リアホナ 2005年3月号 この町に末日聖徒8 農業と剣道で育む子供たちとのきずな

    この町に末日聖徒8 農業と剣道で育む子供たちとのきずな

    岡山ステーク松江ワード 野津ご家族

    2002年5月,松江ワードでは「地元の有名人」が改宗した。石野賢吉兄弟である。現役時代は地元の警察職員としての事務職のかたわら,腹話術や物まねの特技を生かした交通安全や防犯などの広報活動に長く従事してきた。58歳で定年を迎えるも,その特技にさらに磨きをかけ,あちこちの学校や企業・福祉施設・地域社会・テレビなどから公演の引き合いが絶えない。鳥の鳴き声から赤ちゃんの泣き声まで自在に繰り出し,「言うこと聞くのゆう子ちゃん」「交通安全の交ちゃん」「おしんちゃん」などの人形が腹話術でなつかしのメロディを熱唱する。観客は時に笑わされ時に泣かされながら絶妙の芸を堪能することになる。

    その「公演」だが,バプテスマを受けたころから「講演」と銘打たれるようになった。島根県生涯学習講師として,「泣きと笑いの人生」と題し得意の芸を披露しながら,歌い,笑い,涙を流すことの効用を説く。「親の恩,先祖の恩,会社の恩,すべてに感謝して大泣きに泣いたとき,すばらしい世界が見えてきます。」心から笑い,泣くときには,免疫機能が活性化され元気になる,という。

    それは,息子の石野明兄弟と二人暮らしだった家庭に,3年前,親子でともに改宗したことで大きな変化が訪れた経験が基となっている。明兄弟は福音の中で結婚し,昨年,赤ちゃんに恵まれた。賢吉兄弟は齢74にして初孫を抱き,感謝の思いに毎日涙を流すという。

    息子の明兄弟は,体を壊して入院していたときに友人の教会員から宣教師を紹介されて福音を知った。そうして松江ワードの野津ご家族と出会うことになる。野津家はご両親に7人の子供たちと,おばあさんとひいおばあさんが同居する4世代11人の大家族である。米作農家である野津一美兄弟は,退院後のリハビリ期にあった(当時)求道者の石野明兄弟にアルバイトとして野津家の農作業を手伝ってもらうことにした。それが縁で石野家との今日の交流がある。「日本は少子高齢化の時代,こんなときにあって野津家は貴重な存在であります」と賢吉兄弟は言う。もっとも野津兄弟姉妹には「明日の日本を背負う」などと気負った様子は微塵もない。

    幸せになる剣道

    島根県立松江農林高校の武道場。竹刀が打ち合う小気味よい音の中,野津一美兄弟が剣道部員に稽古をつけている。158センチと小柄ながら,対戦している姿には身長を感じさせない存在感がある。部員には四女の真由美姉妹もいる。しかし,「道場では親子じゃないものね,お互い『野津さん』なんで,他人です。面を取ればね,お父ちゃんだけど。」一人一人の部員に的確なアドバイスを与え,黙想,礼,と折り目正しく練習が終わる。

    剣道が終わると居合道である。野津兄弟は剣道4段,居合い4段の腕前。居合いも5段以上になると真剣を使うが,4段までは刃の付いていない模擬刀である。もっとも,見た目は真剣と変わらないし,物に当たると切れる。竹刀と違って「いかに斬るか」が問題となる居合道では,斬れる太刀筋で振り下ろさなければならない。古武士の風格で瞑目していた野津兄弟が立ち上がり,抜き身の刀が空を斬ると「ひゅっ」と音がする。緊張感と集中力の持続が求められる武道だ。

    子供たちは小学校に入ったころから全員が父親に剣道を習ってきた。三女の恵美姉妹は剣道初段・居合い2段,四女の真由美姉妹は剣道1級である。剣道の昇段試験は日曜日にあることが多いので,段位が取れたのも,たまたま「5年間で1回だけ土曜日に」昇段試験があったからだとか。

    野津兄弟が教える際の目標は,「幸せになる剣道」。際限なく勝たなければ意味がない,とする「試合のための剣道」ではない。子供の今の状態を把握し,何に迷っているかを見つけ出して助言し,解決していく。「その子が,ああ,分かった!となると,それで世界が広がりますよ。教えるぼくも幸せになれます。教会も一緒です。成長と練度に応じて,ここにも少し,そこにも少し,って与えていかないと。」(2ニーファイ28:30参照)一つの迷いを振り切ってステップを上がると楽しくなる。「剣道でいちばん楽しいのは,自分が成長してるって分かる,ってこと」と恵美姉妹も言う。

    働くことを通じて学ぶ

    こう書くといかにも謹厳実直な父親のようだが,素顔の野津兄弟はまるで違う。「お父さんは『遊び仲間』だよね」とお母さんの美佐子姉妹は評する。子供と一緒に剣道をし,夜釣りに誘い……「遊ぶことばっか考えてる」と笑う。笑い声の絶えない子供たちと会話に興じている様は年齢差を感じさせない。

    親子でともにするのは剣道や釣りばかりではない。子供たちは,家計を支える仕事を親とともにする。野津家の子供たちに小遣いはない。その代わり,農作業を手伝うと報酬が出る。田植えに使う苗床の箱を一つ洗って5円,その箱に泥を敷いて10円,種籾を蒔いて時給幾ら……と決まっている。草刈りなどの大変な作業はそれぞれ時価,お母さんの美佐子姉妹と子供たちとの交渉になる。

    冬季の赤蕪の収穫は非常に厳しい作業だ。雪の日,田んぼに水が流れている悪条件の中で,中腰で蕪を抜き,洗って葉を落とし束ねる。積み上げた赤蕪は漬物屋さんに納入する。「子供たちも途中で泣いてしまう……ほんとうにつらくて。季節的には真冬,11月から2月くらい,そのときは家族総出。ばあちゃんもひいばあちゃんも出て来て。」

    子供が,トラクターで畑を耕し,米の収穫期にはコンバインを運転することも。今は機械化されたけれど,かつては収穫した生籾の袋を運ぶ仕事があった。水分を含むので一袋が36から38キロにもなる。また電話帳配りなどの農閑期の副業を一緒にすると,その収入も子供たちと分ける。「電話帳をワゴンにいっぱい積んでいって,アパートのこの段はだれ,この段はだれ,とみんなで一斉にだーっと配って。」長女の美乃里姉妹はいきいきと楽しそうに語る。「わたしたち親がそれで収入を得ているので,子供が助けるなら報酬を分かち合うのは当然です」とはお母さんの弁。その分,働きぶりが報酬に値するかは親がきっちり査定する。野津家では,金銭感覚を養うことや働くことの価値を言葉で教える必要はない。

    その一方,日常の家事を手伝うのは当然のこととされ,年末の大掃除など特別の場合を除いて報酬はない。二女の美鈴姉妹が小学生のとき学校の課題で詠んだ句に,「帰り道 ゆっくりかえる子守り待つ」とある。当時,赤ん坊だったひと美姉妹や末っ子の光兄弟を見るのはお姉さんたちの役目だった。「やっぱりいやだったんでしょうかね。」今となってはよく覚えていない,と美鈴姉妹は屈託なく笑う。「お母さんにお皿片付けて,って言われたら,お皿を片付けて洗って,ご飯まで仕掛けてはじめて『ありがとう』って言ってもらえる。3つくらい先を読んでやらないと」「3マイル行かないとだめなんですよね(笑)」。お母さんはこう切り返す。「だからねえ,家は楽しくて,おいしいものがあればいいんです。楽ができてはいけないんですよ。楽と楽しみは違いますから。」

    子供には,親の視点で最善の選択と次善の選択を示して選ばせる,と美佐子姉妹は言う。大掃除で風呂場の掃除を300円でさせたとする。「終わった時に評価させるんです。細かい部分がきれいになっていない,これで300円の価値があると思う?と。そこで最後までぴかぴかにして満額もらうか,見たいテレビがあるから,と200円受け取ってそれでよしとするかはその子の選択です。」いずれにせよ,手伝わない,という選択肢はもとより存在しない。「親にとって嫌な選択肢は最初から入れないんです。ですからまあまあいい選びができているかな。」

    親子がともに生活のために働くというのは今日の社会ではむしろ貴重な機会である。おかげで子供たちが思春期を迎えても親子の間に会話がなくなることはない。「一緒に剣道ができたり一緒に働けたりするっていう,それだけで話題になりますよね。」

    「それに親の苦労を少しでも分かれば,尊敬に……つながっていきます」と話す恵美姉妹に,すかさずお父さんのつっこみが入る。「尊敬!? お前,初めて聞いたよその言葉!(笑)」……おおらかで温かい雰囲気に惹かれてか,教会員や求道者,子供の友達もしょっちゅう野津家に出入りして食事をともにする。「泥棒なんか見たことない,家に鍵をかけたことはありません。」11人も12人も一緒,とばかりに美乃里姉妹の友達が1年半ほど下宿していたこともあった。

    元気の素──人のために動くこと

    美佐子姉妹は地元の役所に「顔パス」である。様々な縁によって知り合った,問題を抱える家庭をお世話し,自己破産や生活保護の申請など,行政との仲立ちをボランティアで度々行ってきた。

    「だれかが何とかしてあげないと,自殺しかねない人,一家心中しかねない人が世の中にはたくさんいます。」行政は住民の側から申請を受けなければ助けの手を差し伸べることができない。しかし現実には,ほんとうに助けの必要な人々は法律や制度や手続きなどについてよく知らない。その仲立ちとなって「友人」の立場で支援するのが野津姉妹である。

    「民生委員,というわけでもないんです。役所では,野津さんには何か肩書きがあるといいね,と言われるんですけど,肩書きなどない方が自由に動けますから。」人の生活の,いちばん触れてほしくない面に踏み込んでいく立場であり,崩壊に瀕した家庭を再生するためには厳しいことも率直に伝えるようにしている。そのため憎まれることもあるものの,ほんとうに瀬戸際まで困窮した人々は最後に美佐子姉妹を頼って来る。美佐子姉妹は「じゃあもう任せてくれる?」と確認して,一緒に役所の申請や家屋の処分の手続き,一美兄弟とともに引越しの手伝いまでこなす。

    しかし,「神様からの導きがなかったら……人の考えでは,うまくいきません」と美佐子姉妹。「そういう人たちに出会うと,ああわたしはまだ神様に使ってもらえるんだって。そうするとすごく元気が出てきて。だから人のことで動いているときは元気ですよねわたし。」生活保護を受ける人のアパートを探していたらちょうどいま空いたと電話が来たり,家を処分して入院した人の代理で公団住宅の抽選に行ったらいちばん安い所が当選したりする。「ほんとにねえ,人の力じゃできないですよ。」

    奔走する両親の背中を見て

    野津家では親は人助けにどんどん外へ出て行ってしまう。子供たちは構ってもらえない,と言うよりも,そうした人助けに巻き込まれ「協力させられてます(笑)」という。親がどんな人をどんな状況で助けているか知っているので,留守を守って家事をこなす。「とりあえず,親の背中しか見せてもらわずに育った……」と恵美姉妹は笑うが,そんな親の姿に倣ってか,子供たちも自然と困っている友達にかかわっていくことが多い。不登校の子や学校に溶け込めないで悩んでいる子と「なぜか」友達になっていく。野津家の「気の置けない」雰囲気がそうした子を引き付けるのかもしれない。家に連れてきて一緒に食事をしたり,友達のため下宿探しに奔走したりもする。友達間のネットワークでは,困ったときは「野津のおばちゃん」に相談すれば何とかなる,と言われている。

    美佐子姉妹は言う。「家にいてもお母さんにこき使われるし,学校の方が楽だって子供は言うんですよ。」

    学校同様に,子供たちには教会も「楽しいところ」である。責任に忙しい両親は用事を言いつけることはない。それに,野津家の周囲にはあまり人家がないので近所で友達と遊ぶ機会はないが,教会には初等協会の友達がいる。打ち解けて話せる指導者もいる。「教会では親以外に親しく話せる人が絶対必要なんです。そうなれたらいいな,と取り組んでいます」最近,松江ワードの若い女性会長に召された美乃里姉妹は自分の生い立ちを振り返ってそう言う。託児クラスの教師であるお母さんの美佐子姉妹も異口同音に語る。「三つ子の魂百まで,と言いますけれど,教会はあったかくて楽しいところ,と教えています。」

    さて,肩書きなどない方が……と言っていた美佐子姉妹だが,この2月から肩書きが付いた。松江ワードの福祉コーディネーターに召されたのである。まさに適材適所。「わたしがこの何年かずーっとやってきたことは,まさにその訓練だったんだなあ」と,美佐子姉妹は今しみじみと振り返るのである。◆