リアホナ2012年6月号 奇跡は何処にあるのでしょうか

    奇跡は何処にあるのでしょうか

    1,000人の先祖に希望を託した闘病生活  

     ─沖縄ステーク普天間ワード 上原ご家族

    わたしたちの人生には予期せぬ出来事が待ち受けていることがある。突然襲ってくる堪え難い試練をあなたはどう切り抜けるだろうか。沖縄ステーク普天間ワードには,神殿の儀式を行うことにより霊界にいる先祖の助けを得て,大きな困難を乗り越えようとした家族がいる。

    3度の告知

    2009年12月,上原直人兄弟と久美子姉妹は,毎年夫婦で受けている人間ドックに行った。念のため年に1度の健康診断,くらいの心積もりだったが,そこで思いがけない言葉を聞かされる。直人兄弟の「胸部と腹部に複数の『こぶ』が見つかり,リンパ節もはれているので,大きな病院へ行くように」と。

    紹介された病院で病気の特定をするため,胸部にある「こぶ」の生体組織診断(患部の一部を切り取って顕微鏡などで調べる検査。以下,生検)が行われ,2010年1月29日に『悪性リンパ腫』と診断された。リンパ節にできるがんだ。「病気は第3期ということでした。悪性リンパ腫にもいろいろ種類があって,主人のは『よく効く薬があるから治りますよ』って先生がおっしゃって。それよりも再発率が高いということで,最初は,治っても再発するということばかり気にしていました」と久美子姉妹は当時を振り返る。

    2月に入り,抗がん剤治療が始まった。「先生から,『3週間おきに6回から8回治療をすれば大体消えますよ』と言われ,6回行いました。『上原さんは体が大きくて体力もあるし年齢も若いから強い薬を入れます』って言われて最初から(強い薬を)やりました。」当時,直人兄弟は47歳,体格のいい消防士だった。抗がん剤は,働き盛りで元気いっぱいの直人兄弟にとって髪が抜ける程度のもので,深刻な副作用は一切出なかった。「ほんとうに元気で,ブドウ糖を打っているんじゃないかって冗談で言われるくらいでした。少しおなかに違和感があるかなって時々感じるくらいで,自覚症状もありませんでした」と久美子姉妹。

    6回目の治療が6月に終わり, 「もう治ったんじゃないか」ということでPET診断※1を受けると,胸部のがんは完全に消えている。しかし腹部はまったく変化がないことが分かった。種類の違うがんが疑われ ,消えなかった部分の生検を行った。その結果,「同じリンパ腫ではあるけれど,やはり違う種類のがん,そしてそれはちょっと進行が早いって言われて。」久美子姉妹はこれを2度目の告知と呼ぶ。

    しかしこのときもまだ二人の心には「治る」という思いだけがあった。治療方針が再検討され,薬の種類を変えて8月から3週おきに2回抗がん剤を投与した。しかし効果は上がらない。2度目の生検のころから直人兄弟は左足に麻痺と強い痛みを感じるようになっていた。「それで3週間くらい療養しました。生検のときに神経でも切ったんじゃないかと話していて。でも麻痺も痛みも腫瘍の圧迫のせいであったみたいですね。」

    苦痛の中でいろいろな治療法を探した。「骨髄移植療法っていうのがあるんですけれど,それをやろうかとか,本土のほうの病院に行こうかとか。でも(やはり)ここで(治療を)やるということになって。」

    10月に入り,別の薬を使った3度目の抗がん剤治療が始まった。抗がん剤はがん細胞を攻撃するが,同時に健康な細胞にもダメージを与える。ここに来て,強靭な直人兄弟の体もさすがに耐え切れず,副作用が出始めた。骨髄の働きが抑制され,血液を作ることができなくなってしまい,10月から11月にかけては輸血をしながらの治療となる。それでもがんは縮まらなかった。

    「リンパ腫の治療はいろいろな種類とコースがあるんですけれど,大体もうやっているから次はどうするか,旧東ドイツで開発された新薬が12月に出るからそれにかけてみようか,という話になりました。」厚生省の認可が下りるのを待って12月の半ば,クリスマス前に4度目の治療を行った。すでに体力の落ちている直人兄弟の体に新薬は追い討ちをかける。「何としてもがんを食い止めたい。」医師も直人兄弟もその思いでいっぱいだった。しかし,2011年の年明けに受けたCT検査でもがんはその姿を変えず,さらに腎臓の近くのリンパ節やその周辺に転移していた。1月7日,直人兄弟は担当医から3度目の告知を受ける─「治療法はもうない」と。「あとは延命治療しかない。治療をやめて家に帰るか,延命治療として抗がん剤治療を受けるか決めてくださいって言われました。」

    1,000人以上の系図

    病気と分かる少し前に直人兄弟は, 彼の母方の系図にそろそろ着手しなければならないと話していた。直人兄弟は結婚後,20代から30代のころ熱心に系図を調べた。「沖縄は戦争で(資料が) ほとんど焼失していて。両親は糸満の出身だったので,主人は,仕事が休みの日を利用して糸満の親戚のところに行き, 聞き取り調査をしていました。最初は主人の父の方を調べました。親戚の家を1軒1軒回ったという感じです。聞き込んでは帰って来て書き込んで,足でコツコツと調べました。そうやって調べていたら……」と言いながら久美子姉妹

    ※1─PETとはポジトロン・エミッション・トモグ ラフィー(陽電子放射断層撮影)の略称で,最先端の画像診断法。臓器の形から腫瘍 の有無を診断する従来の検査法とは異なり,細胞の代謝や機能を調べることで早期が んの発見をすることができる

    は1冊の分厚い本を取り出した。「これをもらってきて。ほんとうに少しずつ調べていたら,『よく来るから譲るよ』って母方のおじいさんの遠い親戚から頂いたんです。」本の表紙には『系図 与那城腹門中(糸満)』と書いてあり,開くと300ページに及ぶ直人兄弟の母方の一族の系図が,直系はもちろん遠い傍系まで載っていた。久美子姉妹は付箋のついているページを開く。「ここに主人の母親の名前があるんです。母の名前と配偶者の名前と生年月日までが書いてあるんです。母の上がおじいちゃんで,こんな風にたどって……」死者も生者も,直系も傍系も,血のつながりのあるあらゆる人の名前が書かれており,名前の横には「幼少で亡くなる」などの注釈もついている。記載されている指示に従ってページをめくるとそれぞれのつながりがわかるようにもなっていた。「これに取りかからないといけないねと話していましたが,まだ父方の方がもう少し残っているからそれを終わらせて(から)って。そのころ病気になって……。」

    二人はこの系図本を直人兄弟の古くからの親しい友人,安里吉隆兄弟に見せる。「『うちにこんなのがあるのよ』って安里兄弟に見せたら,『これはすごい!』って興奮しちゃって。計算したら2,000人以上あるなって言って。これを基にワードの皆さんに呼びかけて,クリスマスまでに1,000人の系図を提出しようって。」久美子姉妹はページをめくりながら話す。

    信仰を表して

    病状が芳しくない上原兄弟から系図の本を預かった安里兄弟は,彼が3度目の治療を受けていた2010年10月,ワードの皆に呼びかけた。上原兄弟のために,彼の先祖1,000人の名前をクリスマスまでに神殿に出そう,と。「青少年からありとあらゆる方々に声をかけ,PAF5に打ち込んでもらいました」と安里兄弟。自分の系図に取り組んでいた人たちはそれをわきに置き,青少年たちはミューチャルの時間を使った。彼らは生者を含む2,643人の名前をPAF5に打ち込む。クリスマスまでに神殿に提出した死者の記録は1, 243人に上った。そして1月23日にはそのすべてのバプテスマが終わり,女性は確認の儀式まで終了した。

    安里兄弟は語る。「ジョン・ウィッツオー長老の『先祖の方々の救いのために全力を尽くす人は諸事全般について助けを受けることができるようになる』という記事を読んだんですね。上原兄弟の病状は,治るのは厳しいという診断でした。彼の先祖の方々の儀式を1人でも多く執り行い,罪の赦しを得て聖められ,聖霊の賜物を頂いて力を得るであろう先祖の方々に彼の応援団になっていただけるように道を備えるなら,奇跡が起こるに違いないと思いました。ぼくらの力の足りない部分を,彼の直接の先祖の方々の信仰の祈り,愛の祈りを頂いて奇跡が起こってほしい,ぼくもワードの皆さんもそんな気持ちでした。」

    悪化の一途をたどる病状の中で,上原ご夫妻も奇跡を待ち望んだ。「『直人,霊の応援団を作るからな。これだけ儀式が終わったんだから頑張れよ。奇跡が起きるのを待とうな』って安里兄弟が言いました。兄弟も奇跡が起きるはずって思って。わたしもそう思っていました。」

    外泊ができたのは2010年12月までだった。2011年1月に受けた抗がん剤の治療はがんを元気にするだけで,直人兄弟の体はますます衰弱した。2月に入ると外出が難しくなり,3月になると意識が朦朧とするせん妄状態※2 に陥ることが多くなる。「せん妄の状態が出たこと自体がショックでした。せん妄っていう言葉の意味が理解できなくて辛かったですね。『あぁ,直人が壊れた』って思いました。」久美子姉妹にとって直人兄弟の様子は受け入れ難く理解できないものだった。それでも時折意識がはっきりしたり,体を動かせたり,ほんの少し水が飲めると回復している気がした。「治ると,奇跡は必ず起こると信じていました。」─そして,2011 年4 月8 日の夜,家族に看取られながら上原直人兄弟は天に召された。

    奇跡はそこに

    「『どうして奇跡は起こらなかったんだろう』と思いました。最初に奇跡が起こるって期待したのは神殿の儀式のときです。あれだけの儀式が,1月の時点でバプテスマと女性の確認が終わっているって。そして3月のころには結び固めまでいっているよということで,すごい奇跡が起こっているって話していたんです。(安里兄弟が)神殿ファイルで出してこんなに早く進むことはないんだよって。それを聞いたときに『絶対に奇跡は起こるんだ』と思ったんですね。でも現実に主人を目の前にしていると,客観的に見たらどんどん弱っていくし,食事はもう1か月も取れていないし,水も飲めない状態なんです。」久美子姉妹は,起きるはずの奇跡に逆らうように悪化する直人兄弟の病状に混乱した。そして迎えた死─。

    奇跡は起こらなかったのだろうか。葬儀の後,久美子姉妹の心に変化が訪れる。「わたしにはこの想定外の出来事を受け入れることに時間が必要でした。『また会えるからね』という慰めの言葉はそらぞらしく聞こえ, 『わたしは今すぐに会いたいのに』『一体いつになったら会えるの』という思いがわたしの心の中に渦巻いていました。そのとき,泣き崩れるわたしの手を握り肩を抱いてくれる友人がいました。また,『いっぱい泣いていっぱい考えたらいいよ』『子供たちはみんなで育てようね』と言ってくれる友人もいました。わたしたち家族に慰めの言葉と祝福を授けてくださる神権指導者もいました。わたしたち家族のために祈ってくださる多くの方々がいました。子供たちもいました。今でもたくさんの方々に支えられています。そして何よりも,主の贖いという大きな祝福によって慰めと力を得,ほんとうに少しずつ疑問の答えが与えられ,主の御心すべてを知ることはできませんが,少しずつ理解できるようになってきました。」

    「奇跡っていつ起こったんだろうって考えたときに,主人がこの闘病生活で変わっていったこと,成長していったこと,普通の人生の3倍の速度で成長していったことが奇跡だったんだなって思いました。」

    「亡くなる2,3年くらい前かな,『自分は生まれながらの人を捨てたい』っていう話をしたんです。だれでも持っている人間的な弱さのことです。一生かけて克服したいって。焦ることなく少しずつ少しずつ克服していけばいいと思っているって。

    でも,病気になってから『自分は悔い改めた』って言ったんです。生まれながらの人を克服するために,神様にすぐに近づくために今すぐから努力すべきだって言いました。そして努力していました。」

    「彼は病床で治療中でしたけれど,教会の人や職場の人,いろいろな人を励ましていました。高等評議員として担当の名護に行ったり,行くことができないときはメッセージを送っていました。ほんとうに進歩成長していました。その中で,赦せなかった人も赦すことができたと言っていました。沖縄に神殿を建てたいということも話していました。彼もわたしも沖縄に神殿が建つのはまだだねって話していたんですけれど,病気になってからは,『神殿が頂けるようにみんなで系図を頑張って熱心に出してお祈りしよう』って。そして将来できたら神殿で働きたいなって話していました。」

    高校生のときに改宗して,若いころの一時期,教会から足が遠のいたこともあった直人兄弟ではあったが,病床での彼は,人生で長い期間をかけて克服し達成すべきことを大急ぎで─3倍の速度で─やり遂げた。それを間近で見た久美子姉妹には,直人兄弟そのものが奇跡だった。

    主の御心のまま

    奇跡はほかにもあった。二男の男兄弟はまだ祭司の聖任を受けていなかった。「『男は16歳だから,祭司になれるはずだからぼくに聖餐を持ってきてちょうだい』って。それでビショップに話したら,『お父さん独りでも聖任できますから』ということで,2011年2月に病室で父親の手で聖任したんです。それから亡くなるまで,2,3回ですけれど(長男と次男の)二人で祝福して父親に聖餐を上げることができました。これも奇跡ですね」と久美子姉妹。

    長女の華姉妹は伝道の召しを待っていた。「わたしたち(夫婦)は伝道に出ていないものですから,自分の家族から宣教師が出るって期待していたんですね。『召し来たか? 召し来たか?』ってしょっちゅう聞いていたんですけれどなかなか来なくて。」召しは2011年3月26日に来た。そのころの直人兄弟は常時,朦朧とした状態だったが,この日は意識が正常に戻っていた。「そのときに娘から電話が来て『召しが来たよ』って。」久美子姉妹は直人兄弟と電話を代わった。「兄弟が『どこに来たの?』って聞いて,娘が『カリフォルニアのサンタローサミッションっていう所だ』って言って。主人,ほんとうに喜んでいましたね。奇跡でした。主人はほんとうに待ち望んでいましたから。」それからまた直人兄弟の意識は混濁していった。

    4月7日には長男の力兄弟の大学の入学式があった。

    「長男の入学式の翌日も,何かすごく元気な感じになってたんですね。話もできて意識もありました。」

    その日の夜,直人兄弟は亡くなった。

    「─亡くなる前日までにいろいろなことが滞りなく終わっていました。」久美子姉妹は少し遠くを見ながら話す。

    「『なんで独り先に逝ったの』『でも直人が勝手に逝ったわけじゃないんだよね,主の召しなんだよね』って独りでよくつぶやいています。わたしにとって想定外でも天父には想定外はなく,すべて御心であり天父の御手の中にあるんですね。

    寂しさは変わりませんが,希望を持てるように……なりました。わたし自身が天父のもとに戻れるように,主に忠実に生活できるように頑張るしかない,かな。」そして,久美子姉妹は優しくほほえんだ。◆