リアホナ2007年7月号末日聖徒の留学事情 自分たちの国で神様の業に働くために

    末日聖徒の留学事情 自分たちの国で神様の業に働くために

    ──苦学しながらも,ブリガム・ヤング大学ハワイ校を首席で卒業  吉田恵太郎兄弟

    ブリガム・ヤング大学ハワイ校(BYUH)で心理学部に在籍し,昨年,首席で卒業した吉田恵太郎兄弟。奥様の糸真姉妹とともに,夫婦そして家族での留学生活の模様を語っていただいた。

    「わたしは大学で学ぶことなく,伝道へ行きました。宣教師として働いている間,伝道を終えた後のことを考えると,もう少し教育を受ける必要があると感じていました。特に,教会の指導者が教育の必要性を話されることが多かったので,大学で学ぶことへの関心は高まっていきました。伝道を終えてからもその希望を抱き続けましたが,仕事も忙しく,毎日遅く帰る生活の中で勉強時間など持てるはずもなく,実現にはなかなか近づきませんでした。そんなとき妻と出会い,結婚し,彼女の理解もあって留学へと踏み切りました。そのときは何を勉強するかは詳しく考えていませんでした。しかし,できれば人を助ける仕事をしたいと願っていましたので,心理学を学ぶ方向へ進みました。」

    言葉の壁に苦しんで

    夫婦で熟考し,祈って選択した留学であったが,言葉の壁は恵太郎兄弟には非常に厚いものだった。「英語の学力が低かったので,BYUHへ入学して最初に受講した留学生のための英語クラス(EIL:English as an International Language)もレベルはかなり下の方でした。日常会話もろくにできませんでしたので苦労しました。わたしには11歳下の妹がいるのですが,同じ時期に留学していた妹と同じクラスで勉強することになりました。こんな経験はあまりできませんよね。」

    英語が不自由なことは大学での勉強のみならず,家庭での生活にも影響する。「いちばん大変だったのは家族と勉強の両立でした。英語ができませんでしたから,宿題にすごく時間がかかります。家に帰ると子供たちはわたしと遊びたがります。授業についていくことは簡単ではありませんでした。とにかく宿題の量が多いので,それをこなすのに必死でした。宿題を終えるまで勉強するか,ソファーで仮眠して夜中に起きて再び勉強するというような生活でした。早いときは午前7時から授業があります。それまでに宿題を終えることができないこともありましたので,さらに早く起きて残った宿題に取り組みました。早朝の授業に出席し,一度家に戻って家族で聖典を学び,そのあと再び大学へ戻ることもありました。家族との時間を上手に取るのは難しいことでした。」

    どんなに勉強が大変でも,恵太郎兄弟は最初の決心を忘れることはなかった。「妻がいつも支えてくれたので,自分が何をしに来ているのか忘れることはありませんでしたし,集中することもできました。大学院へ行くことを目標にしていましたので,できるだけ良い成績を取れるように頑張りました。」

    「教会では書記補助に召されていましたので安息日も忙しくしていました。その責任は2年間果たしました。妻はその間,扶助協会の会長の責任を受けていました。」恵太郎兄弟を支えていた糸真姉妹にとっても,まさに多忙を極めた生活だった。「訪問しなければならない姉妹たちがいるときに,どうやって訪問しようか熱心に考えました。この責任を通してたくさんのことを学びました。教会の責任というのは,召されたその一人だけで果たすものではないと思いました。伴侶や家族の助けが不可欠です。」ハワイ神殿で朝5時のセッションに参入し,そこで様々なことについて主に助けを求めることができたという糸真姉妹。「近くに神殿があるというだけでも大きな祝福です。」

    絶えず集中力を保たなければならなかった日々を振り返り,恵太郎兄弟は「疲れました」と繰り返す。経済的な事情もあり,卒業に必要な単位を早く取得すべく夏休みも授業を取り続けたが,さすがに疲れ切って1回だけ休んだ。

    生活を支えるため,BYUHに隣接するポリネシア文化センターでアルバイトをし,寸暇すんかを惜しみつつ無我夢中で授業について行くという状態は卒業までずっと続いた。気がつくとだんだん授業が分かるようになってはいたものの,恵太郎兄弟としては,追いつくのに一所懸命で,良い成績を収めているとの実感は最後までなかった。

    青天の霹靂

    「ある日,副学長が会いたいとのメールが彼の秘書から届きました。何の用事だろうと思いながらオフィスを訪ねると,『あなたが首席で総代です』と言われました。」恵太郎兄弟の驚きようは一通りではない。3年間の努力の結果,卒業式で,卒業生を代表してスピーチを行う総代に抜擢されたのである。BYUHへ留学した日本人学生としては初めての快挙だった。

    卒業式の朝食会と昼食会に招待された吉田ご夫妻は,十二使徒のワースリン長老の隣に座るように指定された。その席で恵太郎兄弟はワースリン長老に,日本の家族の価値観の変化についてなにげなく話した。「日本では結婚しないことを好む人や,子供を生まないことを望む選択をする人が増えている傾向にあると話しました。するとワースリン長老は『それは神様が悲しんでいますね』と言われました。その言葉はとても印象に残りました。残念だとかそのようなことを話されるのではなく,間髪入れずに単刀直入にそのコメントをされたときに,十二使徒というのはこのように主の代弁者として証をされる方なのだと感じました。」恵太郎兄弟はこの言葉を胸に刻み,専攻した心理学を基に,大学院ではファミリー・サイエンスを学ぶ決心をしている。

    留学の目的

    恵太郎兄弟と糸真姉妹にとって留学生としての生活は思い出深い楽しいものであったに違いない。しかし同時に,家族に負担をかけながらの留学であり,背水の陣との思いで臨んだことでもあった。様々な問題を解決しながら,主に頼り,よく祈っての決断だった。「わたしたちは家族としての留学でしたので,経済的にも苦しさを乗り越えなければなりませんでした。家族でも独身の学生であっても,留学すること自体はそれほど難しいことではないと思いますが,いろいろとクリアしなければならないこともあります。わたしたち夫婦も,一緒に祈ったり,話し合ったりして,二人ともそれが御心にかなっていると感じたので留学することを決断しました。そのときの主からの答えとわたしたちの決断が,留学中の支えとなりました。単に憧れだけで留学するのではなく,自分にとって,または家族にとって正しい選択なのかどうかを見極め,その答えを出してから留学することをお勧めします。」

    恵太郎兄弟を支えてきた糸真姉妹も同じように話す。「菊地良彦長老がファイヤサイドに来られたことがあります。それはとても印象的な話でした。留学生として学ぶ機会が与えられたのは決して偶然ではないというものでした。いずれ日本へ戻って,主の業に働くためにもよく学んでくださいと話されました。BYUHの校訓は『学び,そしてそれぞれの国で主のために働きなさい』というものです。デビッド・O・マッケイ大管長がBYUHを奉献されたときにそれを祈りの中で語られました。わたしたちはその言葉をよく理解しようと努めました。天のお父様の期待を裏切りたくないという気持ちでした。留学生の生活は苦労もたくさんあります。しかし,その経験を通じて何か学びたいといつも思っていました。経験していることは必ずどこかで役に立つと前向きに捉え,自分が成長できるように頑張りたいという思いで生活していました。」

    吉田兄弟姉妹は留学を「将来自分の国のために働く訓練の場」だと表現する。また「異なった文化の中で学ぶというのは,祝福であり,特権」と語る。「単に学問を究めるために来たのではなく,ここで学んでいるのは特権で,神様が導いてくださったことだと感じていました。恵まれて留学できる人は,自分たちの国で神様の業のために働くべきだと強く感じました。」それは吉田兄弟姉妹の証であると同時に,現在,留学している人たち,そしてこれから留学する人たちへの激励ともなる言葉だった。◆