リアホナ2007年7月号大学教育でいちばん大切なのは“読解力”です

    大学教育でいちばん大切なのは“読解力”です

     吉田博兄弟

    吉田博兄弟は,現在,新潟県の教育委員会に勤務しています。英語の教育現場に長く携わり,現行の高等学校学習指導要領を作成するなど英語教育の第一線で働いてきました。その吉田兄弟に,留学や大学進学を志す若い人に向けての提言を伺いました。

    「学ぶことは大学で終わることではありません。わたしは大学とは,一生学ぶための学び方を教わる所だと思っています。わたしたちの若いころは,留学をするということは大変な決心と,それだけの準備も要り,“行くからには”そうしなければ意味がないという時代でした。でも今は,割合と簡単に行けるようになったなあ,という感慨があります。ある意味では良い時代かもしれません。英語力がなくとも,向こうへ行って生活していくうちに何とかなる,という人たちも散見するようになってきました。ただ,大学教育をそんなに軽くは考えないでほしいと思いますね。」

    「アメリカで大学に行くときに(日本の大学でもそうですけれど)いちばん必要なのは,文献を読み下す力,つまり読解力。文章をきちんと読む力です。

    そのことを知らずに,『スピーキングやリスニングができないと向こうの大学へは行けない。スピーキングは日本の学校教育ではだめだから,行ってから何とかする』というような考え方で行ったって,決してアメリカの大学教育が求めるレベルまでは行かないでしょう。向こうの生活に慣れるうちに何とかなるだろうと思うのは大きな間違いだと思います。」

    「特に大学教育を受けるためには,(日本で)どれだけ読解力を付けていくかですね。文法的にしっかりした文章をどれだけ大量に読み,書いてるか。それがちゃんと身に付いていれば,話すことも聞くこともできます。スピーキングやリスニングをするための基となるものをちゃんと修得していて,頭の中に入れ込むことができなければ,向こうで大学教育は受けられないですね。

    だから,準備をした分しか大学教育では返って来ないのです。スピーキングやリスニングさえできれば何とか入学できるからと,読むことについてあまり重視しないで行ったら,読むことを重視しないような大学生活を送らざるを得ないだろうと思います。つまり,準備したレベルでしか卒業できないということです。」

    「今の高校の学習指導要領は,話したり聞いたりする力にかなりシフトするようになっています。その最大の理由は,先生方がそういうことを教えられるようになったということです。わたしは古いタイプの先生方から教育を受けましたから,話すこと,あるいは聞くことについては十分ではありません。けれどもきちんと,文法にかなった英語を書いたり読んだりする訓練を受けてきましたので,そんなに苦労はしていません。」

    実際には,“苦労はしていない”どころか,教会員の間で吉田兄弟は,中央幹部が来日した際,しばしば通訳を務めることでも知られている。「英語を勉強する人にとってみると,中央幹部の同時通訳をすることはあこがれのように見えますけれども,基本は読んだり書いたりする力だと思いますね。」

    逆に言えば,スピーキングの力が十分でなくても,読解力があり,語るべき専門的な内容があれば,向こうの大学教育にはついて行ける,という。

    「特にアメリカの大学に行く場合は,何を学びたいのかという動機をほんとうにしっかりさせてほしいと思います。今の日本社会では,多くの場合,ある程度の専門性を持っていて,それを表現できる英語力があるというのが大きく評価されるようになってきました。英語だけではもうだめです。深い専門性を持ち,それを英語で説明する力があるかということです。」

    かつてアメリカの大学卒業資格は日本企業において就職時にほとんど評価の対象にならなかった。しかし現在は,好況感も手伝って,学歴だけで判断せず個人の力を見て採用するようになってきたという。「日本全体が,そういう英語を話す力については評価するようになってきましたので,昔の人たちよりは大卒という肩書きを使えるようになってきた。それはラッキーなことだと思います。」ただし,日本の公的な資格が求められる職種,たとえば医師や薬剤師,小中高校の教員などになりたいといった場合は,学制の違いから,日本の医師法や薬事法,教員免許法など日本の法律に従った単位を付与できる大学でなければまったく通用しない。その差は厳然としてある。

    「ですから,英語だけではなくて,自分がどういう専門をやりたいのか,それを英語の,欧米の大学で勉強することに意義があるのかということについて,よく考えてほしいと思います。それは結果として違っていてもかまわないんですよ。人生なんて死ぬまで探求ですから。わたしだって教員が自分にふさわしいのかどうかよく分からないんですが,引退するころには,少しは分かるかもしれません。生活もしないといけないわけですから,きちんと生活していけるだけの専門性を身に付けたいという気持ちを持つかどうかですね。(結果的に後で,専門を)変えたとしても,それまでの専門性を生かして変えるわけですから。そういう希望を持ってほしい。それは日本の大学でも同じかもしれないですね。」◆