リアホナ2007年1月号この町に末日聖徒15

    この町に末日聖徒15

    信仰生活は陶芸のように

    ──物質的ではない祝福に目を向けて              ~桐生ステーク小山ワード 大畠ご家族~

    栃木県小山市在住の大畠宏文兄弟の名刺にはこう書かれている。「──余分な遊びを食卓に──」文教大学教育学部に通っていた大畠兄弟の“作品”が雑誌に初めて紹介されたときのキャッチコピーだ。「とある展示会で紀元前4,000年の作と伝えられる陶器の人形と家を見ました。それらの色彩と艶に,作者が亡くなった後も永遠に光を放ち続ける永遠性を感じました。」大畠兄弟は実用とアートを兼ね備える陶芸を志した理由をそう語る。大学では初等・中等教育と美術を専攻。使われていない焼き窯が大学敷地内にあったので試しに火を入れてみたのが実際に作品作りを始めるきっかけとなった。

    料理の盛り付けには当然ながら器が必要となる。大畠兄弟は雑誌に掲載された名店料理紹介記事の『器の協力○○店』といった表記を調べてはその店に直接掛け合い自らの作品を売り込んだ。この取り組みは大当たりし,人気雑誌の名店料理紹介コーナーに数多くの皿やカップが掲載され,やがて作品そのものも紹介されることとなる。掲載件数は30以上にも上り,フリーマーケット1日で20万円売り上げることもあった。

    中学3年で改宗した大畠兄弟は,「物質的な祝福にだけ目が向いていたのかもしれません」と順調だった陶芸家としての生活を自嘲気味に振り返る。大学在学中に知り合った現在の伴侶,千賀子姉妹については「福音をわざわざ学ばなくても善良であることに魅力を感じました」と絶賛する。が,「かえってそれが教会に魅力を感じなくなる理由にもなりました」とも。大学卒業後,中学教員となった千賀子姉妹と結婚。二人の娘にも恵まれ,まさに“この世的には”順風満帆の家庭生活だった。しかし──「祝福が取り上げられるのでは,と,びくびくして生活していました。」教会から足が遠のいていた15年間,一度たりとも教会を否定し得ず,一日たりともイエス様のことを忘れたことはなかったという。「いつか戻ってみせるとは思っていましたが,どんどん月日が流れていきました。」

    簗田兄弟の訪問

    栃木県小山市に移り住んだ大畠兄弟は小山支部の簗田秀春兄弟の度重なる訪問を受けることになる。それもホームティーチャーとしてではなく,簗田兄弟いわく「ただの友だち」として。大畠兄弟の再活発化と家族全員の改宗を語るとき,避けては通れない恩人だ。「果物やジュースを持って来てはわたしの話に耳を傾け,教会に批判的な言葉にも反論することなく,ただ黙ってニヤニヤしているだけでした」と大畠兄弟は当時を振り返る。

    4年近く訪問が続いたある日のこと。物腰の柔らかな簗田兄弟が大畠兄弟に教会に来るよう初めて,しかも少々強引に誘った。「義理を果たせ,なんて言っていました。うちの息子がバプテスマを受けるから,うちの息子の晴れ姿なんだから見に来いと。」あまり気乗りはしなかったものの,そこまで言われては引くに引けず,2000年の秋,大畠兄弟は久しぶりに教会の門をくぐった。

    「お父さんが行きたいという教会ってどんな教会か見てみたいと思いました。」

    千賀子姉妹はそのときの家族の気持ちをこう代弁する。「社会科見学気分でした」とも。急に親が嫌いになり反発し出す時期の子どもたちを相手にする中学校の教員という仕事柄,支部のコンサートで家族が仲良く歌っている姿が衝撃的だったという。「中学生や高校生と父ちゃん母ちゃんが讃美歌を美しい声で歌っている姿を見て涙が滝のようでした。思えばそれが最初に感じた御霊でした。」

    問題のある子を見れば見るほど,家庭に問題がある,と感じてはいるものの,教員という立場上本音を言うことはできない。「家族が大事と言い切っている教会にもびっくりしました。」思いを代弁してくれる教会に真理を見いだすのは千賀子姉妹にとってそれほど難しいことではなかったが,「自分はまともに生きているし,(福音が)なくても生きられる」という思いもあった。2年間求道者を続け何人もの宣教師を見送ってきた千賀子姉妹に大畠兄弟は「涙を流して(バプテスマを)受けさせてくださいと言うときが必ず来るから,そのときでいい」と助言していた。

    咲里姉妹の大けが

    大畠兄弟は2000年から仕事場に家を建てている。住みながら作る自作の家で,2006年末の段階で「もうじき完成」の予定だ。この家の建て始めのころ,長女の咲里姉妹(当時小学2年)が大畠兄弟の実家から譲り受けて飼っていた大型猟犬に引きずられ,建築資材から出ていた釘で手のひらから腕にかけて大きな裂傷を負うという事故に遭った。深い傷口に土が入り,医師からは,「二日以内に熱が出たら破傷風で死にます。腱も損傷しているので,治っても手が動かなくなる可能性があります」と宣告される。

    大畠兄弟は久しぶりに祈り,「この(咲里姉妹の)手が治ったら教会に戻ります」と神様と約束した。──結果,発熱もなく,手は無事に完治した。朝から晩まで飲んでいたお酒をやめることはできなかったが,神様との約束は守らなければならない。「これは行かなければ,ということになって教会に集いました。」

    そのうち,ある日,子どもたちが教会員はお酒を飲まないことに気づいてしまう。「なんでお父さんお酒飲んでるの,教会行ってるのに」と父親に突っ込む子供たち。「教会がいいところだと言って連れてきているのに,それと反することをごまかして教えるわけにはいかないから,お父さんはお酒やめる。」大畠兄弟は子どもたちに後押しされる形で飲酒の習慣を断ち切った。

    やがて大畠兄弟は,当時長老定員会会長でもあった簗田兄弟からメルキゼデク神権を受けるように勧められた。「大畠兄弟,メルキゼデク神権受けなよ,家族を癒せるよ。」「気休めだよ,病院に行けばいいんだよ。」そんな軽口を叩いてはいたものの,実際には「メルキゼデク神権の重さを知っていたので断っていました」という大畠兄弟。だが,咲里姉妹の一言で状況は一変する。

    「バプテスマ受けちゃだめなの?」──「この子が受けたいというのを聞いたら自分で(確認の儀式まで)施したくなりました。」大畠兄弟は簗田兄弟に「超特急でお願いします」と,神権を受けるためのレッスンを依頼した。「(当時の)ハルヴォーソン地方部会長にはみっちり絞られました」と大畠兄弟は苦笑する。

    「幼いわらべに導かれ」

    咲里姉妹が初めて教会に行ったその日は簗田慧兄弟のバプテスマの日であった。バプテスマの神聖さに触れ,同い歳の慧兄弟のしっかりした態度に,自分もそうなりたいと感じたという。

    信仰生活に入ると安息日の過ごし方が劇的に変わることがある。学校のミニバスケットクラブに所属していた咲里姉妹は,まさにそうだった。家族で教会に行き始めたとき,日曜日にはクラブに参加しないことを決め,とある大会後の食事の席上,そのことを父親である大畠兄弟がチームの監督に伝えることになった。監督は,せめて大会のときくらいは,と慰留したため,「じゃあ分かりました,大会だけでも」と大畠兄弟が答えたとき──「咲里ちゃん,お父さんがいいって言ったよ」「よかったね許してもらえたよ」という周囲の声をよそに,父親に対して「えっ?」という顔をした咲里姉妹。同席していた保護者は意外な反応に驚いた。「咲里ちゃん,『やった!』って喜ぶかと思ったら逆の顔でした。」

    「親がクリスチャンで子どもに強要していると思われていたようです」と母親の千賀子姉妹は当時の様子を語る。

    次の日,咲里姉妹は,父親が伝え得なかった日曜日の件を自ら監督に告げることに。「父はプレッシャーに負けて大会だけならって言っちゃいましたけれど,教会も大事なので……。」

    「すごいな,と思います」と千賀子姉妹。

    「自分でバプテスマを受けると決めたときや安息日のバスケットのことで監督に決意を伝えたとき,神様は8歳の子に答えをくれるんだなと。長女に導かれました。」大畠兄弟のメルキゼデク神権聖任と咲里姉妹のバプテスマから1年半後,今や何の迷いもなく延期する理由が見当たらなくなった千賀子姉妹もバプテスマの水をくぐることになる。

    次女の流花姉妹はバプテスマについて,家族みんなが受けてすばらしいものだとは感じていたという。家族で教会に集い続け,母親,千賀子姉妹の1か月半後にバプテスマを受けた流花姉妹は,小学6年の最近になって,聖文や賛美歌について分かるようになってきたとうれしそうに語る。そんな流花姉妹の信仰を物語るエピソードがある。

    2006年の夏休み,大畠家族は北海道に向かった。野生のアザラシが300頭近く生息するスポットを見学するためだ。近くには漁港があって船が全部上げてあった。ずいぶん船を大事にしている港だなと思いながらエンジン付のゴムボートを用意し,いざ漁港を出てアザラシの生息地付近に行ってみると,激浪の中にあっという間に迷い込んでしまった。「こりゃまずい,死ぬ」──舵も利かずゴムボートが転覆しかねない危機的状況にあって流花姉妹はすかさず,「神様お助けください,神様お助けください」と叫んだ。

    転覆すれば大惨事となるところから九死に一生を得,ほうほうの体で帰ってみると,地元の漁師曰く「このボートで行って来ちゃったの?」「だれも止めてくれないんですもの,行っちゃいましたよ。」──この日は台風崩れの低気圧の影響でみんな船を上げて漁を休んでいたのだ。

    「あれ(流花姉妹の祈り)のおかげでうちらは生きているのよ,と後で胸をなで下ろしました」と千賀子姉妹。親は子どもを導かなければならないと気負っているが,逆に子どもから導きを受けることも多い。大畠ご夫妻の一致した見解だ。

    責めない女性たち

    大畠兄弟は今まで大畠家の女性たちに責められたことがない,という。北アルプスの名峰,鹿島槍ヶ岳(2,890m)に登ったときのこと。夜11時から登りはじめ約19時間後,手をつないで『感謝を神に捧げん』を歌いながら下山したところ,キャンピングカーの鍵がないことに気がつく。幸い上の窓が少し開いていたため,そこから流花姉妹が車内に入って鍵を開け,取りあえずキャンピングカーで一晩過ごすことにした。

    あくる朝下山してくる人々に鍵が落ちていなかったかを聞いてみると,3組目くらいの登山者から「ありましたよ。持ち帰った方がいいのか,そのままにしておいた方がいいのか散々迷いましたが,落ちていた場所に黄色いバンダナで結んでおきました」との情報を得た。大畠兄弟がその場所を聞くと「山頂です」との答えだった。結果,大畠兄弟は1日をおかず2度目の登山を敢行することに。

    「ご自分のバンダナをささげてくださった親切なご夫婦のおかげで鍵があることがわかっただけでも祝福でした。キャンピングカーの窓が少し開いていたのも幸いしました。」千賀子姉妹は鍵をなくした大畠兄弟にではなく,与えられた境遇の中から祝福を数え上げることに思いを向ける。── 4時間で鍵を無事回収して戻ってみると,大畠家の女性たちは近くの川で遊んでいて「もう帰って来たの」と名残惜しそうでもあった。

    精錬の炎にさらされて

    粘土は水,次いで素焼きのやや低い温度の火をくぐり,絵付けと上薬を塗る工程を経て1,300度もの高温の炎に耐え出来上がる。大畠兄弟はこれを福音になぞらえる。バプテスマ,聖霊による清め,試し……。「教会に戻るときに約束しました。もう逃げません,と。それでどこまで逃げないか試しが始まりましたね」と大畠兄弟はその信仰生活を振り返る。

    安息日を守り責任を果たすことで陶芸制作のサイクルが崩れ,気がつくと生産量が落ち込んでいた。「それでもいいことをしているのだから必ず穴埋めがなされるはず,と思っていました。ところがそれが全然ない。信用が落ちてきて取引先が自然になくなっていきました。」陶器の市場自体が小さくなったことも災いした。その影響で益子焼の陶芸家の3分の1が淘汰されたとも言われている。そんな中,独自のブランドを確立し陶芸の世界で生き残ることは困難を極めた。

    収入減に歯止めをかけたい大畠兄弟は先物取引に手を出し,ものの1時間で大損を出したこともあった。それでも「仕事しなかったらそりゃ収入減るよ」と千賀子姉妹は大畠兄弟を優しくいたわった。

    収入は減る一方,それでも教会の責任は増え続ける。「断食し神殿に行っておそるおそる祈りました。日本人の教会員が減るのは自分の働きに応じた報いを感じられないからです。その報いを味わえるように祝福してください,と。」すると程なくある百貨店から個展の話が舞い込んできた。学生時代から,個展の経費を負担までして可愛がってくれた店が中に入って話が進み,限られた時間の中必死で作って作品を納めた。ところが,催し物自体が変わったのか,いつから個展が始まるか聞いても曖昧な返答しか来なくなる。仲介した店の資金繰りが苦しいのも知っており,かつて世話になった手前,支払いを強く請求するのもためらわれた。結局,個展の話はうやむやになり代金はもらえずじまい。「それでも証は絶対否定できないんですよね。」大畠兄弟の福音への証は確固たるものだった。

    クラシックカーの知識があった大畠兄弟は車の売買を始める。だが,より高温の炎にさらされるようにさらなる試しが続く。2004年,小山支部会長会第二顧問のときのこと。支部会長は大畠家の経済状態について絶対大丈夫と力づけてくれていたが,商品の車での事故,仲介で売った車の故障とその修理代肩代わり,車2台分の仕入れ代金を支払ったものの現物が届かなかった詐欺と,立て続けに大きな困難に見舞われる。「5年くらい教会を休んでみっちり仕事をしたかったですね。」支部会長に電話をすると,「大畠兄弟がなぜそんな目に遭うのか自分も答えを知りたい」と言われるほどだった。

    祝福は物質だけではない

    「姉妹はお金がないと不平を言ったことはありません。家長としてはつらいところですが。聖文の中にあるような試し,開拓者が受けたような試し,そのような土俵にいるのかなと思いました。もしも信仰を示すなら今なんだなと。姉妹は『什分の一の祝福はお金だけじゃない。みんな健康でみんな教会大好きで。すべてを求めるのはよくない,虫がよすぎる』と言うんです。」千賀子姉妹が自分の貯蓄全部を預けて好きなだけ使うようにと言うに及び,「それで奮い立ったときに地方部会長会第二顧問の召しが来ました。」──大畠兄弟は当初,地方部大会には行かないと支部会長に伝えていた。前日,地方部の書記から電話がかかってきて明日だけは来た方がいいとも言われたが気持ちは進まなかった。ところが,「朝起きたら気持ちがころっと変わりました,行かなきゃ,と。後で聞いたら娘たちが泣いて祈っていたらしいです。」

    福音に背を向けても普通に暮らして善良な市民でいることはできる。しかしながら永遠の家族となると善良であるだけでは手が届かない。「それが決め手です」とあえて試しを伴う生活を受け入れている大畠家族は,現世的に量れば大変な事情とは裏腹に,傍から見ていて実に幸せそうである。◆