末日聖徒イエスキリスト教会 リアホナ2007年9月号 84歳の姉妹,倒壊した家屋の下から5時間後に救出される

    84歳の姉妹,倒壊した家屋の下から5時間後に救出される

    ──新潟地方部長岡支部・坂井ケン姉妹

    おばあちゃんが迷彩服の自衛隊員によって担架で運ばれてゆく。瓦礫の向こうには安堵の表情と笑みを浮かべ周囲に頭を下げる娘とおぼしき婦人。『84歳の女性 無事救出』の報がその映像とともに日本全国に放送されたことは記憶に新しい。助け出されたおばあちゃんが担架の上で合掌して自衛隊員に感謝する様は,なんとも敬虔な仏教徒,という印象を視聴者に与えたことだろう。

    災害は忘れたころに,ではなく,忘れる間もなくやって来た。2007年7月16日(月)午前10時13分。新潟県中越沖を震源とする最大震度6強の大きな地震が中越地震の復興途上にある中越地区を襲った。新潟は北陸三県( 富山,石川,福井)を合わせた大きさの細長い県で,京都に近い方から,上越市を擁する上越,長岡市や柏崎市を擁する中越,本州日本海側初の政令市,新潟を擁する下越のおおよそ3つの区分に分けられる。今回の地震は中越の海岸沿い,人口10万余の柏崎市を中心とする地域にとりわけ大きな被害を及ぼした。1か所の原子力発電所としては世界最大級の出力を誇る東京電力柏崎刈羽原子力発電所も想定外の揺れにより稼働中の原子炉はすべて停止。新潟地方部長岡支部は2004年10月の新潟県中越地震からわずか3年を経ずして2度目の震災に見舞われたことになる。

    地震発生から5時間ぶり,救出開始から約3時間後に崩れた瓦屋根の下から生還した84歳の「敬虔」なおばあちゃんは長岡支部の坂井ケン姉妹。見守っていた「娘」は同じく長岡支部の入澤恵美子姉妹。ともに改宗して数年だがクリスチャンとしての敬虔さと信仰は長岡の小林強支部会長も太鼓判を押す。「入澤姉妹は信仰を行動で表す人です。あの後,何度も会いに行きましたがその度に証を聞かされます。お母様の坂井姉妹は謙遜で敬虔な人です。」

    入澤姉妹は12年前に夫に先立たれ,息子と娘は独立。実の母親と二人きりで暮らす親子に震災は情け容赦なく襲いかかった。

    長岡支部大会の一環で長岡市の国営越後丘陵公園にハイキングに行く途中のこと。入澤姉妹が同乗していた上越支部の高瀬夫妻の車が突然蛇行を始める。「パンクしてハンドルが取られる感じでした。家内から『何ばかなことやってるの』と言われました。」と高瀬満兄弟。ラジオで情報を確認し,柏崎が震源に近いことが判明。入澤姉妹はそのまま高瀬ご夫妻の車で柏崎へと引き返すことになった。

    渋滞を避けながらの柏崎への帰路,時折激しく倒壊した家屋が目に付くようになってくる。柏崎の市街地は一見すると被害は少ないように感じたという。「うちは絶対大丈夫と思いました。」3年前の中越地震のときも大きな揺れに耐えた入澤家の蔵。緊急時には母屋から「より安全な」蔵に移るように,入澤姉妹と坂井姉妹とで申し合わせていた。3階建ての蔵は無残にも崩れ落ち,ほとんど原形をとどめていなかった。自宅に到着し,現場を最初に見た入澤姉妹の第一声は「なんで,なんで。」高瀬姉妹にしっかりするよう励まされつつ,残った母屋の玄関から入って坂井姉妹を探すが見つからない。申し合わせどおり蔵にいたなら,崩れた蔵の下敷きになっているはず。消防に救助を要請するも,出動要請があまりに多く順番を待ってほしいとのこと。近所に住む市議会議員を通して災害派遣された自衛隊に救援要請がなされ,救出作業が始まったのは地震発生から約2時間後だった。

    「どの辺にいるんですかと言われすぐに指し示しました。」入澤姉妹が指示した屋根の一角をはぎ取って穴を開け約3時間かけて坂井姉妹は無事救出された。坂井姉妹が生き埋めとなった場所には顔も動かせない,ぎりぎりの空間が確保されていた。挟まれるということもなく,けがといえば外に引っ張り出すときに負ったかすり傷のみ。搬送先の病院の処置は消毒だけだった。「まだ坂井姉妹には使命が残っていたんだなと思いました」と入澤姉妹は母親の無事を喜ぶ。

    自分が外出していたことがむしろよかったと入澤姉妹は語る。「家にいれば二人一緒に下敷きになっていたところです。」助けを求めることも,的確な位置を告げることも外出していたからこそできたことだった。

    申し合わせどおり3階建ての蔵の2階の居間に避難した坂井姉妹は地震発生から救出までの約5時間生き埋めとなった。身動きが取れない暗闇の中「(何か)悪いことしたんでしょうか」「娘が早く帰って来ますように」と祈った。途中であきらめようとも思ったが,自分が死んでしまったら娘がいつまでも後悔するかも知れない。それで,頑張らなくては,と自分を励まし,じっと待ち続けた。救出後,担架に乗せられ,合掌して感謝する坂井姉妹に救急車の消防隊員から声がかかる,「おばあちゃんね,いいこといっぱいしてきたから助けてもらったんだね。」

    情報を収集し初動体制を敷いた後,小林支部会長が柏崎の現地に到着したのは,自宅に戻った坂井姉妹が報道各社から取材を受けている最中だった。「祈ったときに(坂井姉妹が)必ず助かるという思いがありました」と小林支部会長。長岡支部は3年前の中越地震に引き続き,中越沖地震でも支部内の人的被害はゼロだった。

    瓦礫の中からいちばん最初に出たのは坂井姉妹だったが,2番目に出て来たのは先代から伝わる額入りのイエス・キリストの絵だった。舅は神仏に対する信仰があるような人ではなかったが,どういうわけかキリストの絵を所蔵し飾ってもいた。「いちばん大切なものを持ち出せました」と喜ぶ入澤姉妹。台所とお風呂場を直したばかりという母屋もこの状況では取り壊す以外にない。しかし,「信仰が強くなると大きな試練がやって来ると聞いていましたので,少しは信仰が強くなったのかなと思いました。でもどうなんでしょ。信仰がなくてもこんな目に遭うんでしょうか」と笑う入澤姉妹。瓦礫の前に立ち,普通なら途方に暮れるところだが,「生かされていることを実感しました」「これからわたしの人生どんなになるのか,ワクワクしています」とも。

    自身も妹である三条支部の若林幸子姉妹からの紹介によって改宗した経緯を持つ入澤姉妹は,すでに3人の改宗にかかわってきた。うち一人が最愛の母,ケン姉妹である。避難所では福音を分かち合うことができる人との出会いもあったという。

    逆境の中に神様の御手と祝福を感じている入澤姉妹の話は,いくら聞いてもまったく悲惨さが伝わってこない。入澤姉妹の口から出て来る言葉は合掌して救出された母親譲りの感謝と将来に対する期待に満ちあふれていた。◆