リアホナ 2005年3月号 福音とともに土に生きる1 主の創造された大地の運行のように

    福音とともに土に生きる1 主の創造された大地の運行のように

    有機微生物農法に取り組んで20年,萩本信美兄弟のスローライフ 

    高崎第1ワードに集う萩本信美兄弟(72歳)と妻の昌子姉妹はこうじ作りの技術を農業に応用した微生物・酵素農法を20年以上続けている。微生物の酵素は土中の有機物を分解し,化学肥料にはない有効成分を生成する。より有用な微生物を選別し積極的に利用していくことで土壌を改良し,化学肥料や農薬の使用を極力抑え,作物の味と収穫量を向上させる農法に取り組む萩本兄弟に,地元農業従事者との協働,農業の魅力などについて伺った。

    「ノーエル農場」の風景

    埼玉県児玉郡上里町は埼玉と群馬の県境に位置する。晴れた日には西から北に向かって浅間,榛名,赤城,足尾,遠くは日光の山々をはるかに望み,北の大動脈,上越北陸新幹線と関越自動車道が交差して走り,高崎線が町の真ん中を貫く,文字どおり現代の交通の要衝だ。その高速道路と新幹線に挟まれた地域の一角に萩本兄弟が主宰するノーエル有機グループの活動拠点がある。自分たちで建てたというプレハブの作業場には所狭しと農機具が並び,中ほどには薪ストーブが置かれている。「時代の最先端,経済活動の象徴に囲まれ,皆が急いでいる中でのんびりと農作業をするのは好対照でおもしろいです」と薪をくべながら萩本兄弟は語る。足もとの薪がなくなると,不要になったフォークリフト運搬用の木製パレットを電動ノコギリで切り刻み新たな薪を生産する。無駄がない。プレハブの外では黒い子豚が駆け回り,猫がうろつき,鶏が鳴く。ここでは確かに,時間がゆったり流れているように感じる。ノーエル有機グループは萩本夫妻をはじめ,定年退職した教会員や地元の人々によって運営されている。現在は萩本家の土地18アール(1,800平方メートル)と近隣農家から借り受けた3.5ヘクタール(35,000平方メートル)の土地に,季節に応じて小麦(種小麦),大根,ネギ,米などを作付けする。黒豚,鶏も飼育し,猫十数匹は入ってくるままに任せている。「託児所ならぬ託地所です。皆さんの,神様の土地をお預かりして少しでも生かせたらいいなと。子供と違って泣いたりしなくていいですよ。」農家にとって土地は財産でもあり,重荷にもなっていると萩本兄弟は言う。「先祖から受け継いだ土地ではないのでわたし自身に重圧感はないです。それがかえって気楽にこの仕事に携われる理由かも知れません。」クリスマスの“ノエル”と“農得(る)”をひっかけてノーエル有機グループと名付けたのも,“農村”が農業は損をする“農損”となっている実情を打破したいからだった。

    地域の信望を受け,50歳で農業へ転向

    戦後,国の将来が混沌としていた時代,萩本少年は農業で身を立て,ブラジルなど海外に進出して成功を収めようという夢を持っていた。中学卒業後,(1948年)自由学園那須農場の農学塾に第3期生として入塾。ここで農業の基本的な技術を身に付ける。先生の中には,終生また永遠の盟友となる田中健治兄弟(後にアジア初のステーク会長に召される)がいた。「無我夢中で覚えました。」と萩本兄弟。農業を本気でやるなら土のことを学ばなければならない,と田中兄弟から勧められ,微生物農法を学ぶための研修会に参加する。そうした師弟の交わりの中で福音を紹介されて1958年にバプテスマを受ける。やがて田中兄弟が興した会社の農機具を販売して農家を回るようになり,上里町で農業を営む澁澤武三氏と出会うことになる。澁澤氏は若くして農協で理事を務めた有能な人物で,後継者難にあえぐ農業の未来を憂え,早くから生活協同組合などと協力して産地直送システムの確立に努め,魅力ある農業の再生に力を尽くした。実際に埼玉産直センターを立ち上げた功労者でもある。その澁澤氏の著書にも萩本兄弟は登場する。

    「私も微生物農法に入る前は,如何にしたらより良い『土作り』ができ,病害虫の発生を抑えられるかと,その方法を夢見て東奔西走していました。その時,二人の訪問を受けたのです。一見したところ,何者だろうかと思いながら,時候のあいさつを交わしてみると,もの静かな落ち付のある言葉使い。……私自身,積極的に質問する始末で,結果的には指導を受けることになってしまいました。この二人の方は名は田中,萩本の両氏で……萩本氏は現在,産直センター直営の有機発酵肥料工場で肥料作りの委託業者ともなって活躍していただいています。業者というと,まず利益追求の人物であると想像し,一応,一歩さがって警戒するのが常ですが,萩本氏はそのような一般業者と違って,『馬鹿正直』といいますか,暴利を追求することなく,何をまかせても安心できる人です。私との交流も二十数年を過ぎていますが,何一つ今だにトラブルも起きていません。」(澁澤武三著『土は命──埼玉産直センターからの提言─―』96-97,1990年,生活ジャーナル刊)

    澁澤氏に「馬鹿正直」「何をまかせても安心できる人」と言わしめた萩本兄弟は,上里町の農家から篤い信望を得,1982年に700坪の土地付家屋を借り受け高崎から上里町に転居。上里町の農業者(農業への転向)認定第1号として本格的に農業への取り組みを始める。「講釈ばかり言っていないでどんなものか自分でやってみろ,田んぼが空いてるから,と言われました。」放棄した農地が藪や荒地になっているのを見て,開墾の経験もある萩本兄弟は心が痛んだという。「子供たちを養うために汗をたっぷりその土地にささげていた,その人たちの思いをむなしくしてはならない,と思いました。」

    自営の農機具販売店から農業へ,夫の50代の転進にも昌子姉妹は「夫に従うだけです。」と屈託がない。一時はお金に困ったこともあったが「お米がないときにはもち米が届いたり,必ず助けがありました。」萩本兄弟の働きは微生物農法の普及,指導,実践にとどまらなかった。時には町役場から依頼された蜂の巣の駆除や,水路の掃除もこなした。ノーエル有機グループでともに働く浜田哲兄弟はこう語る。「萩本兄弟は自分の仕事が1か月遅れ2か月遅れになっても,それを後回しにして人の仕事をやるんです。」澁澤氏が立ち上げた産地直送システムと,萩本兄弟が指導し,自らも実践した微生物農法による酵素肥料の組織的生産・供給により上里町の農業はよみがえった。産直センターに加盟する約250の農家では,現在,若い後継者が育ち活発な生産活動が営まれている。

    「慌てず焦らず侮らず……」

    大根は秋に作付けし冬に収穫する。収穫の最盛期を迎えた大根畑に案内してもらう。浅間山,榛名山,赤城山など上信越火山群の噴出火山灰からなるローム層は,長年にわたって微生物による土壌改良がなされ,大根を豊かに産している。畝と畝の間はふわふわした感触で踏みしめると足が包まれるように沈み込む。大根はほんの少し回しただけでスポンと抜ける。この日,グループのメンバー3人が午前中で収穫した大根は約400本。40×50メートル(約20アール)の畑から大体3,000本収穫できるという。「1本80円として20万くらいでしょうか。みんなの手間代になればいいと思っています。あとはおいしいおかずが食べられます。農業はそんなものですよ。」萩本兄弟は,みんなと一緒にできればそれでいい,大勢の人たちと働くことが楽しいし,与えられた場で精いっぱいのことができればそれがいちばん,と語る。

    「よほど先端的なことをしないと農業でお金儲けはできません。」農業は,毎年大きな投資をして作付けをしながらも,天候など,人の力でどうにもならないものに成否を大きく左右される投機性の高い仕事と言える。しかし,萩本兄弟は達観している。「物事がつまずく原因は過剰な危機意識によって自分の姿勢が崩れるところにあります。危機意識は大切ですが,自分の本来あるべき姿を見失うと不信感が募り,サタンはそこに楔を打ち込みます。慌てず焦らず侮らず,もう一つ加えると当てにせず,です。」地を造られた主への信頼を基盤にして,大地の運行にも似たゆったりとした思いで農業に取り組む萩本兄弟。まさに冒頭に語るとおり,上里町を走る新幹線や高速道路のように目まぐるしく,勝ち組,負け組,とかまびすしい世間の経済活動とは好対照である。

    福音と農業

    農業には福音の原則を多く見て取ることができる。「『涙をもって種まく者は,喜びの声をもって刈り取る。種を携え,涙を流して出て行く者は,束を携え,喜びの声をあげて帰ってくるであろう。』(詩篇126篇5-6節)という聖句は農業と人生そのものの原則です。種をまくときにはだれでも,この種が良い実を結ぶようにということで祈りと希望と信仰をもってまくわけです。そうすればアルマ書32章の原則によって喜びの実を刈り取ることができます。」

    高崎ステークの祝福師の召しを現在も果たしている萩本兄弟はこう続ける。「人生は神様の御手によって成り立っている,ということを自覚する機会が多ければ多いほど喜びを実感できます。農業をしながら聖文を読むと,なるほどそのとおりだ,まったくそのとおりだ,と感じます。人間は一生が1サイクルですが農業は1年が1サイクル。改める機会がたくさんあります。そういうことを学べるという意味では,農業は良い職業です。」昌子姉妹も異論はない。「農繁期は朝早くから夜遅くまで働かなければなりませんが,恵まれている仕事だと思います。」

    『わたしが地の基をすえた時,どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。……かの時には明けの星は相共に歌い,神の子たちはみな喜び呼ばわった』(ヨブ記38章4節,7節)主がつむじ風の中からヨブにお答えになった部分を引用しながら萩本兄弟はこう結んだ。「このときの喜び呼ばわった気持ちをいかに思い出すことができるかが重要です。この地上に来て肉体を頂けたという喜びをかみしめれば,どんなにつらいことでも冷静に受け止めることができます。わたしは90歳まで現役のつもりです。モットーは死ぬまで元気,死んでも元気。元気,元の気とは喜び呼ばわったときの気持ちです。」

    「将来は教会の福祉農場のようにできればいいなんて思っているみたいです。」萩本兄弟の夢を傍らで支え続けてきた昌子姉妹はそう付け加えた。◆