家庭で,親子で啓示を受けるには

    家庭で,親子で啓示を受けるには

    個人の啓示について─日本福岡神殿 田代浩三会長

     今年の夏に開催されるfsy では「個人の啓示を受ける」ことが大きなテーマとして掲げられている。啓示を受けることは預言者の勧告の中心テーマである一方,青少年のみならず成人会員にとっても課題となっている場合が多い。今回は,日本福岡神殿の田代浩三会長に,特に家庭の中で,どのようにして啓示を受けてこられたかを伺った。

     田代会長は神殿会長としてこう語り始める。─「神殿は主の宮です。高いところより力を受ける場所ですので,啓示を受ける一番ふさわしい場所ですね。チャレンジを克服する力も得られます。先祖も助けてくださいます。もう一つ言えることは,神殿の門は狭くない! それを皆さんにお伝えしようとしています。主の御手は広く,神殿の門も広いんです。だから今,神殿に来ることができずにいる方は心配しないで,まず支部会長,ビショップと話してください。ヒンクレー大管長は2000 年の福岡神殿の奉献式の日に『この神殿は皆さんへの天からの贈り物です。どうぞ使ってください。活用してください。あなた方の神殿です』と証されました。」

    「霊的一式」を伴う朝の祈り
     「毎朝起きる時間はだいたい5 時くらいですね。どこに行っても朝早く起きます。わたしは弱い人間だから朝に霊的な時間を持たないで一日を始めることができません。
     とにかく毎朝熱心に祈ります。毎朝同じような祈りになったとしても,毎朝新しい一日が始まりますので,同じ祈りじゃないはずです。人によって様々だと思いますが,わたしにとって朝が鍵です。
     忙しくて寝る時間が遅くなることもありますが,起きる時間は変わりません。
     わたしはまず目覚めると自分で「霊的一式」と言っている,聖典,日記帳,リアホナ,そしてボールペン,マーカーを持って,朝の身支度を整える前に一人だけになれる部屋に入るんです。前は子供たちが多かったからこういう洗面所の狭いところで祈っていたんです(左写真参照)。まずは霊的一式を床に広げて座ります。そのあと聖典からか,祈りからか,日記あるいはリアホナからスタートするかは御霊次第ですね。
     あくまでわたし個人の場合ですが,毎朝2時間くらい費やします。でも長さじゃないんです。2010 年10月の総大会でウークトドルフ管長がこう述べています。『神との関係を強めるには,神と自分だけの意義深い時間を持つ必要があります。日々の個人の祈りや聖文研究に静かに集中し,常に神殿推薦状を持つのにふさわしくあろうと努力します。天の御父に近づくために,このように時間と努力をささげることは賢明な投資です。』※ 1 この『賢明な投資』をしない限り,弱いわたしは一日の生活をスタートできないんですね。」
     「日記をつけはじめて,大学ノートで80 冊くらいになりますが,日記のつけ方もいろいろな変遷を遂げてきています。聖典研究にも使うようになったのは,旧約聖書インスティテュートのテキストにあった言葉を学んだときです。『旧約聖書の研究を日記に書き込み,聖典研究から得た特別な識見,心動かされること,あるいは単に心に思ったことなどを記録するのである。「旧約聖書」の研究は,日記につけることでいっそう深められ,また日記をつける習慣は,「旧約聖書」の研究で一層強められることであろう。』※ 2 この言葉を聖典研究において実践してきました。……このようにして聖典の余白に書くわけですね。」聖典への書き込みは日記に引き写される。田代会長は日記の一部を読み上げる。「『朝5 時,日記に向かう前,霊的一式(聖典,日記帳,マーカー,ボールペン)を持って床にひざまずく。そして御霊の促しに従ってみ言葉を求める。教義と聖約67 章10 から14 が明確にもたらされる。』
     もっと具体的になったのは,妻がある日部屋に貼っていたベドナー長老の次の言葉です。これを見たときに感動し,思わず書き写したんです。『本質的に,聖文とは主の声を,それも耳で聞くのではなく,むしろ心に感じる声を書き記した「記録」です。
    そして書き記されている神の言葉の内容を研究して,そこから御霊を感じるとき,わたしたちは読んでいる言葉から主の声を聞けるようになり,そのような方法を通して聖霊によって御言葉が与えられると理解できるようになるのです。』また,『継続する…… 毎日決まった時間帯に,それもできれば決まった場所で研究する』※ 3 とあります。それで,ああ,自分がいつも決まって洗面所で朝にこれを行っているのはよいことだ,と感じました。










    祈り─感謝をささげる
     聖典に,『祈りと感謝をもってすべてのことを行いながら,御霊があなたがたに証する事柄を行うようにと,わたしは望んでいる』※ 4 とあります。
    祈り求めることと感謝のバランス,これは大切なんじゃないかと思います。わたしは熱心に祈り求めてきました。そして常に感謝してきました。日記を振り返ると,試練の日にも『へりくだり感謝を』と書いているんですね。
     わたしは,キリストの贖いなくしてわたし自身,一分一秒も存在し得ないと確信しています。死すべき生涯には困難,心痛と苦しみが満ちています。わたしもみなさんと同様に苦難を経験しますけれども,その中にあっても祈り,聖典(を読み),主のもとに行く。そうすれば必ずキリストの贖いによって落ち着くところに落ち着かせてくださると確信しています。もちろんその過程では自分の祈りや願いとはまったく違う結果になるかもしれません。それでも主に感謝する。主より何を受けても感謝するという気持ちが大切ではないかと思います。」





    心が慈愛で満たされる
     「十二使徒のマックスウェル長老の最後の説教となった2004 年4 月の神権部会で,このような言葉があります。『自らの意思を神の御心に従わせるとき,皆さんは自分にできる唯一のささげ物を神にささげているのです。自らの意思を神にささげ始める時期を遅らせてはなりません。』※ 5 ─これを読んだとき,このことができるように毎日祈ろうと決心しました。また教義と聖約121章の『あなたの心が,すべての人に対して,また信仰の家族に対して,慈愛で満たされるようにしなさい。……そうするときに……聖霊は常にあなたの伴侶となり……』※ 6 これは啓示を受けるための原則だと思って,もう十数年も毎朝の祈りの中で繰り返しています。」
     心が慈愛で満たされるとき,聖霊が常に伴侶となることについて,田代会長は特に熱意を込めて語る。
     「『慈愛は長く堪え忍び,親切であり,ねたまず,誇らず……』※ 7 わたしは長い間この聖句の意味を勘違いしていたんですね。アシュトン長老はこう語りました。『愛とは病気の人を見舞ったり,貧しい人々に食物を届けたり,困っている人々に余ったものを施すことであると考えがちです。しかし……本当の愛は,相手に何を与えたかではなく,自分がどのような特質(慈愛)を身につけたかによって計られます。この愛という徳が心に植えられると,二度と元の自分に戻ることはありません。』※ 8 ─聖文には『あなたがたは,御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように…… 熱意を込めて御父に祈りなさい』※ 9 とあります。
     ですから,この慈愛の言葉一つ一つ(長く堪え忍び,親切であり,ねたまず,誇らず……)が身につくように祈り求めることを,毎朝の祈りの中で繰り返してきました。実を言うと,今はエリアプランで言われている7 つのビジョンも毎朝祈っているんです。身につくように。」





    個人と主との関係
     「妻は妻で毎朝聖文を学び,長い間熱心に主に祈っています。もちろん子育て,そして様々なことがあってそれが思うようにできないときもあり,本当に大変だったと思います。でも妻はいつもそれを行おうと努めていました。まず個人と神様の関係を強くすること。どんな困難な環境であれ,神様と個人の関係は自分の中のことなので,環境に関係なく持つことができるわけです。だから方法や時間帯が若干違っても,まず自分と主との関係をしっかり毎日築くこと。妻は妻で,わたしはわたしで。それはすごく大切だと思います。
     息子の一人が話してくれたのですが,彼が高校2年の終わりのころにユースカンファレンスの実行委員長になったときのことです。当時彼は毎週,実行委員会のたびに断食をしていたそうです。だからか,と思い当たることがありました。わたしはある日,息子の部屋の襖を開けたんですね。ちょうど息子はひざまずいて祈っていたんです。わたしはその姿を見たときに,彼の肩から,こう何か強い力が出ているのを感じて思わず襖を閉めたんです。
     それはすごく印象的でした。また息子は次のような経験も話してくれました。当時,ヒンクレー大管長が1年間でモルモン書を全部読みましょうというチャレンジを出されたことがありました。息子はそれまで,モルモン書を全部読んだことが一度もなかったそうです。ヒンクレー大管長のチャレンジに取り組もうと思ったときはもうあと3,4か月しか残っていなかったみたいですが,息子は読もうと決め,年末までに読みあげたそうです。でも1 か月間はなかなか証を得ることはできませんでした。ある時,息子は自分の祝福文の『父親の模範に従い証を得る』というような内容を思い出したのです。それで息子がどうしたかというと,父親がいつも祈っている場所なら啓示を受けることができるかと思って,ある安息日の早朝,誰もいないときにその場所にモルモン書をもって入りひざまずいたのです。そして1時間ぐらい,祈ってモルモン書を読んでを何度も繰り返したのです。
    ─そしてそのとき,息子はモルモン書の証とイエス・キリストの証を得たと言いました。」







    「人は改心できるし,変わることができます。主の贖いは『すぐに…… 効果を及ぼ』します。※ 10 この至らないわたしもキリストの贖いによって,人と比べるのではなく過去の自分と比べて少しずつ変わらせていただきました。若人は,efy, smyc, fsyという環境の中で,変わるための最高のチャンスを得ます。そういう環境に,一番多感な若人たちが置かれるということはすばらしい祝福ですね。そこで聖文を学び,祈り,深く考える。そういう機会は本当に大切だと思います。」◆


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