イエス・キリストの福音に喜びを見いだす

    イエス・キリストの福音に喜びを見いだす

    ◉ エリアプラン シリーズ #5

    「イエス・キリストの福音に喜びを見いだす」

    アジア北地域会長会第二顧問  チェ・ユーフワン長老

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    ─ 長老の人生で一番幸せな瞬間はいつですか

    崔 長老:

    「わたしにとって,人生で一番幸せな瞬間は,妻と福音について話しているときです。妻と語り合い,証を述べるとき,神の偉大な真理への理解がさらに深まりますし,それまでは理解しなかった神の奥義に気づきます。霊的に高められ,大きな喜びを見いだします。
    また,他の人が改心し,教化され,変わる姿を見るときに真の幸福を感じます。伝道活動をするとき,わたしたちは霊的な幸福を見いだします。主はこう言われました。『あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶことに生涯を尽くし,一人でもわたしのもとに導くならば,わたしの父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか。……もし多くの人をわたしのもとに導くとすればその喜びはいかに大きいことか。』(教義と聖約18:15-16)
    心からの改心は求道者や会員でない人々だけが経験する過程というわけではありません。改心は,既に福音に改宗している教会員も経験し続ける過程なのです。誰かが福音を通して証を強め,生活が変わるのを見るとき,わたしたちはかつてないほど幸福を感じます。この世で最も難しく,気高い業の一つは,誰かの心と思いを動かすことです。人の心が義に向かい,進んで天の御父に近づこうとする姿を見るときにわたしたちが味わう喜びと幸福は,何物にも代えがたいものです。」

    主の視点で見る

    ─どんなに努力しても,愛する家族が福音を拒み,道からそれてしまうことがあります。努力が無駄に感じられるときにも福音に喜びを見いだすにはどうすればよいでしょうか
    「福音に喜びを見いだすには,主の物の見方を理解しなければなりません。例えば,求道者がバプテスマを受けないという選択をしたときにあなたが挫折感を抱いたとしたら,あなたは主の目で状況を見ていないことにないります。主にとっては,求道者の進歩そのものが大きな喜びです。
    ある会員が,二人の求道者にバプテスマを受けてほしいという目標を立て,その目標に向かって最善を尽くしたとします。その会員が全力を尽くしても,求道者が福音を受け入れない可能性もあります。バプテスマを受けるかどうかは,求道者が選択の自由を行使して選ぶことです。その場合でも,きっとその求道者の心に小さな変化が起き始めていることでしょうし,会員が求道者の改心を助ける過程の中で感じた主の愛と御霊こそ成果であると言えます。
    成果が何であるかはわたしたちの見方で決まりません。わたしたちは主の目を通して物事を見るべきです。宣教師が天の御父の目で見ると,愛する求道者が福音を拒んだとしても喜びを胸に伝道活動を続けることができます。『わたしの福音を宣べ伝えなさい』の11ページにあるように『最善を尽くしていてもなお落胆を経験することはありますが,自分に対して落胆してはなりません。御霊があなたを通して働いていると感じるとき,主はあなたを喜んでおられると確信できます。』わたしたちは,主と同じ物の見方をするときに,人々が改心するのを助ける働きの中で,真の喜びと主の愛を感じることができます。
    伝道部会長として奉仕していたとき,伝道部でよくこんなことを話しました。もし求道者が福音を学ぶことや,バプテスマを受けることに『ノー(NO)』と言ったら,それは“New Opportunity”(新しい機会)を表します。天の御父はその求道者を愛しておられるので,福音に近づく機会を引き続きお与えになるからです。教義と聖約第18章10節には『人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい』とあります。

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    全ての人が神の子供であることを覚えておくなら,彼らが今福音を拒んだとしても,他の宣教師を通して後に受け入れるでしょう。この世にいるうちに福音を受け入れなければ,来世で受け入れる機会を得るでしょう。

    わたしたちの旅はこの世で終わりではありません。永遠にわたって続くのです。改心し,変化を経験することは永遠にわたって続きます。神への愛を分かち合うこと自体がわたしたちにとって大きな喜びとなるのです。」

    霊的な幸福

    ─イエス・キリストの福音の中で見いだす喜びは,この世の喜びとどう違いますか
    「ささやかで一時的な幸福はあります。例えば,好きな食べ物を食べたときや,好きなスポーツをするときなどです。しかし,霊的な幸福はとても深遠なため,この世の幸福とは比べ物になりません。この世の幸福が家の美しい外観だとしたら,霊的な幸福はその家の堅固な土台です。堅固な土台がなければ,家を美しく保つことはできません。
    この世の幸福と霊的な幸福は性質が異なります。この世の標準から見た若さや美しさは時間とともに色あせていきますが,霊的な幸福は永遠に続きます。外見や服装の美しさを過度に追い求めると無節制になってしまいますが,より高い霊的な幸福を求めることは高尚さを生み,高尚になりすぎることはあり得ません。
    霊的な幸福は特定の領域でしか見いだせないわけではありません。教義と聖約第29章34節には,『まことに,わたしはあなたがたに言う。わたしにとってはすべてが霊にかかわるものであ〔る〕。』わたしたちが行うこの世の業は,神から見ると究極的には霊的なものなのです。
    皆さんが勉強したり,仕事をしたり,信仰をもって祈って探したりするとき,どうすれば自分の責任をよりよく果たせるか主に尋ねてください。天の御父は,教会の召しを果たすのを助けてくださるのと同じように,日々の生活を送るのも助けてくださいます。職場では上司や同僚に愛と模範を示しながら接してください。福音の原則の基本を実践するなら,人々の信頼を得て,この世の事柄においても成功を収めることができます。聖文研究や教会の召しだけでなく,日々の生活や職場での生活でも霊的な喜びを見いだすことができます。」

    感謝し,喜ぶ

    ─経済的な問題を含めて,教会員はそれぞれ困難に直面します。どうすれば思わしくない状況でも喜びを見いだせるでしょうか
    「特定の状況に置かれたとき,不平を言うことも,感謝することもできます。わたしたちの思いは行動や態度を左右します。苦難の意味を正しく理解すると,直面する困難をもっと喜んで受け入れることができます。
    苦難はわたしたちを苦しめるために与えられるのではなく,喜びを見いだせるように助けます。苦痛なしに進歩はありません。困難な時期を堪え忍ぶことは,困難を克服する力をつけているということです。困難を克服して進歩したときには,より高度な困難に対処する準備ができています。困難を克服して進歩すると,人類の苦痛に打ち勝たれたイエス・キリストにさらに似た者となれるのです。
    我が家の子供たちが経済的な問題にぶつかっていたとき,わたしは彼らにこう助言しました。『経済的な困難は,主から訓練を受けるための過程だ。什分の一の律法に従うことにより,困難な時期にも祝福と喜びを得ることができるんだよ。』
    感謝しましょう。大変なとき,わたしは教義と聖約第78章19節を読みます。そこにはこう書かれています。『すべてのことを感謝して受け入れる者は,栄光を与えられるであろう。また,この世のものも百倍,いやそれ以上,加えられるであろう。』
    喜びましょう。福音は,よきおとずれです。霊的な喜びを見いだし損ねると,教会の中のあらゆることが苦行のように思え,つまらなくなります。霊的でいることは喜ばしく,楽しいことです。
    聖典の中で,アルマは御言葉を種にたとえました。『さて,もしあなたがたが心の中に場所を設けて,種をそこに植えるようにするならば,……その種はあなたがたの心の中でふくらみ始めるであろう。……「これは……わたしの理解力に光を注ぎ,まことに,それはわたしに良い気持ちを与え始めている。」』(アルマ32:28)『良い気持ち』と書かれていることに注目してください。福音は良い気持ちを与えるものです。初めは,そのすばらしさを十分に理解しないかもしれません。しかし,御言葉を植えて,実践するなら,良い気持ちを味わうようになるのです。
    人は真理を見いだすと,喜びを見いだします。聖文を読んで祈るなら,心に平安を感じ,主によって守られていることを感じるでしょう。それが喜びを見いだすということなのです。」◆