リアホナ2010年1月号 ─豆知識⑲─ (地域福祉部)

    ─豆知識⑲─ (地域福祉部)

    決 意                                                                                                      

     Ensign,1994年12月号,62-67

    元七十人会長会 ジョー・J・クリステンセン長老

    1994年1月9日,ブリガム・ヤング大学第19ステークのディボーショナルで行われた説教からの抜粋

    知っていることをそのままできる。そういうことはめったにありません。そこで決意というテーマが浮かびました。すなわち,福音についてすでに知っている事柄にさらに従った生活をするという決意です。わたしたちの多くが新年の決意について真剣に考える一方で,そもそも決意を貫くのが難しいという問題を理由に,何一つ決意しない人もいます。過去の実績にかかわらず,望ましい決意をすることから得られる力を見過ごしてはなりません。その力は,わたしたちの生活に,より多くの幸せや成功をもたらす助けになるからです。

    わたしは霊的に成長します。――わたしはますます神に愛されるでしょう。

    霊的成長に欠かせない事柄が幾つかあります。最も難しく,一般的な事柄から話しましょう。ますます神に愛されるには,高慢という罪をできるかぎり克服すると決意しなければなりません。ベンソン大管長は,高慢は至る所に見受けられる罪であると断言しています(『聖徒の道』1989年7月号,7)。つまり,わたしたち一人一人が多かれ少なかれ高慢という問題に悩まされており,全力を尽くしてその悪影響に打ち勝たなければならないということです。人間として,わたしたちは高慢のわなに陥りやすいという顕著な特性を持っています。最も安全だと思える敬虔な環境にあるときでさえそうなのです。

    深い洞察力を持つロバート・J・マクラケンは次のように書いています。「もしも人間の罪を並べてリストを作るなら,……筆頭に挙がるのは〔高慢〕でしょう。残りの罪すべての原因となりますし,人が犯し得るいかなる悪事にも増して,わたしたちを隣人や神から遠ざけるからです。……〔高慢〕は七つの大罪の中でも最大の罪であるばかりか,罪の源であり,ほかのあらゆる罪を誘発するうえに,だれ一人として逃れることのできない罪なのです。」(What Is Sin? ,11-12)

    毎日聖文を読むことを,今,決意してください。エズラ・タフト・ベンソン大管長は,毎日モルモン書を読むべきことを繰り返し強調してきました。モルモン書はまさにイエスがキリストであられることのもう一つの証です。学識者が数えたところによると,モルモン書の中には救い主に言及した箇所が3,925あります。平均すると,モルモン書の1.7節ごとにイエスについての記述を読むことになります。もし毎年1月1日から始めて,毎日ほんの2ページずつ(訳注:日本語版の場合3ページずつに相当します)読むなら(ゆっくり読む人であっても,10分以内に読めるでしょう),毎年9月までにモルモン書を一度読み終えることができます。そうすれば,もう一度読み返したり,命じられているようにキリストの言葉をよく味わったりすることができます(2ニーファイ31:20参照)。これを実行するなら,わたしたちが生活の中でなす決意の一つ一つが,より霊感を受けたものになるでしょう。

    次に,単に祈りの言葉を口にするだけでなく,心から祈ると決意してください。そうするときに大きな違いが生じます。単に使い慣れた決まり文句を繰り返すのではなく,皆さんが心の奥底に秘めている正直な気持ちを,包み隠さず天の御父に注ぎ出してください。祈りたくないときこそ,祈りたくなるまで祈るべきときであるというブリガム・ヤング大管長の勧告を思い出してください(Discourses of Brigham Young,ジョン・A・ウイッツォー編,ソルトレーク・シティー:Deseret Book Co.,1941年,44参照)。

    次の事柄をまだ実践していないすべての独身青年の皆さん,専任宣教師として働けるよう肉体的,精神的,情緒的,道徳的な面で備えると,今,決意してください。専任宣教師として奉仕する期間以上に,皆さんが効果的かつ効率的に霊的成長を遂げる機会はほかにありません。宣教師のスケジュールに従うなら,長老は2年間で7,000時間,聖文を通して福音の基本原則やその教授法,人とのかかわり方などについての専門教育を受けることになります。毎週日曜日に3時間,教会の集会に出席することで,この7,000時間にも上る教育を受けるには,46年以上かかるのです! 教会の若い兄弟には宣教師として奉仕する責任がありますし,同様の機会にあずかる姉妹もいます。

    次に,皆さんが心から霊的な成長を望むなら,次の聖句を心に留めてください。「安息日を覚えて,これを聖とせよ。」(出エジプト20:8,強調付加)

    伝道を終えた後,わたしはブリガム・ヤング大学に入学しましたが,学業の厳しさを思い知りました。多くの課題を出す教授が教える上級課程では,毎週月曜日の朝に細かい知識を問われる試験がありました。学生間の競争は熾烈でしたが,わたしは好成績を収めようと学習意欲に燃えていました。

    試験に備えて,わたしは日曜日の午後,教会の集会が終わってから勉強に取り組むようになりました。そんなある午後,帰還宣教師でもあるルームメートが,わたしが勉強しているのを見て言いました。「ねぇ,ジョー。君はほんとうに戒めを守っているつもりかい?」

    わたしの答えは明白でした。「もちろんさ。」

    「じゃあ,『六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ』という戒めについてはどうなんだい?」

    彼が伝えたいことを理解したわたしは,そのときから変わりました。たとえ宿題を

    終えるために月曜日の朝は相当早く起きる必要があっても,残りの週日6日間に何とか

    調整して勉強時間を十分確保するようになりました。やるべきことを引き延ばすことも

    ほとんどなくなりました。勉強で後れを取るのが我慢ならなかったからです。自分の

    ことが良く思えるようになり,成績も上がりました。そして日曜日がもたらす生活ペー

    スの変化を楽しみにし始めました。日曜日は物事がより霊的なものに変わる時間とな

    ったからです。

    時には,安息日にどうしてもしなければならない重要な仕事もあります。場合によっては急を要する一大事が起こることもあるでしょう。しかし,急を要する一大事というものは,たいてい,計画不足や引き延ばしが原因で起こるものです。

    現代では,安息日を破るよう促す誘惑が以前より増大しています。テレビはなかなか手ごわい問題です。種目や競技者の顔ぶれにかかわりなく,わたしはスポーツ競技が大好きです。最も関心のある試合の幾つかは,日曜日にテレビ放映されるのですが,これはかなり大きな誘惑です。とはいえ,わたしたちはいつも日曜日に何時間もテレビでスポーツ観戦することを正当化する人のようになるわけにはいきません。試合中継や再放送,試合後に延々と続く解説,あるいは霊を鼓舞することのないショーなどに釘付けになるわけにはいかないのです。

    わたしはこれまでに,科学技術の恩恵をうまく活用できることに気づきました。ビデオの録画装置を持っている人は,それを用いて見逃したくない番組を日曜日に録画して,後で別の日の都合の良い時間帯に,録画した番組や特別な催しを見ることができます。コマーシャルを早送りしたり,途中で休憩したり,見たい部分を見逃さないようにしたりもできます。

    日曜日には,集会に出席し,教会の責任を果たした後,ただ座って手をこまぬいていなければならないわけではありません。スペンサー・W・キンボール大管長は,安息日を特別な日にするためにできる事柄を多く提案してくれました。例えば,瞑想する,奉仕する,聖文や大会の説教,教会機関誌,心を高める文学作品を読む,預言者の生涯や教えを研究する,教会のレッスンや家庭の夕べの準備をする,親戚や友人を訪ねる,日記を書く,宣教師などに手紙を書く,心を高める音楽を楽しみ,教会の賛美歌を歌う,子供と一緒に本を読む,家族歴史を探求する,文化芸術を鑑賞する力を伸ばす,教会員でない人と親交を深める,病人や老人,孤独な人を訪問するなどです(Teachingsof Spencer W. Kimball,217参照)。

    日曜日を特別な日にしてください。そうすれば, 皆さんは主の目に特別な者となれるでしょう。

    皆さんとともにした決意を貫くにはエネルギーや努力が必要です。決意を貫くことによって,イエスのようにわたしたちも,知恵が加わり,背たけも伸び,そして神と人から愛される者となれるようにお祈りします。そうするにつれて,残りの人生で毎日,もっと幸せになり,さらに成功し,より救い主のようになれるでしょう。◆