リアホナ2011年7月号  福祉のABC 12

    福祉のABC 12

               (教会福祉部)

    福祉の基となるものは愛です。良い行いに駆り立てる力はすべて愛です。天の御父は,霊の子供たちを愛しておられますから,天において御自分のすべての霊の子供たちを会議にお集めになりました。そして,御父のようになるチャンスをわたしたちに与えたいと説明されました。このことから,御父がわたしたち一人一人を深く愛し信頼しておられることが分かります。御父は天の家から離れた場所にもう一つの家を作ることを提案されました。それがこの地球です。

    御父は地球を美しくされました。わたしたちが喜びを得て御父のことを日々思い出せるようにするためです。人はそれぞれ自分の道を自由に選ぶのだと御父が説明されたとき,わたしたちは胸がいっぱいになったに違いありません。

    会議は進み,二つの計画が提示されました。一つは提案した本人に名誉と栄光を帰するものでした。計画の基は自己の利益です。もう一つの計画は名誉と栄光を神に帰するものでした。自由に選ぶと選択を誤る場合が出てくることが分かっていましたから,救い主が必要となりました。贖罪が不可欠となったのです。贖いの基であり,その原動力となるものは愛です。

    2011年3月11日以来,天からも世の人々からもあふれるほどの愛が注がれてきました。わたしたちはそれを目の当たりにし,その愛を受けてきました。神は大変近い所にいらっしゃいます。すべての宣教師が守られたことから,神の愛が分かります。教会員が守られ強められたことから,神の愛が分かります。世界中の教会指導者による心遣いや励ましや称賛の声に神の愛を感じます。そして何よりも,神の愛は御子イエス・キリストの贖罪が持つ救いの力の中に表れています。その救いの力は,災害に見舞われた人々までをも癒すことができるのです。

    多くの人が,家族や友人,地域や世界中の人々の愛を感じました。近くからも遠くからも水や食物,衣類や毛布,燃料が届いたことに愛が感じられます。東北まで来て様々な方法で奉仕してくれた人々の行いの中に愛が感じられます。また,遠方のそのほかの人々が時間や労力,金銭を犠牲にして奉仕してくれたことに愛が感じられます。ソーシャルメディアなどのツールを独自に駆使して被災者を捜索してくれた人々の行いの中に愛が感じられます。自分の羊たちを探して世話しようと努める神権指導者や補助組織の指導者の行いや言葉の中に,愛が感じられます。断食献金や人道的援助の献金がささげられたおかげで多くの人が復興作業に携われたことに愛が感じられます。

    恵まれたことに,わたしたちは災害時ばかりではなく,人生がうまくいっているときにも愛を表すことができます。愛は言葉や行いで表現されます。リチャード・G・スコット長老は,愛の言葉についての特別な経験について語っています。その言葉がなければその経験は忘れ去られていたかもしれません。「子供たちとすばらしい時を過ごしました。追いかけっこをして, 落ち葉の上で転げ回りました。それからわたしは会合へ行きました。妻がわたしにこの経験から教訓を学んでほしいと思わなかったら,恐らくわたしはその経験を忘れてしまったことでしょう。翌日の朝4時ころ,わたしは起こされました。二つの小さな腕で首に抱きつかれ,頬にキスされ, 耳にささやく声が聞こえたのです。その言葉を決して忘れることはないでしょう。『パパ,大好きだよ。パパはぼくのいちばんの友達だよ。』」(「結婚がもたらす永遠の祝福」『リアホナ』2011年5月号,95)

    ほんの小さな愛の行い,ほんの少しの間一緒に遊んで楽しく過ごしたことが, 幼い子供の心に喜びをもたらしたのです。子供は胸がいっぱいになって,愛していることを伝えずにはいられなくなりました。これが教会福祉の真髄です。つまり,すべての人類に喜びをもたらすことです。

    福祉に関して,H・デビッド・バートンビショップはこう述べています。「神の息子娘として,わたしたちは地上にいる間に互いを心から思いやることがなければ,永遠の命を受けることができません。なぜなら,犠牲と自身を惜しみなくささげるという慈善の心に富んだ行いの過程で,犠牲と奉献という日の栄えの原則を学ぶからです。」(「福祉という聖めの業」『リアホナ』2011年5月号,81)

    福祉とは福音の実践です。真の宗教です。その原則は永遠に変わりません。救い主はこの原則を御存じで,それを教え,実践されました。したがって,わたしたちは主の次の言葉をさらに深く理解することができます。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)主の愛のおかげで,わたしたちは永遠の福利を望むことができるのです。◆