主は……わたしにも太陽を注いでくださる

    主は……わたしにも太陽を注いでくださる

    植物の癒(いや)しの力を感じて─細谷(ほそや)ゆみ姉妹 京都ステーク下鴨ワード

    京都御所(ごしょ)の北側,賀茂川がすぐそばを流れる閑静な住宅街。気に留めなければ通り過ぎてしまう少し奥まったところに,間口1メートルほどの入口がある。扉には「種真希(たねまき)hope」の手作りの看板。「なんらかの事情で社会参加が困難な方や悩んでいる方と,園芸作業の時間を共にする」目的で開園している。

    扉を開けると右側には墓地,左側には農地が広がる。手前の約50坪は「京都市高齢者・世代間交流居場所」として使用され,中央はキッチン・リビング・和室のあるレストハウス「friends home」とバーベキュースペース,その奥には障がい者福祉サービス事業所の利用者等が使用する50坪ほどの農地が,事業所ごとに約6畳分ずつ区分されている。これらは様々な目的で使われ,年間のべ2,500人が使用する。管理人の細谷ゆみ姉妹は39年間の看護師の経験を経て,園芸療法士の資格を取得し,次々と荒れ地を開拓して彼らの居場所を作ってきた。

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    ナイチンゲールに憧れ看護師に

    ゆみ姉妹は教師の父,農業をしていた母との間に,4人きょうだいの長女として生まれた。一番年上のゆみ姉妹は,農業も手伝い,下の子たちの面倒もよく見る働き者,食事の準備も彼女の役割である。材料は全て畑にある野菜。取って来て,何ができるか考える。それが自然で当たり前の生活だった。

    子供の頃は本が好きで,学校の図書館で偉人の伝記をよく読んだ。貴族の家に生まれたナイチンゲールが,「わたしのもとに来て奉仕しなさい」という啓示を受け,当時卑しいとされていた看護師になろうと決意したいきさつには強く惹(ひ)かれるものがあったという。3回繰り返して読んだ後,「わたしも将来看護師になる!」と決意する。小学3年生のときだった。

    やがて高校を卒業すると,小倉にある全寮制の看護学校に入学した。自分を内省する3年間でもあった。内気な性格なのに「もっとよく見せよう,飾ろうという思いが湧いてくる自分が嫌」でたまらず,「この心を治したい,清い心を持ちたい」と願うようになる。一緒に寮生活を送っていた教会員の先輩からクリスマス会に誘われたのは,看護学校2年のときだ。心に飢えを感じていたゆみ姉妹は,ためらわずに小倉支部を訪問。民家の1階でつつましく行われていたクリスマス会で,これまで感じたことのない温かさ,その雰囲気に強い印象を受ける。

    「わたしは日本人だから」と,仏教の本に平安を求めたが得られず,一方で,クリスマス会で感じた温もりを慕う気持ちが日増しに募り,「レッスンを受けさせてください」と教会に出向く。「心が聖典の言葉をすごく喜んでいるのが分かるんですよね。砂地が水を吸い込むように,神様の言葉が入ってきました。」心が軽く,自由になっていくのを感じた。「おしゃべりも出るし,明るくなりました。この変化を起こしたのは自分の力ではないと思いました。これって神様の力なのかなと。」周囲も彼女の変わりように驚いた。1970年11月29日,北風が吹く肌寒い日曜日,ビルの屋上に置かれた木製の深い桶に水が張られ,ゆみ姉妹はそこでバプテスマを受けた。

    気兼ねなく集える,居場所を作りたい

    看護学校を卒業すると京都の総合病院に就職し,28歳で結婚。1男1女に恵まれた。ゆみ姉妹が勤めた部署は,内科・外科・手術室・救急・透析室・訪問看護など多分野にわたる。36歳で看護師長,49歳で副看護部長となり,39年間の看護師生活の大半を管理職として働いた。

    長年の看護師や子育ての経験からは,数えきれない学びと生きる力をもらった。

    透析室勤務をしていたときに,いつもいらだち,怒ってばかりの寝たきり患者がいた。花見に行けない彼のために,ゆみ姉妹は桜の盆栽を買って来て,枕元にそっと置いた。「きれいやなあ。」満面の笑み,そして,淡紅色(たんこうしょく)の花びらをいとおしむように見つめる穏やかな表情─小さな花びらが放つ力を目の当たりにした。

    何をしてもしかめ面だった老人のことも忘れられない。見舞客の腕に抱かれた赤ちゃんを見て,それだけで患者は相好(こうそう)を崩し,笑顔がこぼれた。

    どれだけ長く経験を積んでも到底及ばない,病める人を優しく包み込む植物や幼児の力に,貴いものを感じた。  

    認知症や障がいのある人にも多く接してきた。彼らがその人らしく,尊厳をもって安心して集える場所も,働く場所も少ない。それが本人と家族の苦悩を大きくしている現実を知った。ゆみ姉妹はこれまでの様々な経験をよく考え合わせ,「定年退職後は,幼児から高齢者,認知症の人や障がい者も含めて気兼ねなく集える,自然の中での居場所を作ろう」と決意する。もとより,退職後は絶対畑仕事をしようと思っていた。「母が時折送ってくれる手作りの野菜がとてもおいしかったの」とゆみ姉妹。皆と野菜を作り,障がい者も自然の中で彼らの力に応じて働き,できれば自分が働いたお金で幾分かでも食べていけるような手伝いをしたいと思った。

    こんなわたしにも太陽を注いでくださる

    望みをかなえるための職業が園芸療法士だと知り,2011年4月,大阪親愛女学院短期大学看護科に進学。科目履修生として1年間,10代の若者と一緒に農業・園芸,福祉,心理学,教育学等を学んだ。当時,日本で園芸療法士の資格が取れる学校はわずか5校。帰還兵の心の癒しの手段として普及した園芸療法は,諸外国では身体障がい者や精神障がい者,社会的に心の傷を抱えた人たちを対象に,心身や社会面での健康の回復に幅広く効果をあげていた。ゆみ姉妹は,卒業後すぐに活動できるようにと,農地を探し始める。

    短大に入学してわずか1か月後,「家庭菜園用100坪」の小さな看板に気づいたのは,偶然とは思えなかった。教会から徒歩で15分,自宅から5分もかからない一等地だ。ゆみ姉妹は,墓地に面した50坪を借用することにし,整地に取りかかった。2011年6月,「種をまけば芽が出て実るように,人も真理を求めていけば希望につながる」の思いを込め,この土地を「種真希hope」と命名し,看板を掲げる。とはいえ,借地には背丈ほどの草が鬱蒼(うっそう)と生い茂り,雑草防止に置かれた畳がずっしりと重みを加え,ここかしこに散乱していた。ごみ捨て場になっていた荒れ地には,茶碗のかけらや風雨で朽ちた畳のナイロン糸の塊が,掘っても掘っても姿を見せる。恩師から紹介されたひきこもりの青年と,ごみの山が低くなることだけを楽しみに,汗だくになって黙々と作業を続けた。作業の合間にぽつりぽつりと交わされる会話……荒れ地を整理しながら彼の心も耕されていく。平地が見えたときには,二人だけの達成感と感動を共有した。  

    実りの秋も過ぎ,卒業間近の2月─それは身を切るような寒い日だった。春先の植え付けに間に合うようにと,じゃがいもの土づくりをしていたときのことだ。かじかむ手で土を耕していると,ぽかぽかと背中に注ぐ太陽のぬくもりを感じて,ゆみ姉妹は思わず手を止めた。「はあ,あったかい。なんて気持ちがいいんだろう。」言い知れぬ幸せに浸っていると,「天の父は,悪い者の上にも良い者の上にも,太陽をのぼらせ,正しい者にも正しくない者にも,雨を降らして下さる……」(マタイ5:45)の聖句が心に深く入ってきた。「神様はこんなわたしにも太陽を注いでくださる。」これまで太陽や風や空気を当たり前のことと思っていたが,全ては神様の愛を象徴しているのだと悟った。ゆみ姉妹は自問した。「わたしは分け隔てなく人々を愛してきただろうか。否!」人の値の尊さとこれからどう生きるべきかを,穏やかに教えられた気がした。 

    荒れ地を開拓することの価値

    2012年4月,ゆみ姉妹は資格を取得すると,診療所のデイケアで園芸療法士としての活動を開始した。9月には京都市施策「地域で支えあう」に応募し,「種真希hope」は「京都市高齢者・世代間交流居場所」に指定される。民生委員や診療所にちらしを配布して参加を呼びかけ,居場所としての活動が3人からスタートする。口コミで評判は広がり,近隣の高齢者,障がい者とその親子,ボランティア,自閉症居宅介護事業所の利用者とヘルパー等が大勢参加するようになり,文字どおり「世代間・障がい者との共生」が展開されていった。

    障がい者と過ごす場所を作るには,もっと広い畑と,彼らが休憩したり自分のペースで過ごせるレストハウスが必要だ。2013年5月,ゆみ姉妹は,退職金で畑の北側にある廃屋付きの土地52坪を購入した。廃屋の屋根は崩れ落ち,庭には生活用品の残骸が積み上げられ,10メートルほどもある樹木と雑草で足の踏み場もない。重機も入れない。ゆみ姉妹は事業所の家族やスタッフ,そして今回も宣教師や多数の教会員の助けを得て,手作業で大きな石や残骸を運び出した。水道・電気・建築・庭師の専門技術を持つ教会員の協力もあり,10月には,廃屋は18坪の心休まるレストハウス「friends home」にリフォームされた。キッチンとリビング,疲れたときには横になれる8畳の和室もある。

    さらに2014年4月,重度の自閉症や認知症の人にも耕作を楽しめる土地が必要と,ゆみ姉妹は隣接する北側の寺の土地50坪を借用する。難色を示す住職に,「わたしが草刈りをします。土は生きていますから」と粘り強く交渉した。「荒れ地の開拓は何とも思わないんです」ゆみ姉妹はほほえむ。太陽と土と水さえあれば植物は自然に育つ。リーハイの一行同様,「約束の地を手に入れるためには,荒れ野を旅する必要があると思うんですよね。」忍耐強く石や草を取り除く努力をして,人は少しずつ約束の地に見合った特質を培っていく。荒れ地を開拓することで,自分も園芸療法士として育ててもらっている。神様の知恵と恵みに感謝した。

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    創造の業を賛美するとき

    園芸療法士としてのゆみ姉妹の役割は,自然の癒しを必要とする人に応えられる環境づくりをすることだ。自然に囲まれた穏やかな環境は,人との交流や楽しみを生み,利用者の生命力や持てる力を引き出していく。種をまき,開花・結実し,収穫するまでの過程の時間をともに過ごすことで,彼らが植物の力を受けるのを助ける。「響命(きょうめい)・共生・共育」が「種真希hope」の理念だ。

    毎週金曜日,近隣の高齢者や親子がやって来て,野菜と花づくり,会食を共にする。ゆみ姉妹が用意しておいた計画書に添って作業を終えると,彼らは自分が気になっている作業に取りかかる。花を育てる人,大工仕事の人,草むしりの人など……自分の得意なことをやる。植物の成長が楽しみなので,どうしたらよく育つのかと自ら考え,振り返り,工夫もする。農作業はめきめき上達し,張り合いも出て生活も変化してくる。育てたい種を持参してまくことも自由だ。幼い子供たちは畑ではしゃぎ回り,元気な声が畑じゅうに響(ひび)く。子育ての悩みを語る母親たちもその姿にほっとするひととき。そして子供たちの無邪気さに目を細める高齢者。収穫のときにはひときわ大きな歓声が上がる。

    「それは抑えきれないほどの盛り上がりなんですよ。皆さん,創造の業を賛美しているんですよね」とゆみ姉妹。採れたての野菜で作った食事ではさらに喜びがはじける。神様の創造物を讃(たた)える言葉が飛び交う中で,ともに食事の準備をし,彼らと過ごす時間を楽しむ。

    一方,障がい者居宅介護事業所のヘルパーや精神科クリニックの訪問看護師は「friends home」と入口の鍵を持ち,障がい者や患者が必要とするときにはいつでも彼らを連れて訪れることができる。前者は年間延べ1,300人,後者は80人の利用がある。これまで人目を避けて一日中自宅で過ごし,外食に出かける場所もなかった自閉症や精神科患者に対して,常に居場所が開放されているのだ。「このような場所を必要としている人にぜひ使ってほしいので,使用上のルールを伝えて,台所も自由に使ってもらっています。」農作業の実地だけはゆみ姉妹が一緒に行い,あとは事業所に任せることが多い。「家では壁を叩いたり,静かにできない子たちも,ここに来ると落ち着き,笑顔が出ます。自然の中で自由に振る舞えるし,指図もしなくていい。安心なんです。」普段の様子を知るヘルパーは言う。

    居場所としてボランティアに出向く

    29歳のとき,肺がんだった父を見送った苦い思い出がある。「わたしの病気は,今風の新しいできものだろう?」 がんの告知などない時代のことだ。ゆみ姉妹が何も答えられずにいると,父はもう何も聞かなくなった。「父はきっと看護師であるわたしに,心の中で問答していることを話したかったんだろうと思います。」思いを受け止められなかったことを悔いた。そのときから,がんとどう向き合うかを勉強しなければならないと思い,研修会や講演で学び続けてきた。

    「ターミナルケア(終末期看護)がライフワーク」だというゆみ姉妹は,週1回,ボランティアとしてホスピスに通っている。病室を訪ねてティーサービスを行い,患者が語ることにじっと耳を傾ける。グリーンボランティアを希望していたのでその許可をもらうと,ゆみ姉妹は1年を通して絶やさず花が咲くようにと,ベランダでの花作りも始めた。「自分も育てたい」と話しかけてくる患者には,医師の許可を得て,好きな花や苗を家族に持って来てもらう。元気があるうちは,一緒に植えて世話をする。「もう来年はこの花を見られないことは分かっているの……。」花を通して自分の人生を回想し,余命を静かに見つめながら今できることに挑む患者からは,ゆみ姉妹の方が力をもらう。

    やがて時が来て黄疸(おうだん)がだんだんきつくなり,声を出すこともできないほど弱っていく患者。それでも車椅子を押してもらって,ガラス越しで自分が植えた花をじっと見詰め続ける。「どうしても花が見たい」と,看護師にベッドごと移動してもらい,やって来る患者もいる。ベッドの頭を少し上げ,いつまでも花に見入っている患者を,傍らで見詰めるゆみ姉妹。物言わぬ花々が,極限状態に置かれた患者を受け止め,慰めているのを感じる。ここにもゆみ姉妹が丹念に作り上げた,告知を受けた患者が最期まで安らぐ居場所がある。

    子育てで深い苦悩にあったとき,幼児の姿をした我が子が白い衣を着た人に抱かれているかのような夢を見て,感謝で枕を濡らしたことがある。もう思い煩わずに神様に全幅の信頼を寄せると決意し,ゆみ姉妹も自分を必要としてくれる幼児を抱きたいと思うようになる。2015年秋から始めた児童福祉施設でのボランティアでは,週に1度,夕方から寝る前の数時間,3~5歳の子供たち7人の世話をする。施設に行くと,「あっ,細谷さんや」と子供たちが駆け寄り,飛びついてくる。抱っこをせがまれ,お馬さんもする。夕食を済ませると風呂に入れ,寝る前の支度。絵本の読み聞かせの時間になると,ゆみ姉妹の膝の上を子供たちが奪い合う。ふとんに寝かしつけ,「また来週ね」と定刻に施設を出る。ゆみ姉妹は帰宅すると,必ず家庭の夕べを閉じる祈りをするという。子供たちと過ごす時間は家庭の夕べの時間だと思っている。事情があって実の両親と暮らせない子供たち。親の代わりにはなれないが,少しでも彼らの居場所となれるよう自らを整え,出向いて行く。

    背中で神様の愛を感じたあの日から,居場所作りに励み,自らも居場所になろうと努めてきたゆみ姉妹。人の価値はたとえようもなく大きい。存在するだけで光を与えてくれる人たち─彼らとともに過ごすとき,一番自分らしくいられることに気づく。彼らもまた,ゆみ姉妹にとっての憩(いこ)える居場所なのだ。春の種まきがそろそろ始まる。畑が緑で勢いづき華(はな)やぐ季節はもうすぐだ。◆

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