府中市浅間町)での特別集会において,十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は出席者に次のように語った。
十二使徒のベドナー長老は,全日本YSAカンファレンスを終えた後,東京・吉祥寺の武蔵野ステークセンターへ向かい,青少年とその親,指導者を対象とする特別集会に臨んだ。
太平洋戦争の激戦地であったガダルカナル島で戦死した日本兵,故宮下忠男さんの武運長久を祈る日章旗が8月17日に遺族の元へ返還された。
わたしは恵まれて最後のべドナー長老の大会での聖歌隊の指揮をさせていただける特権に与りました。わたしほど神様から祝福を受けた人はいないのではないかと思うほど,多くの経験や人を通し主の愛と導きを感じました。
午前10時13分の地震発生直後,長岡支部の小林強支部会長は直ちに会員の安否を確認する。「電話の通じた所は被害が比較的軽微で安心しました。
今年で20周年を迎えた「比叡山宗教サミット/世界宗教者 平和の祈りの集い」が8月3日,4日に国立京都国際会館と比叡山で開催され,地域七十人の新山靖雄長老,アジア北地域/日本広報ディレクターのデビッド・ロバートソン長老姉妹が出席した。
梅雨の中休みの曇天の下,初等協会,青少年,宣教師を含む250人余りの那覇ステークの会員たちが瀬長島北側公園に集合した。5月19日,「末日聖徒イエス・キリスト教会」のロゴ入りユニフォームを着け,ヘルピングハンズ大清掃が行われたのである。
日本の教会で初めての,海外へ向けた組織的な人道支援奉仕活動が,この春,関東一円の聖徒たちの協力で実現した。文具キット,衛生キット,新生児キットを詰めた段ボール箱,合計191箱が船積みされ,6月4日にミクロネシアへ向けて東京港を出航した。
十二使徒のディーター・F・ウークトドルフ長老が,2007年5月下旬に初めて日本を訪れ,武蔵野ステーク大会や仙台ステーク大会を管理したほか,名古屋,札幌を訪れ,会員や指導者,宣教師たちとの集会に臨んだ。ここでは,名古屋と札幌における一般会員向け特別ディボーショナルの模様を報告する。
おばあちゃんが迷彩服の自衛隊員によって担架で運ばれてゆく。瓦礫の向こうには安堵の表情と笑みを浮かべ周囲に頭を下げる娘とおぼしき婦人。
岩手山を背景に高松ノ池の水面に映し出される千本桜の美しさは盛岡の人々を魅了する。県下一の桜の名所と呼ばれる場所は,その季節ともなれば,枝垂れ桜,大山桜,八重桜が競うように咲き誇る。
去る6月下旬,中央補助組織会長会がアジア北地域を訪れた。中央若い男性会長会第二顧問のマイケル・A・ナイダー兄弟と,中央日曜学校会長会第一顧問のダニエル・K・ジャッド兄弟は6月16日に来日した。
アジア北地域の全教会員の皆さんへ  2007年8月1日愛する兄弟姉妹の皆さん
2005年10月に初来日しファイヤサイドを行った'The 5 Browns'がこの秋のコンサートツアーに先立って6月に来日し,マスコミ関係者の前で演奏のデモンストレーション(ショーケース)と記者会見を行った。
ブリガム・ヤング大学ハワイ校(BYUH)で心理学部に在籍し,昨年,首席で卒業した吉田恵太郎兄弟。奥様の糸真姉妹とともに,夫婦そして家族での留学生活の模様を語っていただいた。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,教育について次のように話しています。「皆さんは教育の大切さを教える教会に属しています。……主は皆さんが自らの知性と技術を磨き,周囲に良い影響を与えつつ人生を送ることができるようにと望んでおられます。
吉田博兄弟は,現在,新潟県の教育委員会に勤務しています。英語の教育現場に長く携わり,現行の高等学校学習指導要領を作成するなど英語教育の第一線で働いてきました。その吉田兄弟に,留学や大学進学を志す若い人に向けての提言を伺いました。
教会が経営する大学,ブリガム・ヤング大学(BYU)本校(ユタ州プロボ),ハワイ校,アイダホ校,LDSビジネスカレッジなどは,セミナリー・インスティテュートを開講していることで知られる教会教育システムによって運営されている。
有泉芳彦兄弟は,東京大学農学部で生態系の保護を学び,卒業後伝道に出て帰還。東大の教育系大学院で学校教育学の修士号,BYU本校の教育心理・工学Instructional Psychology & Technology の分野で博士号を取得し,ニューヨーク郊外のラファエット大学で外国語・外国文学部日本研究助教授として10年にわたり教鞭を執りました。
BYUHでは2年前から入学に対する基準がより明確になってきました。高校を卒業してBYUHへの入学を希望する教会員にとってもっとも重視されるのはセミナリーでの成績です。
日本人教会員留学生の草分けとして1959年に渡米した清水順子姉妹は,M・トム・清水兄弟と結婚し,1970年代初頭に日本中央伝道部の伝道部会長夫人,1974年から9年半にわたり扶助協会中央管理会員に召された。
5月13日(日)午後6時より神戸ワードで催された神戸伝道部と伝道本部オフィスの奉献式に,関西地区の5人のステーク会長をはじめとする会員たちが集った。
救い主の肖像や福音にまつわる絵画を数多く描いていることで知られる末日聖徒の画家,グレッグ・K・オルセン兄弟がこの3月下旬に来日し,関東の各地でファイヤサイドが開かれた。
独身会員の将来とは,すなわち教会の将来のことです。今回のカンファレンスに多くの独身会員が参加し,祝福を享受し,分かち合い,一人一人が将来の見通しを立てることにより,日本の教会の将来が描かれていくことを願っています。
伝道部会長セミナーのために来日した十二使徒定員会のヘンリー・B・アイリング長老ご夫妻と七十人会長会のD・トッド・クリストファーソン長老ご夫妻をはじめとする教会指導者が,東京・代々木の明治神宮を表敬訪問した。
アメリカの公共放送サービス(Public Broadcasting Service──PBSと略称)から全米に向けて,この4月30日と5月1日の2夜にわたり「The Mormons」と題する長編ドキュメンタリー番組が放映された。
ブリガム・ヤング大学ハワイ校(BYUH)主催の「ジャパン・ビジネス・プラン・コンペティション(JBPC)2007」の授賞式が,去る4月6日に東京で行われた。
地域福祉部は,地元の指導者と教会員が霊的福利(自分自身を霊的に強めようとするあらゆること)と物質的福祉(貧しい人を助けることと自立すること)にかかわる原則を理解し,生活に取り入れることができるように支援します。
川門夏子姉妹はいわゆるパートメンバーだった。19歳で改宗し,教会員でないご主人と結婚した。やがて子供に恵まれ,7人の子供の母親となる。
2006年8月,西原里志兄弟はユタ州ソルトレーク・シティーにおいて,LDSファミリーサービス日本事務局常勤ディレクターとしての研修に臨んでいた。
去る2月下旬,十二使徒定員会会員のリチャード・G・スコット長老が来日した。2月22日には広島伝道部の宣教師大会,その晩には広島の会員と特別集会が持たれた。
親はだれしも我が子が安息日には教会を選び,時期が来たら宣教師として伝道に出てもらいたいと願っている。しかし親として精いっぱいのことをしても,時に子供は道をそれて行くことがある。そのとき,わたしたち親には何ができるのだろうか。
中野ワードの青少年と指導者の朝は早い。他の多くのワードで実施しているように中野ワードでは早朝セミナリーに青少年が集い,そこで聖典を学習する。
日本松戸ステーク牛久ワードの根本寿・燿子ご夫妻は現在,在宅の専任宣教師(2006年4月から1年間)として,近隣のつくばワードと松戸ワードを往復している。
今月号の『リアホナ』は,宣教師として奉仕することによりもたらされる祝福について特集しています。表紙には,二人の宣教師の写真に,「主の福音を宣べ伝える──どのように備えたらよいか」という見出しが添えられています。
ビショップの優先される責任は青少年と伝道だと理解しています。教会に集う子供たちが抱えている問題は,教会,勉強,部活のバランスをどのように取るかということだと思います。
1973年3月初旬,アジアに組織された最初のステークである日本東京ステークでは,当時,十二使徒であったスペンサー・W・キンボール長老を迎えてステーク大会が開かれた。
「医師を志したきっかけは?」「……(きっかけは)あまりないですけどね。──うちの両親が,医者はいいよ,人助けになる仕事だよ,って言ってて。4歳のころ死にかけて助けてもらったのも多少はあって,何となく,自然に……」
昨年12月16日に催されたブリガム・ヤング大学ハワイ校(BYUH)の卒業式において,吉田恵太郎兄弟(さいたまステーク坂戸ワード)が卒業生総代としてスピーチを行った。
地域福祉部は,地元の指導者と教会員が霊的福利(自分自身を霊的に強めようとするあらゆること)と物質的福祉(貧しい人を助けることと自立すること)にかかわる原則を理解し,生活に取り入れることができるように支援します。
日系三世のジョン・E・新田兄弟の祖父母は熊本からアメリカへ移住してきた。ほとんどの日系移民がそうであるように,新田兄弟の祖父母もコミュニケーションをとることに苦労しながらも,新天地での生活を切り開くために懸命に生きてきた。
「ひらめきは少しはあるかな……」「集中力ですか……」
地域福祉部は,地元の指導者と教会員が霊的福利(自分自身を霊的に強めようとするあらゆること)と物質的福祉(貧しい人を助けることと自立すること)にかかわる原則を理解し,生活に取り入れることができるように支援します。
ソルトレーク・シティー在住のモーゼス・小城・理子姉妹は,昭和33年(1958年)8月3日,札幌市郊外の発寒川の流れに入り,17歳でバプテスマを受けた。
2005年12月23日,ユタ州ソルトレーク・シティーはジョセフ・スミス生誕200年の記念行事に沸いていた。カンファレンスセンターと,ジョセフ・スミス生誕の地であるバーモント州シャロンを衛星回線で結び,さらにその模様を全世界6,000か所以上の衛星放送受信施設(ステークセンターなど)へ中継して,ジョセフ・スミス記念放送が行われたのである。
「飛び立とう はばたこう 勇気の翼で」のテーマの下,2006年スペシャルオリンピックス日本・夏季ナショナルゲームが,11月3日から5日まで熊本で開催された。
栃木県小山市在住の大畠宏文兄弟の名刺にはこう書かれている。「──余分な遊びを食卓に──」文教大学教育学部に通っていた大畠兄弟の“作品”が雑誌に初めて紹介されたときのキャッチコピーだ。
地域福祉部は,地元の指導者と教会員が霊的福利(自分自身を霊的に強めようとするあらゆること)と物質的福祉(貧しい人を助けることと自立すること)にかかわる原則を理解し,生活に取り入れることができるように支援します。
2006年10月14日から16日にわたって兵庫県で行われた第6回全国障害者スポーツ大会(国体のあとに開催される障害者の大会)で宇都宮地方部小山支部の阿部ちひろ姉妹が上位入賞を果たした。
2006年8月下旬,日本初開催のFIBAバスケットボール世界選手権,そのファイナルラウンドがさいたまスーパーアリーナで開催された。予選リーグを勝ち抜いた世界16か国代表の強豪プレーヤーが世界一のタイトルを賭けて戦う。
『黙って俺について来い』,……かな。」2005年10月,関口兄弟は悩んでいた。間もなく開設する欧州縦断プロジェクトの公式ブログ※1のタイトルを考えていたのである。
1 日々の暮らし         教会員生活ドキュメント ある日の内田家族(大分在住) 開いた窓から流れ込む風が冷たくなってきた初秋の早朝5時30分,家族の祈りと聖典学習で内田家の朝が始まった。
わたしたちは,皆さんを末日聖徒イエス・キリスト教会に歓迎します。主は教会全体について語られたとき,自らこの教会を「地の面〔の〕唯一まことの生ける教会」であり,「これを喜んでいる」1 とおっしゃいました。
「祝福師の祝福とは,わたしたちが人生を歩んでいくうえで道標になるものです」と,さいたまステークの祝福師である念垣郷太郎兄弟は説明する。
「ヒンクレー大管長は,新会員に必要な3つのものを挙げました。それは第1に友人,第2に責任(奉仕の機会),そして第3に『神の善い言葉で養われ』ること(モロナイ6:4),です。
1  宣教師を助けましょう 伝道部会長としていちばん神経を使う仕事は,だれをどこへ転任させるか決めることです。
わたしは2002年10月,自分が属している日本企業がかつて買収したアイルランドの会社の経営改善のために東京から首都ダブリンへ送り込まれました。
與座章健兄弟は,今年の5月12日,天皇陛下に謁見した。その経歴における社会貢献に対し褒章を受けるためである。沖縄出身の與座兄弟は,復帰前の琉球政府で金融機関を監督する部門におり,復帰後は大蔵省(当時)の出先機関である沖縄総合事務局財務部そして北九州財務局に勤務した。
史上最年少の43歳にして日本初の外国人頭取が誕生──2003年6月,L・タッド・バッジ兄弟の頭取就任が報じられて以来,バッジ兄弟は経済誌や新聞を中心とするメディアにたびたび採り上げられてきた。
水野裕夫兄弟は6年前,日本企業のロンドン駐在員として渡英した。すぐに現地の教会で監督会に召され,さらに2年前にはステーク会長に召された。水野ステーク会長がその召しを受けるに当たっては「不思議な経緯」があったという。
日本でタレントとして知られるケント・デリカット兄弟が7月1,2日の両日,札幌の厚別,藻岩両ワードを訪問,講演会やファイヤサイドなどでたくさんの人々と交流した。デリカット兄弟は30年ほど前,北海道各地で宣教師として伝道に励んでいた。
L・タッド・バッジ長老の伝道の最後の月,あるいは最後の週だったかもしれない。1980年12月,バッジ長老と同僚のスティーブ・ギルクリスト長老の二人は沖縄本島の西方約400キロに位置する,八重山諸島の主島・石垣島へと赴いた。
地域福祉部は,地元の指導者と教会員が霊的福利(自分自身を霊的に強めるために行うあらゆること)と物質的福祉(貧しい人を助けることと自立すること)にかかわる原則を理解し,生活に取り入れることができるように支援します。
吉中孝志兄弟は,広島大学大学院文学研究科で英文学を教える教授である。17世紀,特に清教徒革命の時代を研究テーマとする吉中兄弟には,ここ4,5年ほど時間を見つけてはこつこつと続けてきた仕事がある。
明治4 1 年( 1 9 0 8 年),静岡県磐田郡二俣(当時)に生まれた女流日本画家・秋野不矩画伯は,19歳で師事,28歳で画壇に頭角を現し,平成13年(2001年)に93歳で永眠するまで70年以上にわたって創作活動を続けた。
東京ステーク洗足池ワードの本間紘嗣兄弟(26)は,教会の公式ウェブサイトが きっかけとなって改宗した会員の一人 だ。本間兄弟は編集者を経て,現在 はフリーライターとして新製品の紹介 記事などを書きながら,記事から編 集までこなせる“編集記者”を目指して トレーニングと経験を積んでいる。
増田貴行兄弟が教会について間接的に知ったのは14歳のとき,改宗の16年前であった。当時,広島市に住む中学生だった増田兄弟は教会員の作家である飛鳥昭雄氏(ペンネーム)の著作に出会い,その独特な世界に強く惹かれる。
松戸ステークセンターの教会堂でポリネシア文化センター(PCC)のキャストらによるファイヤサイドが開かれた4月30日の夜のこと。大石義和兄弟の携帯に何人もの教会員から電話やメールが飛び込んできた。
宣教師と会員が一致して伝道を心から楽しみ,レッスンの最中から求道者と会員の垣根を超え,親しい友達として交流しバプテスマを受けるとしたらどんなにすばらしいことだろう。そんな理想ともいえる伝道を実践しているのが長崎県の諫早支部だ。
兄弟~千葉県勝浦市。九十九里浜で有名な房総半島の太平洋側,いわゆる“外房”のやや南寄りに位置する漁港である。美しい砂浜も広がり,年間を通じて外洋の波を求めるサーファーが集まってくる。
ブリガム・ヤング大学(BYU)のマリオット・スクール・オブ・マネージメントは,MBA(経営学修士号)などの学位が得られる大学院であり,企業倫理を強調する教育機関としては全米2位の評価を受けている(『ウォールストリートジャーナル』,2003年9月17日号)。
金城澄江姉妹が大学病院で看護師として働き始めたばかりのころだった。親に黙って中絶手術を受けた19歳の女性の容態が悪くなり,最終的に手遅れの状態で大学病院へと搬送されて来た。
忘れもしない1966年2月2日,今からちょうど40年前のことである。24歳の大平八紘青年は仕事の合間に3時間ほど時間ができたので,長崎県美術館で開かれていた写真展を見に行こうとバスに乗った。
十二使徒定員会のヘンリー・B・アイリング長老がこの度日本を訪れ,2月25・26日の名古屋西ステーク大会を管理した。地域会長会第一副会長のデビッド・F・エバンズ長老と,地域七十人の中野正之長老もともに名古屋を訪れた。
「回復の預言者」ジョセフ・スミスにより世に出され,今や106言語・年間500万部が印刷されるモルモン書。2005年夏,この特別な書物を年末までに読み通すよう,ヒンクレー大管長は全世界の聖徒に呼びかけました。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長から,昨年8月号のリアホナを通して全世界の会員に向け,年内にモルモン書を通読するようチャレンジされ,実行するならば,さらに豊かに主の御霊が注がれるでしょうと約束されました。
今から18年ほど前のある日,ニブリー・能栄姉妹は,東京で教会の大会に出席するために,当時所属していたイングリッシュワードの会員であったギルバート家族の後ろを歩いていた。
「2004年の暮れ,義父が病気のために亡くなったと知らされました。わたしは,自分の両親が生きている間に福音を伝えたいと強く心に感じ,毎日祈り続けていました。」
2005年はわたしにとっては大変な年でした。今までに経験したことのない病にかかり,ほとんど1年間は不調の日々を過ごしました。まったく根気がなく疲労がひどく,人とは会いたくなくだれとも話したくない。
ある朝わたしは,いつものように息子を学校に送り出し,小さくなる後ろ姿を3階の窓から見送っていました。いつもは半年あるつわりが1か月早く治まり,穏やかな気持ちで初夏の風を感じていました。
「モルモン書を読む競走をしようか」と,10月のある日,主人が持ちかけました。ステーク会長の訪問で,再度「ヒンクレー大管長のチャレンジをやりましょう」とお話ししてくださったからでした。
昨年8月,ゴードン・B・ヒンクレー大管長から『年内にモルモン書を完読するように』というチャレンジが出されました。わたしはすぐにそれに従いましたが,第1ニーファイの途中で読むことが段々面倒になり,やがて中断してしまいました。
モルモン書を読んでいて,いつも感じることがあります。挿絵がないので,読んでいるときにふっと,そこの箇所の主人公を見失うのです。皆さんはどうですか。そういうことありますでしょ。これを改善する方法を見つけました。
太平洋戦争中,グラマンと互角に張り合った名機と謳われる海軍の“2式飛行艇”という飛行機がある。当時,その開発を陣頭指揮していたのが阿久根豊兄弟である。
伝道への召しの手紙が届いたと母親から伝えられた高地拓真兄弟は,それを開封するために急いで家へ向かった。自転車を走らせながら何度も祈った。「どうか韓国に召されますように……。」
世界初の蒸気機関車は,と問われれば,多くの人がスティーブンソンのロケット号,と答えるだろう。ところがスティーブンソンに先立つこと四半世紀,リチャード・トレビシックが世界で初めてレールを走る蒸気機関車を製作したことはあまり知られていない。
福岡神殿の扉を開けると,目を輝かし意気揚々と歩き回る兄弟に出会う。岡田豊章第一副神殿長だ。半年に渡る癌の治療を受け,現在も通院し経過を観察しているとはとても思えない溌剌さだ。
伝道本部のことを英語で「ミッション・ホーム」という。神戸の港を見下ろす六甲山の登山口近く,神戸ワードに隣接する旧神戸伝道本部の広い建物に,今,2組の夫婦宣教師が住んでいる。
青森の高校で寮生活を送っていた東光明兄弟にとっていつも気になるものがあった。それは親友が持っている一冊の本だった。彼は様々な教会を巡っては神様について深く考え,たびたび東兄弟に学んできたことを教えてくれた。
愛する日本の聖徒の皆さんへ わたしたちは皆さんとともに,日本における教会の発展とその力強さに対し,喜びを表明します。
日本東京発――若きウィリアム・R・ワーカー長老が1960年代の中ごろに日本で伝道していたとき,日本の教会は29の支部が全国の都市に散らばっているだけだった。
本年度の英語スピーチコンテスト全国大会からは,地域社会で家族のきずなを強め,家族に対する価値観の向上に貢献した個人や団体を表彰する「F a m i l y Value Award」(ファミリー・バリュー・アワード)の贈呈式典も併催された。
沖縄においても11月3日(木)に宜野湾ステーク・センターで2ステーク合同のセミナリー・グランプリが行われ,その活動の一環として,第1回沖縄県ファミリー・バリュー・アワードの授与式が行われた。
5人の天才ピアニストの両親になるというのはどんな気持ちのするものだろうか。ユタ州在住のリサ・ブラウン姉妹はよくこう尋ねられる。「5人のお子さん全員をジュリアードに入学させるなんて,どうしたらできるのですか?」
21世紀を迎えたここ数年,日本で,世界で,教会堂の建築デザインが次第に変化しています。きわめて現代風でシンプルだった従来のシンボルタワーが装飾的な尖塔に替わるなど,外観にも内装にも違いが見られます。
2000年のことである。前年示された新しい施設運営の方針に基づく「建築標準プラン」のビジョンを見せられ,教会地域設計士エリアアーキテクトの吉村信之兄弟は信じられない思いであった。
ハーバード大学ビジネススクールの教授であり,地域七十人としても活躍しているクレイトン・クリステンセン長老を招いてのシンポジウムが9月1日~3日に東京と大阪で開催された。
もし今,海外日本人学校教員採用試験を受けたいという後進の教会員がいたら?と問いかけると,山崎弘貴兄弟は「やめろ,と言います。」あれれ?と思うこちらにこう続ける。
沖縄本島から南へ約320キロに位置する宮古島。その宮古島から西へ5キロの亜熱帯に属する小さな離島,伊良部島。7つの集落に約7,000人が住んでいる。
「親に連れられて教会には来ているけれど,別に教会に来たくて来ているわけじゃない」「証がない」「教会に来ても楽しくも何ともない」「部活や遊びの方が楽しい」「何で教会で熱心にやるのか分からへん」──率直な青少年たちの声。
60 年前の太平洋戦争末期に,悲惨な戦場となった沖縄。幾多の悲しい歴史を刻んできたこの美しい島の人々に主は大きな愛を注いでこられました。
1956年4月に同僚のC・リロイ・アンダーソン長老とわたしは沖縄への最初の宣教師として東京竹芝桟橋たけしばさんばしから白山丸に乗船し,沖縄に向けて出発しました。
「The Scholastic Art & Writing Awards」は,アメリカにおける芸術や文芸に秀でた青少年の作品のコンテストであり,教育機関と協力しながら80 年の歴史の中で様々な生徒の表彰を行ってきた。
沖縄でも伝道が始まる以前から,末日聖徒の軍人らが数人にバプテスマを施していた。その最初の邂逅について次のようなエピソードが伝わっている。
50 年前から備えられていた主の業1956 年12 月19 日,アンドラス伝道部長は普天間支部の土地を購入した。
ぼくも2世なので,「教会に行ったほうがいいよ」「祈ったほうがいいよ」「聖典を読んだほうがいいよ」って周りの大人たちに言われたからやるという感じでした。
1956 年の夏,改宗する前の28才の安里治子姉妹は病弱な体の治療のため病院へ通っていた。
法政大学大学院の諏訪康雄教授は,厚生労働省が識者に依頼して設置し,政府の施策の方向性に強い影響力を持つ「仕事と生活の調和に関する検討会議」において座長を務める。
6月に新たにステーク会長に召された楠目克美兄弟の仕事は空間プロデューサーである。
チデスター・宮里・悦子姉妹は沖縄の久米島出身で,現在は米国ユタ州在住である。
平野拓也兄弟は,間もなく転職して働くことになる,IT関連の大企業が入居しているオフィスビルのロビーに姿を見せた。
アラン・オブライアント兄弟は,外資系保険会社で取締役社長を務めるほか,関連会社3社の代表取締役会長も兼務する多忙なビジネスマンである。
教会では昨年より「ワーク・ライフバランス」をテーマとして様々な活動に取り組んできた。
6月に開催されたスペシャル・オリンピックス沖縄大会の期間中,沖縄で伝道している宣教師がボランティアとして参加した。
勢志真理子姉妹の祝福師の祝福文の中には「たくさんの人を神様のもとへ導く」と書かれてある。その祝福の言葉に従うように,宣教師として伝道へも赴いた。
わたしたち日本の同胞が,回復された「福音の教義と神聖な儀式」と「キリストの聖い贖い」とによって,「永遠の家族」に結ばれるよう,主の喜びのおとずれを,祈りと断食と愛をもって分かち合いましょう。
日本東京神殿が奉献されてから四半世紀を刻む今年は,同時に,日本人初の神殿団体参入がハワイで行われて40年,日本福岡神殿奉献5年の節目に当たる年でもあります。
(1968年)当時,アメリカのカリフォルニア州にある大学に留学中だったわたしは,学生ばかりのワードに集っていました。
1972年に帯広で改宗した河田兄弟は,高校を卒業した後,家を継いで農業に従事する決心をした。
この6月初旬,七十人会長会のチャールズ・ディディエ長老が来日し,東京・町田両ステークのステーク大会を訪問したほか,日本と韓国の伝道部を巡回した。
改宗して間もなくのころ(1980年前後),系図活動の存在と重要性を知り,わたしも始めようと決心しました。最初に試みたのが,父方の祖父の除籍謄本を取ることでした。
わたしたちは15年前に主人の仕事でアルゼンチンの日本人学校に行くことになりました。
末日聖徒であるビジネスの先達に助けられた今,後進に道を備える
映画『レガシー』の冒頭で,こんなスーパーインポーズが流れます。
春雨が新緑を静かに揺らす安息日。2005年5月1日,新築された熊本ステーク大分ワードの教会堂に167人が集い,地域会長会から第一副会長のウィリアム・R・ワーカー長老を迎えて奉献式が執り行われた。
漆原恵美子姉妹はソプラノ歌手である。短大を卒業,一旦社会人となるも,音楽の道を追究することを決意して東京芸術大学に入学する。
神様の教会が日本で,固く,力強く築かれるためには,どのようなビジョンと,考えと,思いをもって信仰を育んでいけばよいのでしょうか。
「子育てひろば」毎週火曜日の午前中,閑静な住宅街の中にある静岡県浜松市の教会堂には小さな子どもを連れたお母さんたちが集まってくる。
長野でのスペシャルオリンピックス国際大会(知的障害者のためのオリンピック)には教会から約50人の会員がボランティアとして参加した。
西原正行兄弟・純子「アダムとエバが最初に携わった仕事はなんだか知っていますか。」高校生のときに改宗した西原正行兄弟は,当時,面接で支部長からかけられた言葉を今も忘れられない。
1957年,小樽。民家を借りて集会をしている小樽支部の暖房はコークスストーブである。コークスとは石炭を乾留(蒸し焼き)したもので,通常の石炭より無煙で火力が強い。
少年のころ,友達と野球をしていたときのことです。わたしの打ったボールが公園のフェンスを越えて,隣の家の大きな窓ガラスを割ってしまいました。
1976年にブリガム・ヤング大学によって制作された『最初の示現』という映画は,14歳の少年ジョセフの経験を描いたもので,教会員の間で長く親しまれてきた。
世界8 4 の国や地域から知的障害のある選手たち約2,600人が参加した,スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会が,3月5日に閉幕した。
高崎第1ワードに集う萩本信美兄弟(72歳)と妻の昌子姉妹はこうじ作りの技術を農業に応用した微生物・酵素農法を20年以上続けている。
吉田博兄弟は,新潟県で中高一貫教育を行う学校で校長の職に就いている。県立の中学校と高校を通じて教育が行われているユニークな学校だ。
2002年5月,松江ワードでは「地元の有名人」が改宗した。石野賢吉兄弟である。
教会の開拓者であり,アジアで最初の祝福師である渡部正雄兄弟が2月6日(日)早朝,(日本時間2月6日夜)ユタ州オレムの自宅で安らかに息を引き取った。
旭川に住む安田琢三長老と妻の道子姉妹は4男2女の6人の子供に恵まれている。
昨年,日本列島は10回の台風上陸による風水害と,新潟県中越地震という度重なる自然災害に襲われました。
かつて東京-新潟間を結ぶ幹線道路だった国道17号線。新潟県の教会員が完成間もない東京神殿に通ったこの道路を走ってみた。
新潟地方部/新潟支部の長老定員会会長でもある大矢重幸兄弟は,12月26日のスマトラ沖地震による津波被災者の援助のため,30日から1月12日までの2週間にわたって国際緊急援助隊医療チームの医療調整員として派遣された。
昨年12月の第2日曜日。八代市上空は早朝から厚い雲に覆われていた。
徳留清弘長老は車いすの宣教師である。自宅に住み,地元で週に32時間以上奉仕する専任宣教師として召されている。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,ソルトレーク・シティーから衛星放送を通じて日本の聖徒に語った中で,日本での経験を回想し,その国の人々に抱いている愛を表した。
社会貢献支援財団が主催する社会貢献者表彰式典が11月15日に東京全日空ホテルで行われ,特別分野の功績として「ハッピーファミリー賞」を,熊本ステーク坪井ワード所属,岸英治・信子ご夫妻と10人の子供たちの一家が受賞した。
「仕事と生活の調和」をテーマとしたシンポジウムが11月19日(金)に東京・新宿の京王プラザホテルで開催された。
ハーバード大学ビジネススクール学部長にして帰還宣教師でもあるキム・B・クラーク兄弟が来日し,12月10日,民主党本部での議員を対象とした朝食懇談会に講師として出席した。
「こんな人がいたらいいね。」比嘉リミ子姉妹は二人の娘と楽しく話しながら理想の人物像を想像していた。
去る12月10日,東京神殿のシンボルタワーに天使モロナイ像を設置する工事が行われた。
福音の価値観に基づいたビジネス書としてミリオンセラー(販売部数100万部以上)を記録している『7つの習慣』の著者であるスティーブン・R・コヴィー兄弟が来日し,塩谷立文部科学副大臣との懇談会が11月21日に開催された。
ここ福島県いわき市の桜は東京に比べて10日ほど遅い。
子供4人は神様からの授かりもの,と改宗する前からぼくは妙に思っていたんです。
モンゴルは草原の国である。 日本の4.1倍の広さの国土に人口は約 241万人,そのうち 3 割が今も草原で遊牧生活を送る。 雨は少なく乾燥していて,2,3か月ほどの短くさわやかな夏と,寒いときはマイナス40度にもなる長い冬がある。
去る5月  11日から  15日までブリガ ム-ヤング大学ブロポ校家族・家 庭・社会科学部副学部長で家族生活学科 教授のジェームズ .M. ハーパー博士が来日した。
千葉ステーク成田ワードのセミナリー・クラスは毎朝5時45分に始まる。
今日,アメリカなどではデータベースから先祖の探求ができるほど 家族歴史の業におけるコンピューター化が進み,その潮流は日本を含む世界に広がりつつあります。
「警察を呼びますから!」そう言ってドアを閉められた。
地域福祉部は,地元の指導者と教会員が霊的福利(自分自身を霊的に強めようとするあらゆること)と物質的福祉(貧しい人を助けることと自立すること)にかかわる原則を理解し,生活に取り入れることができるように支援します。
ユタ州レイトン市に住むブリムホール千香子姉妹の実家は熊本にある。結婚してからはそうしばしばは帰省できなかったが,今年の3月やっと帰省することが出来た。その時,夫であるベン兄弟が携えていったスキャナーによって家族の貴重な記録が保存された。それから2週間後に熊本地震が起きたのである。
エリアプランに含まれる、「自立」についてアジア地域会長会の山下長老にお伺いしました。 わたしたちには物質的な自立だけではなく、霊的な自立も必要なのです。
「天のお父様は不思議なことをなさいます。わたしたちはいいことをしようとするときに祝福を受けます。頂いた祝福に恩返しをしようとすると,また祝福を頂いてしまいます。」頂いたパンに感謝して天の御父に返すと,バターが付いて返って来る。
2015年5月7日、東京・吉祥寺の武蔵野ステークセンタ―において行われたアジア北地域会長会によるシニア年代の夫婦を対象としたシニアカップル・ディボーショナルの様子をお伝えします。
わたしの召しはとてもすばらしいものだと思っています。なぜなら,毎週異なるワードに集ってアロン神権者たちと会うことができるからです。」リッド兄弟は壇上からこのように話し始める。