リアホナ2012年9月号  教会は被災地に何を残してきたのか

    教会は被災地に何を残してきたのか

    大島街灯プロジェクト─気仙沼市の離島に灯った希望の「光」

    宮城県気仙沼市の気仙沼湾に,大島という離島がある。離島とはいえその大きさは9km2,東北地方最大級の有人島である。昨年の3月11日以前,島の人口は約3, 400人だった。フェリーと旅客船が気仙沼港との間を約30分で結び,島から多くの人が気仙沼市へ通勤・通学していた。─あの日,巨大津波は,海抜の低い島の中央部を貫通し,島の太平洋側にある田中浜から,本土側にあるフェリーの発着所までを一気にのみ込む。一時,島は二つに分断された形になった。島民の死者・行方不明者は31人に上り,本土との交通は途絶し孤立したため,米軍による航空輸送で支援物資を受けた。

    被災後1年が過ぎ,気仙沼市の復興が進む中,大島の復興は遅れ気味である。ライフラインこそ復旧し,定期連絡船も運行しているが,大島の各所には津波の爪跡がそのまま残り,フェリー発着所前は舗装すら復旧していない。三陸海岸全体で見られるように1メートル以上も地盤沈下した浜の浦港では,満潮になると岸壁の上まで水が上がってくる。港の本格的かさ上げ工事も2012年6月にようやく着工された。

    そして,島全体が文字どおり,暗かった。津波に流された,フェリー発着所前のメインストリートですら街灯がほとんどない。被災前は夜11時台まで運航していた旅客船は,夜7時が最終便となっている。日の短い冬場は夕方5時でも真っ暗になる。船が近づくと,運航している船会社の職員が岸壁で懐中電灯を振って桟橋へ誘導する。船を降りた乗客は,懐中電灯や携帯電話の光を頼りに家路をたどって行った。

    この大島を支援している団体「つながり・ぬくもりプロジェクト」から教会に協力要請の電話がかかってきたのは2012年4月末のことだった。かつて教会が漁協の再建を支援したとき,教会が提供した建物の屋根に太陽光発電パネルを設置した団体だった。彼らは東北被災地の各所に太陽光やバイオマスを利用した自然エネルギーによる発電・蓄電システムを寄贈する活動を続けており,大島でも同様のプロジェクトを立ち上げていた。支援要請を受けた教会は,福祉部人道支援担当の高西秀志兄弟を大島に派遣する。ただ資金援助するのではなく,現地で何がほんとうに必要とされているかを見極め,教会の基金を最も有効に活用する方法を探るためであった。

    現地入りした高西兄弟は,気仙沼市大島出張所の市職員,気仙沼市議会の菅原博信議員,そしてつながり・ぬくもりプロジェクトのスタッフと協議していく。その中で,島の現状が次第に明らかになっていった。

    調査とコーディネートを担う教会

    2012年5月末現在,大島の人口は3,012人である。概算で350人もの住民が流出している。それは島の主要産業である漁業,観光業の復興の遅れもさることながら,交通手段の不備が影響していると思われた。連絡船の最終便が午後7時なので,本土に通う高校生は放課後の部活動が十分にできない。社会人も残業が自由にできず,解雇される場合もある。そのため気仙沼市内の親戚宅に下宿する,アパートを借りる,車の中に寝泊まりするなどして,200人近くの住民が島を離れているらしかった。高西兄弟はフェリーの発着場に早朝から立ち,乗降客数を調査し,乗客に話しかけたりする中で,そうした島の人の事情を把握していった。連絡船の運航時間の延長実現の可否については,気仙沼市当局と船会社との政治的な事情が絡んでいる。教会は政治的に中立なので,それ以上踏み込むことはせず,市議会の菅原議員に情報だけ伝えてあとはお任せした。ただ,島が暗くて生活に支障を来すのであれば,街灯を設置する必要はある,と思われた。

    被災地の必要を探し出す

    そのころ,港で調査をする高西兄弟に,

    何をしているのですか,と船会社の女性スタッフが話しかけてきた。彼女は船会社の取締役であった。目的を告げ,街灯の設置場所などのことで船会社とも調整したい,と話すと,運航管理担当取締役を紹介してくれた。その足で,港のわきにある仮設事務所を訪ねる。担当取締役と話すうち,やがて船会社の必要とすることが浮かび上がってきた。連絡船が安全に運航するためには導灯というものが要るという。船が港を目指すときに方角の目印になる灯火で,高い地点に1つ,低い地点に1つ設置する。その2点の灯火が垂直に並んで見える航路を辿って行けば,安全に港に導かれるのである。それが津波で壊れたままなので手信号で対応していたという。この導灯の設置の遅れには,地元の複雑な事情が絡んでいたが,教会は,導灯の設置を支援することを申し出た。

    島内の夜間安全通行のため,また漁師の方々の早朝・夜間作業再開のために,一定数のソーラー街灯を設置することが決まった。候補地を絞り込み,高西兄弟は地権者を一軒一軒回って許可を得る。

    またそれとは別に,急病人を本土に搬送する緊急船舶用の浮き桟橋に,強力なソーラー街灯を設置してほしい,との消防署の要請も受け入れた。それまでは緊急搬送の度にサーチライトで照らしながら船に乗せていた。

    ─こうして,大島に明かりが灯された。2012年7月6日,島の随所に設置される46基の街灯と,浜の浦港の導灯2基の寄贈式典が行われたのであった。

    教会が被災地に残してきたもの

    高西兄弟は「教会は,ただ闇雲に被災地に物資を贈ってきたわけではありません」と

    語る。教会が長い時間をかけて良い関係を築いてきた宮城県漁協でも,被災直後の各地の組合はまったく明日の見えない状態であった。そこに,教会福祉部のダーウィン・W・ハルヴォーソン部長と高西兄弟が訪れる。「とにかくわたしたちが行ったときはもう,皆さん打ち沈んでいらっしゃいましたから」と高西兄弟は振り返る。彼らは,家族の命のみならず,生活を支えてきた船,港湾施設,養殖設備などを根こそぎ失い,一体どうしたらいいのか途方に暮れていた。「教会は支援をする用意があります,必要なものを一緒に考えていきましょう」と投げかけると─「その教会の申し出によって,彼らは,じゃあ,頑張ってみようか,っていう気持ちになられたんですね。……教会が被災地に残してきたものは,物資ではなくて,希望なんです」と高西兄弟は強調する。

    今,被災地では漁師が海に戻っている。カキ,ホヤ,ホタテなどの養殖ブイが湾に浮かび,魚市場は再開され始めた。今年の養殖ワカメは被災によって生産量が減ったため,相場が高騰し,以前より収穫は少なくとも収入は被災前を上回った漁協もあった。

    「市場が再開され,皆さんが笑顔で働いておられる姿を見るとうれしいですね,感無量です」と復興の過程をつぶさに見てきた高西兄弟は言う。

    教会は,漁に出るのに不可欠な砕氷製造機や冷凍冷蔵庫をはじめ,漁具,車輛,建物,浮標灯……といった,行政の復興予算の使途の枠内では調達できない,しかし仕事の再開には必要不可欠な,ボトルネックとなる資材をピンポイントで支援してきた。国家予算に較べれば教会の支援は金額的に微々たるものかもしれない。しかし,それらはただの物資ではなく,漁協の明日を始動させるスターターのような役割を果たした。そのために教会は,支援に先だって支援先に寄り添い,彼らのほんとうの声,ほんとうの必要を聴き取るよう努めてきたのである。◆