末日聖徒イエスキリスト教会 リアホナ2014年7月号 「通訳者」になる─障がいのある人を理解するために

    「通訳者」になる─障がいのある人を理解するために

    LDSファミリーサービス日本事務局専門委員会 教会奉仕宣教師 松井 利幸 長老

    「あなたにとって障がいとは?」とのわたしの問いかけに,聴覚に障がいのある大学生の友子さんは「他の人と関わるときに,理解してくれる人とは障がいはなく,知らない人との間には障がいがあると感じます」と答えてくれました。この意見から,障がいのある人々に共通する人間関係への思いが読み取れます。

    障がいのある人とは,生まれつきの特徴,発達上の特性,疾病や事故などのために,社会環境の中で困難や不自由を感じ続けている人であると考えることができます。もし,障がいのある人々の周りに,障がいを理解して接してくれる人々が増えるならば,困難や不自由を感じる機会は,これまでより少なくなることでしょう。

    また,障がいがないと考えている人でも,障がいのある人と同様の困難さや不自由さを感じる機会があります。例えば,わたしが初めて南米のボリビアとペルーへ旅行に出かけた経験がそうでした。ボリビアのラパス空港に降り立った私は,スペイン語も分からず,町の風景が,あまりも日本とは異なる環境に戸惑い,コミュニケーションの不自由さを強く感じたものでした。そのときのわたしにとっての大きな支えは,日本語を理解してくれる現地通訳の存在でした。もし,通訳がいなかったら,そのまま途方に暮れていたことでしょう。

    「通訳者」になる

    障がいのある人にとっても,困ったときに“help”を言える通訳者のような存在が必要です。先ほどの友子さんには,ノートを取ってくれる友人が,時には手話を交えて講義中に支えてくれていました。また,友子さんに障がいのあることを当たり前のように受け止めてくれる周囲の友達の存在も大きいことでしょう。それは,わたしが旅行中に「優しいまなざしで接してくれる人々」に感じた安心感と似ています。とりわけ,ペルー・リマ神殿で出会った兄弟姉妹には,ふるさとに帰ったような共通の御霊を感じました。

    わたしたちの教会にも,障がいのある兄弟姉妹がいらっしゃいます。それらの方々にも通訳者が必要です。それは,障がいのある人の相談相手となれる人であり,困難や不自由を抱えておられる事柄を理解できる人であり,その方の困難さを周囲の兄弟姉妹に分かりやすく伝えることができる人です。「通訳者」になれないとしても,「優しいまなざしで接してくれる人々」になることはできます。

    障がいを理解するためにできること

    障がいを理解することは,身近な隣人を理解したいと思う心から始まります。次に,障がいのある人の困難さや不自由さを,自分の体験に置き換えて想像してみるとよいでしょう。そうすることで,障がいのある隣人を理解する気持ちが増してきます。

    身体に障がいのある方は,車椅子や杖を使用しておられるので,外見上からも障がいのある方であると認識しやすいと思います。しかし,一見して障がいのある方だと分からない場合もまた多いのです。

    事例1:人のよさに目を向けることの力

    発達障がいであるA DH D(注意欠陥多動性障がい)も,見分けのつかない障がいの一つと言えるでしょう。わたしが,ADHDの診断を受けていた小学2年生のケンに出会ったのは,今から15年前,教育センターで相談業務をしているときのことでした。ケンは,興味のあることをいつも探しているような元気いっぱいの男の子でした。一緒に相談に来られたお母さんは,ケンの多動さと突発的な行動に振り回されている様子で,定期的にメンタルクリニックに通うほど精神的にお疲れになっていました。数回の相談で感じたことは,お母さんのお悩みの多くは学校でのトラブルへの対応であることでした。そこで,担任の先生とお会いして一つの提案をしました。「ケンの良いところを毎日見つけて,そのことだけを連絡帳に書いてみたらどうでしょう? もし,気になったことがあれば,お迎えのときにお母さんにお話ししてください。そうすれば,ケンは,連絡帳を家で見せると,いつも褒められるようになりますよ。」この提案を,ケンのことで悩んでいた担任の先生は快く受けてくださいました。

    それから3か月後,お母さんは,明るい表情で相談にいらっしゃいました。「もうメンタルクリニックに通うことはありません。ケンの担任の先生が,わたしのカウンセラーです」と語られたそのときの言葉が今も忘れられません。人の良い面に目を向けて,それを言葉にして伝えることは,相手を理解するために最も大切なことであると思います。それは,障がいのある人をさらに理解するためにも大切な鍵であることが,ケンのお話から分かるのではないでしょうか。もし,わたしたちが障がいのある隣人にそのようにできたら,わたしたちは,その方のよき友となり,「通訳者」のような存在になっていくことでしょう。

    事例2:真の友になる

    最後に,あるビショップの経験をお話しします。障がいのある池田兄弟が改宗したときに,ビショップは,池田兄弟がワードで定着するためどのように支えていったらよいか祈りました。そのとき,ビショップは,最近転入して来た高田兄弟のことが心に浮かんだそうです。翌週,ビショップは高田兄弟に会い,こう切り出しました「あなたに池田兄弟の真の友となっていただきたいのです」と……。それからというもの,障がいのある池田兄弟の傍らにいつも高田兄弟の姿がありました。やがて,高田兄弟は伝道に出ましたが,池田兄弟の信仰は,ますます揺るぎないものになっていきました。

    皆さんの周りにも,池田兄弟のような人がきっといらっしゃいます。その方のよき隣人となれるのは,あなたなのかもしれません。(登場人物は仮名です)◆