リアホナ 2005年4月号 福音とともに土に生きる2 決心をし,一歩を踏み出すとき主の助けが

    福音とともに土に生きる2  決心をし,一歩を踏み出すとき主の助けが

    安息日を守る農家の祝福をかみしめて──

    西原正行兄弟・純子「アダムとエバが最初に携わった仕事はなんだか知っていますか。」高校生のときに改宗した西原正行兄弟は,当時,面接で支部長からかけられた言葉を今も忘れられない。「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き,これを耕させ,これを守らせられた。」(創世記2章15節)引用された聖句から,農業のすばらしさを感じることができた。高校を卒業し,西原兄弟は家業の農家を継ぐことになる。

    「何としても教会に集う」

    祖父が農業を始めたのは蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山の南麓にある真狩村だった。親戚の中でも十勝に移って来たのは西原兄弟の家だけである。それだけに両親が親戚の助けなしで農作業をする姿を子供のときから見ていたし,そのつらさはよく理解していた。妻の純子姉妹は農家の出身ではないが,農業は決して甘くないということだけは知っていた。「独身のときに,『西原兄弟はいい人だけど,農家だからね』とよく話していました。」農業や酪農に携わる教会員にとっては,仕事自体もさることながら,主の戒めを守るのは決して簡単ではない。

    「安息日に教会へ行くのがとても難しい,大変な時期が約十年ほど続きました。わたしもだんだんと気持ちが弱くなりかけ,行けるときだけ頑張って行けばいいか,というような気持ちを持つことさえありました。」多忙を極める西原兄弟にとって,教会へ行けない理由はいくらでも見つけることはできた。

    短大生のときに友人からの紹介で教会を知った純子姉妹はこう振り返る。「小さいころから神様を信じていましたし,方法は知りませんでしたが,自分のやり方で祈ったりもしていました。ですから友人から教会のことを聞いたときには,とにかく行きたい気持ちでいっぱいでした。」安息日に教会へ集うことを楽しみとし,信仰生活を送っていた純子姉妹。ところが,農業に携わる西原兄弟と結婚することで,独身のときのようには簡単に教会へ集うことはできなくなった。

    二人とも安息日を守りたかったが思うにまかせず,「何度も涙を流しながら話し合った」という。ちょうどそのころ,監督から面接でこう切り出される。「一緒に神様の仕事をしてほしい。」その言葉は,西原兄弟の心を強く揺さぶった。

    「監督と副監督の兄弟を見る度にとても眩しい存在に感じていました。こんな人たちと一緒に責任を果すことができたらきっとすばらしいだろうと思っていました。」監督の言葉をきっかけに,「何としても安息日に教会へ集う決心をした」と西原兄弟は話す。今から約7年ほど前のことだ。「妻の,ほんとうに教会へ行きたいという気持ちをひしひしと感じていました。そのときの監督の声が背中を押してくれました。監督の一言がなければ今の自分はなかったと思います。」その後,西原兄弟は副監督に召され,もう一人の『眩しい存在』だった副監督が監督に召されてからも再び副監督として奉仕している。「今でも監督には迷惑ばかりかけています」と西原兄弟は小声で話すが,責任を果たす喜びはいつも感じているという。

    知恵と努力をもって

    西原兄弟は安息日になかなか集えなかった自身を振り返り,次のように話す。「理由をつけようと思えばいくらでもつけることができます。しかし,わたしは妻が行きたいならば必ず連れて行ってやろうと決心しました。行けなかったのは自分の知恵と努力が足りなかったのだと思います。」

    西原兄弟姉妹がいくら決心したとはいえ,作物を育てるうえで解決しなければならないことは多くあった。作物も雑草も安息日に関係なく成長する。「この近辺の人はじゃがいもを多く作るのですが,うちは少なくしています。収穫の作業も一気にするのではなく,長い時間をかけて行うようにしました。金時豆を作っている農家も多いのですが,すごく天候に左右される作物です。それを作りますと安息日の天候によって教会へ行けなくなることもありますので,今はやめてほかのものを作るようにしました。安息日を守るために,作物を選ぶことでも知恵を使い工夫しています。若いときから教会の責任を果たすうえで計画性を持って行うことを経験していますので,教会を通して学んだたくさんの原則を生かすことができます。知恵を使って工夫しなければ絶対にうまくいきません。」

    畑に使う機械を買うときも,教会の教えに従って借金をできるかぎり避け,慎重に判断しているという。「仕事が楽になるという安易な気持ちで買う人もいますが,計画性がなければ失敗します。」

    また,農家では互いが保証人になって農業経営することが多い。西原兄弟もその例にもれないが,最近では保証人になった相手の農業経営がうまくいかず,優先的に相手方の土地を貸してもらう機会も増えている。その結果,畑も大きくなり,周囲の信頼も高まっている。「神様が安息日を守り,忠実であれば祝福を与えてくださるという言葉はほんとうだと感じることを何度も経験しました。今はそれを確信して力強く安息日を守ることができます」とす西原兄弟姉妹は,安息日の祝福を強く実感している。

    天使の草取り

    「今から4年ほど前のことです。ビート(砂糖大根)を作っていました。その年は雑草が多く,草取りの作業をわたしと業者の人でやっていました。ところが,土曜日になっても終わりません。だいぶ雑草が茂っていたので,翌日の安息日に教会へ行くのもためらわれるほどでした。しかし,一度安息日を守る決心をしていましたから,とにかく教会へと向かいました。雑草を見ながら『あと3日はかかるかな』と思いながら教会へ行きました。天気も良い日でしたから,教会から帰っても畑のことが気になっていました。畑に行って,少しのぞいて見ることにしました。」

    畑が心配で気持ちが抑えられず,畑の端から雑草を確認しながら歩き始めた純子姉妹。自分で草を抜いた場所は当然きれいになっている。そして,雑草のある場所へと足を進めた。「あれ? と思いました。確かこの辺だったのにと思いました。」端から見て回ったが,どこにも雑草はなかった。3日もかかると思われていた雑草が,すべてなくなっていた。「畑の中を歩きながら何度も確認しました。涙があふれてきて,泣きながら畑の中を歩きました。(雑草は)跡形もありませんでした。」── 安息日を守ることで「神様が助けてくれた。」そう思うとなおのこと涙が止まらず,畑の中で泣き続けた。西原兄弟姉妹は,そのときの経験を「天使の草取り」と表現する。

    農家の祝福

    西原兄弟は「農業をしている人は,日本だけに限らずアメリカでもそのような経験をしている人は多いと思います。世界中で農家の人は同じようなことを経験していると思います」と話す。いつか農業に従事する教会員が集まって,その経験を分かち合う「農業サミット」のようなものができたら楽しいだろうと西原兄弟は目を輝かせる。「ワードの中や近隣に農業や酪農に携わっている人もいますが,皆さんの苦労は強烈なほどです。安息日を守るために知恵を使っています。それぞれの方がほんとうに努力されていて立派ですし,それぞれすばらしい経験を持っているはずですから。」

    「農家の祝福」と前置きして次のように西原兄弟は続ける。「イエス様は聖典の中で植物を使ったたとえを多く使っています。麦と毒麦の話でも,石地やいばらに落ちた種でも,わたしたちは仕事の中で常にそのような現場を見せられます。ですから,そのたとえの真意を理解することができますし,ほかの人にも分かりやすく伝えることができます。」あるとき日曜学校で西原兄弟は生徒に質問した。「小麦はどうやったらいちばんとれるか知っていますか。」収穫するためには様々な栄養も欠かせないが,強い麦を育てるために必要なことは昔から行われている「麦踏み」なのだと教えた。「これをしなければ,ひょろひょろとした弱い麦になります。上から強く踏まれることで麦は強く育ちます。麦が育つために踏まれることが必要なように,わたしたちの人生でも麦踏みのような試練が必要です。」畑には人生の教材があふれている,と語る西原兄弟。

    また,周囲で農業を営む教会員についても尊敬の念を込めて語る。「自分たちには先駆者がいます。先駆者となっている兄弟姉妹の姿を見ると,その努力が並大抵ではないことが分かります。彼らと比べたらわたしたちなど苦労のうちに入っていません。わたしたちは

    彼らから学んでいるだけです。すばらしい教会員との出会いがあり,その関係を通して神様のために一生懸命働こうという思いが強まってきました。安息日を守ると決心して,その一歩を踏み出すことによって次々と助けがありました。人生は試練ばかりではありません。試練は乗り越えるためのものですから。」そう語る西原兄弟姉妹自身も,知恵を使い,試練を乗り越え,すでに信仰の先駆者としての一歩を踏み出しているのである。◆