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霊的な自立とは,自ら求めることです

霊的な自立とは,自ら求めることです

エリアプラン シリーズ #4

エリアプラン シリーズ #4 エリアプランの目標の一つ【自立】について語る アジア北地域会長会第一顧問 山下和彦長老
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─なぜ,エリアプランの目的に「自立」の項目を入れたのですか?

山下長老:番の主要な理由は今の預言者,特に大管長会が自立を非常に強く勧めているということですね。これは,物質的な自立のみならず,わたしたちの真の改心,霊的な自立があってこそ本当の自立であるということです。福祉の原則にも,わたしたち自身の霊的な自立がメッセージとして必ず含まれていると思いますね。

霊的な自立=自分で答えを見つけられる

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わたし自身を振り返ってみれば,改宗して間もない頃はやはり霊的に十分自立していなかったと思います。具体的には,まず人のに頼っていました。自分で信じている部分に頼りきれない。例えば神様は生きているとは思っていても,他のことを何かチャレンジされると信仰が揺らぐ。本当に信じきれないでいる自分がいたように思います。今の若い人たちの多くもそうではないでしょうか。自分で答えを見つけられない状態,ですからどうしても他の人に頼らざるを得ない。

でも本当は,自分で答えを見つけられるようになって初めて自立したと言えますよね。すなわち,自分自身で祈る,聖典を研究する,そしてイエス・キリストを信じる信仰を働かせてする霊的な経験を通して答えが分かってくる。それを確実に実践できる人は霊的に自立しています。でも自分で答えを見つけられない人,あるいは見つけられないと思っている人は,まだ霊的に自立していないと捉えていいと思います。特に,困難な問題を解決するために天のお父様に祈る,そして助けを求めるといった,非常にシンプルなプロセスを自分で実践できない人がそうです。

若いときは,つい他の人に意見を求めてしまう。それ自体は悪いことではありませんが,その前に自分でどれだけ考えたのか,あるいは聖典を開いてみたのか,またお祈りしてみたのか。その行動ができるかどうかが,霊的な自立の成熟度を示しているように思います。

自分から求めることが出発点

青少年にとって一番分かりやすいのは,ニーファイとジョセフ・スミスの事例です。青少年が最初に覚えるマスター聖句,第1ニーファイ3章7節。『わたしは行って,主の命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては,主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。』そう言ったニーファイと,兄のレーマン,レムエルとの差は何かということをぜひ考えてほしいと思います。

ニーファイは自分の証を得ていたので行動することができました。ですから本当の霊的な自立はやはり,自分自身の証を得てから始まるのだと思います。これはすばらしい公式です。

ジョセフ・スミスも同様です。少年ジョセフは実は本当に正しい原則に基づいて行動しました。自分自身の証を得るためにまず求めたのです。

一方,レーマンとレムエルは,弟のニーファイや父親に対する不満だけを言って,主に尋ね求めようとしなかった。※1この差です。これは青少年だけではなく全ての人に適用される大切な,しかも本当にシンプルな原則ですね。

だからわたしたちが本当に霊的に自立していくためには,現世のみならず次の世においても,求める姿勢を貫かなければならないのです。神様は創造者で,常に何かを創り出しておられる。それはやはり,究極の楽観的な姿勢がなければできないことです。伝道中にすぐにくじけてがっかりしてその度にだめだと思っていたらやっていけませんね。それをはねのけるくらいの力は本当はわたしたちの中にあるのです。それをわたしたちは自分自身のこととして信じなければいけない。霊的に真の自立をするのは,自分自身の証を本当に得てからだと思います。しかし,証とは個別に点在するものではなく,継続した一連の形で,永遠の命の道の中で進んでいくものだと思いますね。

─自分には確かな証がない,と思っている人はどうすればよいのでしょうか?

十二使徒のホランド長老が,最近の大会説教の中で次のように述べています。『恐れや疑いがあるとき,困難なときには,たとえ小さくても既に得ている土台にしがみついてください。……既に知っていることに固くしがみついて,新たな知識を得るまで,強くあってください。』※2神様は生きておられる,イエス様のことは大好きだ,ジョセフ・スミスは本当にわたしたちの預言者だった,またモルモン書は神様の書物だ,そう感じているならば,そのことにしっかりとつかまっていてください。全てのことが分からなくても,また確信がなくても恐れることはありません。これは青少年だけでなく大人たちも同じだと思います。何か信じているものがあれば,それにしっかりと固く結びつく。それにはやはり,親や周りの会員たちが励ましてあげるのが大事ではないでしょうか。

わたしが改宗者の頃,証を得る方法は,1.祈りと聖文の学習を行い,2.神様の戒めを守り,3.学んだことを試すこと,だと宣教師に教わりました。ウークドドルフ管長も証を得る方法として,1.望みを持ち,2.聖文を調べ,3.神のを行い,4.戒めを守り,5.深く考えて断食する,と述べています。そんなに難しいことではありませんね。自分自身で啓示を求め,感じられるように備え,シンプルなことを繰り返し行っていくのです。

主の方法で導く

─どうすれば,若い人たちが,自発的に考えて証を求めるように導けるのでしょうか?

わたしが長い間,大学で教えてきて感じるのは,若い人たちは考えることができないのではなくて,考えることはできるのですが,それを自発的に表現するという環境の中で育ってこなかった,考えたことを表現させるように教育されてこなかったのではないか,ということです。

年を取ってくると若い人を批判したがる傾向がありますけれど,わたしはそれはあまり良い方法ではないと思います。彼らには実は力があります。それを引き出すのが,時代を経てきた人たちの責任ではないでしょうか。聖餐会でも,希望や夢について話せる話者がもっと欲しいですね。厳しく責めるのではなく,をもって温かく見守る,そういう姿勢が大事です。

教会には種々の手引きや標準があります。しかし,それを振りかざして人に罪悪感を与えて導く方法は主の方法ではありません。それは例えば,宗紀評議会において,最初から結論を用意して評議を始めていくと,その人を本当に救いに導くことができないのと似ています。

教義と聖約第50章22節にある,『両者ともに教化され〔る〕』という原則を,教師の皆さんはよく学んでください。誰か一人が立ってずっと発言するのではなくて,各人が意見を述べていく。なかなかこれが理解していただけません。

でも,(個人主義と言われる)アメリカでだって必ずしもできているわけではないのです。わたしが大学で教えてきた『コーチング・フィロソフィー』という,選手たちを指導するうえでのコーチたちの考え方や哲学において,最も支持されるのは,アメリカでも軍隊式のコマンド(命令)スタイル。即効性があるからです。

それに対して主の方法は,対話に時間をかけます。忍耐が必要です。たくさん待ってあげなければなりませんし,なかなか答えが出てこない。それを我慢し,希望を持って待ち切る。そうすると選手たちは自分で考えるようになり,自立していくんです。

主は,わたしたちを愛して,信頼し,今も待ってくださっています。福音の中で求められているのはそういうことです。それこそがまさしくミニスター(主の羊を養うこと)だと思うんです。コマンドスタイルではいつまでも選手は自立しません。若い人に本当に考えさせて,彼らが自分で判断できるようにどれくらい導いてきたでしょうか。面倒くさいのでわたしたちはつい,簡単な方法(コマンドスタイル)を取る傾向があります。だから教育って難しいですよね。霊的な自立も物質的な自立も,自立を促すためにはまさしく主の方法で取り組まなければなりません。特に福音を知っているわたしたちは,イエス・キリストを中心に置くということをしっかりと教え,ともに学ぶ必要があります。

自立に先駆ける行動

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ニーファイは証を得ていたので,すなわち霊的に自立していたので行動できた,と先ほど申しましたが,自立と行動のどちらが先かを考えると,行動が先だと思います。つまり,行動することは信仰を行使することなのです。

十二使徒のベドナー長老が,教会教育システムの指導者に向けて話した言葉があります。

旧約聖書で,約束の地カナンに入るイスラエルの民が契約の箱を持ってヨルダン川を渡ろうとします。その際,まず一歩踏み出して足を水に入れた後に,川の水が干上がって,民が渡れるよう道が備えられました。※3

ベドナー長老は,福音について完全な理解を得たら生活に取り入れようと考える人に対して,あなたは既に,前進するのに必要なことは十分知っている,と述べています。信仰は,行動と力の源です。まず一歩踏み出すことが大事なのです。それがポジティブ(前向き,積極的)な姿勢,楽観的な姿勢につながっていきます。もし,わたしたちはまだ分からないので待とうと考え,先に進まなかったらどうなるでしょうか。待っていたっていつまでたっても分からないのです。

エリアビジョンのキーワードは動詞です。これを実践すること,行動することが自立の第一歩です。エリアプランはわたしたちを強め,霊的な自立の助けになると地域会長会は確信しています。

一緒に行きましょう

わたしが福音の中で若い頃から生活してきて,自分の中に確立してきた信念は,『勇気を持つこと』。神様を信じきる。そして前に進む。そのとき勇気があれば大丈夫だと思っています。そして,若い人たちには,『一緒に行こう』と親や大人が招いてあげることが大事だと思うのです。ヨルダン川を渡った民も,独りではなく皆で踏み出しました。『恐れず来たれ聖徒』と歌ったわたしたちの開拓者もそうでした。悲観せざるを得ないようなこともたくさんありますが,それでも主を仰ぎ見て,主を信頼し,そして常にポジティブに歩むことを主は求めておられます。ヒンクレー大管長やモンソン大管長といった,積極的な楽観主義者たちを見習うことが大事なのではないでしょうか。

実際に,若い人たちへどうやって勇気を持たせるかは難しい問題ですが,その姿勢としてわたしが申し上げたいのは,『一緒に行こう』ということです。総大会説教を聞くと,指導者の兄弟姉妹たちは,必ずしもトップダウン(上からの命令)でわたしたちを責めているのではなく,『一緒にやっていきましょう』と大きな愛をもって,誘い,招いてくださっています。主御自身がそうですよね。『わたしに従ってきなさい』というのは命令ではなく,すばらしい招きです。

楽観的な態度で子供を教える

夫婦がいつも仲良くあることは,子供たちの霊的な自立にとって重要な要素です。仮に最初は,何のために教会へ来ているのか分からずにただ親について来ていたとしても,夫婦仲の良い親がいっぱいの愛情を子供たちに注いでいたら,おそらく彼らはその後,親に感謝する気持ちを育んでいくでしょう。でも夫婦仲が悪いと,親が背中で子供に見せている教えは,教会の教えとまったく反対のものになります。

同様に,例えば親は聖典を読むとき,どういう表情で,どういう態度や姿勢で取り組んでいるでしょうか。聖典の勉強は大変だけど,仕方がないからするか,という態度でしょうか。あるいは教会に行くとき,日曜日は疲れているけど,しょうがないから行くか,といった態度でしょうか。もしそうなら,そうした姿勢は子供たちに何を教えているかということです。

わたしの両親は残念ながら教会員ではありませんでした。しかし,代わりに教会の指導者たちから,積極的,楽観的な行動の姿勢を教わった気がします。やはり若い人たちは言葉よりも行動から学ぶのです。わたしは恵まれたと思います。

自立への希望

それから,青少年にも大人にも,望みを持つことを強調したいのです。世の中の風潮に振り回されるのではなく,イエス・キリストを中心にしっかり立つことに大きな希望,望みを抱いて歩むことが大事だと思います。大人は,特に親御さんは,若い人に対して望みを持ちます。

人間は,本当に小さなことで人を責め,それを繰り返し,人を追い込みます。でもそれは主の方法とはまったく逆です。失望しているときにこそ,主の贖いが必要です。主を中心に置けば,主の贖いを通してわたしたちは赦され,清められ,また癒やされて強められていきます。わたしたちの弱さを強さに変えてくださるのはまさしくイエス・キリストの贖いの力だと信じます。宣教師たちは贖いの力を毎日感じます。若い人たちも感じることができますし,求めることができます。だから多くの親御さんは絶対に諦める必要はありません。パートメンバーの方もそうです。

霊的な自立の原則は全ての人に当てはまります。高くジャンプするためにはどうしますか?立ったままジャンプはできないでしょう。そう,膝を曲げ,体を小さくすればするほど高いジャンプが得られます。だから今,打ちのめされて失望しているなら,それはこれから高いジャンプをするために最高の準備をしているのだと受け止めてください。危機は力を蓄える機会となります。失敗は成功のもとという格言があります。その楽観的な姿勢があれば,本当に強い霊的な自立へとつながっていくのではないでしょうか。」

※1─1ニーファイ15:8−9参照

※2─ジェフリー・R・ホランド「『主よ,信じます』」リアホナ2013年5月号,93参照

※3─ヨシュア3:8−4:18参照

★ベドナー長老の説教と旧約聖書の再現シーンの動画はこちら(字幕)

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