リアホナ2006年10月号保存版 新会員便利帖

    保存版 新会員便利帖

    1 日々の暮らし         教会員生活ドキュメント ある日の内田家族(大分在住)

    開いた窓から流れ込む風が冷たくなってきた初秋の早朝5時30分,家族の祈りと聖典学習で内田家の朝が始まった。まだ敷布団が敷かれている居間に子供たちが両親と一緒に輪になって座る。そばで横になって眠っているのは1歳4か月の里子の女の子だ。中学生の女の子二人は身支度がすっかり整っている。7歳の奈々笑ちゃんが静かな声で祈りをささげ,ヒラマン5章9節を読んだ。続いて11歳の勇志君が10節をと,順番に家族全員が1節ずつ読む。「よかったところは?」と言うお母さんの質問に奈々笑ちゃんが「預言者の言葉を覚えておきなさい」と答える。お母さんは「そうだね,預言者や指導者の言葉を覚えることは大切だね」と言ってうなずいた。

    内田家には家族のルールがいくつかある。その一つが「子供は一日に二つ仕事をする」だ。聖典を閉じると子供たちは一つ目の仕事を始める。犬の散歩,玄関掃除,トイレ掃除,朝食作り,ベランダのポーチ掃除……。

    5 時45分。「じゃあ行ってきます。」中学2年の紗笑姉妹はお父さんの車に乗って早朝セミナリー(13ページ参照)に出かける。そのころ台所では奈々笑ちゃんが味噌汁作りに奮闘中。味噌を味噌こしに入れ,「お母さん,これくらいかなぁ」「もうちょっといいんじゃない?」──6時15分,それぞれの仕事が終わって朝食。それが終わるころ紗笑姉妹が帰ってきて,里子の女の子も目を覚ます。内田家の朝はとても穏やかで和やかだ。「子供たちが仕事をしている間にわたしは聖典を読む時間が持てます」とお母さんは言う。

    7時20分,中学1 年の野笑姉妹を皮切りに次々と登校。犬にえさをやっていた紗笑姉妹は「走らなきゃ」と飛び出して行く。お母さんの体調が少し悪いのでお父さんはこの日仕事を休んだ。

    内田ご家族は里親もしている。現在預かっている子供は1歳4か月の女の子。お母さんの直子姉妹は高校生のころに養護施設で働きたいと思い短大の保育科に進んだ。そこで勉強していくうちに「養護施設では意味がない。子供にほんとうに必要なのは家庭だ」と感じるようになり,里親を目指すこととなった。

    2005年1月に里親登録をするために児童相談所へ家族揃って出かけた。「里親というのは親二人が頑張るものではなく家族みんなで取り組むことだから揃って登録に行きました」とお父さんの健児兄弟は話す。直子姉妹は里親になってから専門里親の資格も取った。「里子が来たことで子供たちの人に対する愛情が深まったと思います。よその子に対しても率先してお世話をすることができるようになりました。子供たちの見えなかった良い

    面も見ることができています。勇志はこんなに面倒見がいいのかと思うくらいよく面倒をみます。野笑はほんとうに根気強く接し,自分の布団で一晩中添い寝をして,今では寝かしつけることができるようになりました。」

    午後3時過ぎ,幼稚園から5歳の裕真君が帰宅。続いて奈々笑ちゃんが帰宅して早速お風呂洗いの仕事をする。ブラスバンド部に入っている紗笑姉妹と野笑姉妹は6時半ごろ帰宅。紗笑姉妹は2階に掃除機をかけ始める。夕食をとり7時15分から家庭の夕べが始まった。

    今日の司会は紗笑姉妹。隣で野笑姉妹が家庭の夕べノートを開く。紗笑姉妹のピアノ伴奏で賛美歌を歌って紗笑姉妹がお祈りをした。紗笑姉妹が「テーマ聖句」と言うとみんなで新約聖書コロサイ人への手紙3:12-15を開く。奈々笑ちゃんが少しずつ区切って読み,それをみんなで復唱する。「今週の予定」の声にカレンダーを覗く。「明日は沙笑が英語」「13日水曜日は奈々笑たちが病院。ママは2時から家庭訪問……」それぞれの1週間の予定が発表されていく。続いてレッスンを教えるのはお父さん,リアホナ9月号に載っている『百万分の1の確率』という会員の経験と証を身振り手振りを交えて話す。活動のトランプは野笑姉妹の担当だ。トランプゲームには勝ち負けがあり,しばしばきょうだいげんかの元になる。裕真君と奈々笑ちゃんの間で小さないさかいが起こった。お母さんはくすくすと笑いながら時折,裕真君を慰め奈々笑ちゃんをなだめる。けんか中でもお母さんが笑うのでみんなもつられて笑い,楽しい雰囲気が壊れない。漂いかけた険悪なムードもいつの間にかすっかり消えてしまった。

    リフレッシュメントは巨峰ぶどう。年齢に差があるので食べる早さがかなり違う。数がだんだん少なくなってきた裕真君は心配になって「ぼくまだ1個しか食べてない。」最後の2個は裕真君のものになった。家庭の夕べが終わって野笑姉妹はもう一つの仕事,食器洗いを始めた。

    内田家では選択の自由を子供たちが正しく使えるように幼いときからその基礎を固めてきた。知恵の言葉は紗笑姉妹にしっかり教えた。紗笑姉妹は友だちの家でコーヒーやお茶を出されても「それは飲めません」とはっきり言える。流されずに言える長女を見習って下の子供たちも知恵の言葉を守っている。「親が動く前に上の子供たちが動きます。こういう時はこうせないかんよって言って聞かせています。」また子供たちは「安息日は教会へ」という家の方針を幼いころから教えられている。自立を教えるために子供たちは何度か電車に乗って教会へ行く練習をした。「自分たちで行けるんだという気持ちを植えつけたいと思いました。」また中学校でブラスバンド部に所属している紗笑姉妹と野笑姉妹は安息日に練習が入っても部活を休んでいる。

    内田家の一日は家族の祈りで終わる。お母さんが「感謝する言葉」とささやいた。野笑姉妹が「家庭の夕べができたこと」と切り出すと順々に,紗笑姉妹「学校に行けたこと」,お母さん「熱が下がってきたこと」,お父さん「ママが元気になってきたこと」,勇志君「運動会の練習ができたこと」,奈々笑ちゃん「ダンスの練習ができたこと」,最後に裕真君が「幼稚園に行けたこと」と言った。再びお母さんが「お願いすること」とささやく。奈々笑ちゃん「明日晴れるように」,お母さん「みんなの健康が守られるように」……。

    この祈りの形は6,7年前から行われている。直子姉妹は「お願いの言葉は多いけれど感謝の言葉が少ないので何を感謝すればいいのかを考えさせたいという思いから始めました。日常の小さなことへの感謝を見つけさせたかった。」健児兄弟は「家族の祈りは一人が祈っていてみんなはそれを聞いているのではない。みんなが神様と話しているんです。一人が代表しているだけだからみんなの気持ちを聞いたほうがいい。」

    そして子供たちはみんなお父さんとお母さんに抱きしめられ,「大好き」という言葉をもらって眠りについた。

    殺伐としたニュースが世を騒がし,ただ温かい家庭を営むこと自体が貴重になりつつある今日にあって,母親の直子姉妹は言う。「福音があるからみんなが気持ちを合わせられて,価値観がバラバラになりません。親としても迷わずにいられます。」父親の健児兄弟も語る。「家庭の夕べも教会に毎週行くことも(祈りや聖文から)聖霊の導きを求めることも家族を一致させるために大きな働きをしてくれます。福音がなかったら仕事仕事で父親不在の家庭になっていたかもしれないですね。」

    内田家の生活サイクルは,内田ご家族自身が福音を基に築き上げたもので,家庭の状況が違えばまた違ったやり方もあることだろう。しかし福音の原則と預言者の勧告に従って生活するとき,内田ご家族と同様に幸福な生活を送れることは間違いない。◆

    2 歩みを進める あなたを見守る人々

     神権定員会/ホームティーチング  扶助協会/家庭訪問   ビショップリック/支部会長会 

     神権定員会/ホームティーチング  扶助協会/家庭訪問   ビショップリック/支部会長会 

    改宗して新しい生活を始めるとき,だれもが判断に迷う事柄に出会うものだ。例えば知恵の言葉の戒めとして,何を飲んで何を控えるべきだろうか? 札幌西ステークの土門大幸会長はこう話す。──「世の中には様々な種類の食料や飲料があります。知恵の言葉を守るうえで,控えるべきかどうか分からないようなものもあります。私もいろいろな指導者からの話を聞く中で学んできました。神様が知恵の言葉の戒めとしておっしゃっているのは,お酒,コーヒー,お茶,タバコ,薬物の5つのものが基本になります。この5つに類するもの以外は,まさに自分の知恵を使って判断する必要があります。体に良いものを取ることも取らないことも自由であるように,様々な食料品や飲料を口にするかどうかも最終的には自身の判断にゆだねられます。神経質になって細かい成分まで追求するのではなく,知恵の言葉の戒めが与えられた理由を考え,選択の自由を行使していただきたいと思います。」

    教会員として生活するうえで,土門ステーク会長の言うように信仰を行使して「自分で判断する」必要がある部分は意外と大きい。前ページの内田ご家族の例では,預言者は定期的に家族で祈るように勧告しているが,感謝することを家族の一人一人が述べるという方法は内田家が「自分で判断」して行っていることである。また家庭の夕べを開くよう勧告されたとき,どのようなプログラムを組むかは,家族が「選択の自由を行使」する楽しい機会である。それでも判断に困ったとき,会員を助けてくれるいわば“安全弁”が教会には備えられている。それは神権定員会のホームティーチャーであり,扶助協会の訪問教師である。またビショップリック/支部会長会も新会員を見守っている。彼らは定期的に会員と接触を持ち,迷いや悩みの相談にとどまらず,家庭生活上の物質的な必要に至るまで助けの手を差し伸べたいと願っている。彼らの意見を参考にしながら,「自分で判断」して善い行いをすることが神様の御心にかなう。土門会長はこう続ける。「紛らわしいものに関しては,ビショップや指導者に尋ねてください。指導者でも健康に関する個人の考え方は様々ですから,知恵の言葉の基本は宣教師から教えられた5つのものだと理解してください。それ以上は戒めではなく,自分で判断する勧めだと思います。」

    こうしたことは知恵の言葉にとどまらない。安息日をどう聖く過ごすか。あるいは,純潔の律法をどう守るか──「社会の中で道徳観や倫理観は急激に変化しています。間違った価値観もあふれています。インターネットが普及し,メディアを通じての誘惑も大きくなっています。教会では今の社会では教えていないような徳高いことも多く学びます。ぜひとも,出席すべき集会に出席し,すばらしい教会員と接してください。一人で悩んで一人で解決しようとするのではなく,まずはビショップ/支部会長へ相談することを忘れないでください。」会員を守り会員に仕える神権指導者として,土門会長はこう新会員に呼びかけるのである。◆

    3 お役立ちアイテム

    教会資料・お勧めの10冊

    ◆リアホナ2006年8月号DVD付き

    教会の国際機関誌『リアホナ』は,毎月,預言者からの時宜にかなった最新のメッセージ(大管長会メッセージ)が掲載されるほか,大人から子供までの幅広い年代に向けて編集されている。その8割は内容・写真とも全世界共通であり,各国語に翻訳された47言語版が現在,世界中で発行されている。

    日本語版2006年8月号には特別付録DVDが封入され,そこには教会制作の3つの映画が収められている。ジョセフ・スミスによる福音の回復を描いた『回復』(約20分),イエス・キリストの生涯のハイライトを描く『キリストに信仰を見出す』(約30分),日本人向けに特に作られ,福音の価値観を語りかける『幸福を見出す』(約5分)。どれも美しい映像で,福音を情緒的に理解させてくれる。この号は増刷されており,在庫があれば教会配送センターで入手可能。

    ◆真理を守る── 福音の参考資料

    「バプテスマは受けたけれど,集会で話されている言葉や教義がよく分からない……」そのような心配はご無用。この『真理を守る』では,事典形式で50音順に配置された様々な福音のテーマについて,分かりやすく,かつ洞察力に富む解説が付されている。携行に便利なハンディサイズ(B6判変形)。

    ◆福音の原則

    「原則」(Principle)とは,人が実際に出会う様々な状況に共通して当てはめられる大きな法則のこと。この本には,人がこの世で平安と幸福を,後の世で永遠の命を受けるために必要な原則が網羅されている。

    ◆キリスト・イエス

    これまで一般的に知られていたイエス・キリストの生涯に末日聖典と近代の啓示から光を当て,詳細に解説した画期的なイエス伝。読みやすい文章の中に,救い主の生涯と使命が臨場感をもってよみがえる。ジェームズ・E・タルメージ著。

    ◆わたしたちの受け継ぎ─末日聖徒イエス・キリスト教会歴史概観

    1820年,少年ジョセフ・スミスのもとに回復された福音,そして1830年に組織された末日聖徒イエス・キリスト教会はどのような経緯で今日の世界的な発展にまで至ったのか──その歩みをエピソード豊かにたどる。

    ◆モルモン書ものがたり

    様々なストーリーが錯綜するモルモン書を美しいイラストレーションによる54の絵物語にまとめた。子供のみならず大人にとっても,イメージ豊かにモルモン書の流れを把握する助けとなる。

    ◆家庭の夕べアイデア集

    「どうやって『家庭の夕べ』を始めればいいの?」そんなときすぐに役立つ具体的な活動のアイデアやレッスンのプランを満載。今日からでも家庭の夕べが始められる!

    ◆賛美歌(小型版)

    預言者ジョセフ・スミスは殉教の直前にも賛美歌を聴くことを望んだ。「義人の歌はわたしへの祈りである。(」教義と聖約25:12)末日聖徒にとって賛美歌は生活のあらゆる場面で慰めと励ましと守りを与えてくれるもの。文庫本よりも小さく,どこへでも携行できる。

    ◆子供の歌集・楽譜&CD

    子供のために編まれた歌集で,初等協会では多用される。純真な子供の目で福音をとらえた数々の詞と曲は,大人にとっても霊的な思いを新たにさせる。『神の子です』など,後に正式に賛美歌へ編入された歌もある。楽しい活動の曲もあり,親子で歌うのもいい。別売のCDを活用すれば容易に覚えられる。

    ◆レガシー 大いなる遺産(DVD・VHS)

    初期の末日聖徒がたどった苦難と喜びの軌跡をつづる壮大な物語。ニューヨーク州に始まり,迫害され土地を追われつつ何度も定住地を築き,信仰を深め,やがて大平原を越えて安住の地ユタ州に至るまでの歴史が,ある改宗者の家族の視点から等身大のドラマとして描かれる。劇場用映画として製作され,迫真の映像と音楽でアメリカ西部開拓時代が再現されている。

    日本国内向け教会公式ウェブサイト活用法 ◆トップページwww.ldschurch.jp

    あなたがインターネットに接続できるなら,日本国内向け教会公式ウェブサイトから様々な助けを受けることができる。

    東京在住の関口ご家族はこの夏,フィンランドのヘルシンキからポルトガルのロカ岬まで欧州縦断1万キロ自転車の旅に挑戦した。行程も順調に進み,関口治兄弟らがスペインからポルトガルへと向かっているときだった。安息日に家族で教会に集いたいと思った関口兄弟は,電話帳で所在を調べようとした。しかし,「末日聖徒イエス・キリスト教会」をポルトガル語で何と言うのかも分からない。そのときインターネットの教会公式ホームページ(英語をはじめ各国語の国別公式サイトがある)のことを思い出した。アクセスすればきっとポルトガル語の教会名が分かるに違いない。早速,持参のノートパソコンからアクセスすると,名称どころかポルトガルのどこに教会があるかといった情報がすべて掲載されていた。関口ご家族はそこで確認した最寄りの教会に無事出席することができたのだった。

    このように,教会公式ホームページでは教会員が必要な情報を得ることができる。上の簡易サイトマップは,日本国内向け公式サイトから,新会員に向けてお勧めのページを紹介してみた。英語では家族歴史,賢明な生活,教会音楽とテーマ別にバラエティ豊かなホームページが教会員の生活を支援している。日本語公式サイトをはじめ日本語で利用できるページも今後いっそうの充実が図られていくことだろう。◆

    4 資金の活用  献金はどこへ行くの?

    さいたまステーク川越ワードの大波多正伸ビショップに,献金の霊的な意義について質問を投げかけた。

    これをもってわたしを試み……

    1984年9月に改宗したとき,大波多兄弟は経理専門学校の学生であった。来春に卒業を控え,就職活動をしつつ,アルバイトで得た収入の什分の一を納め始めた。実は大波多兄弟には専任宣教師になりたいという望みがあり,アルバイト代から伝道資金を貯め始めていた。大波多兄弟はすでに大手企業から内定を得ていたけれども,初任給は安く,なかなか伝道資金は貯まりそうになかった。「什分の一を払わないで伝道資金に回したらもっと早く貯まるという発想が,当時新会員だったのでありましたけど,払うべきだと感じていたし,払わなければ什分の一に対する証を得ずに伝道に出ることになってしまうと思いました。」什分の一を納め続けながら,さらに就職活動を続けるうちに,外資系銀行への派遣社員の仕事と出会うことになる。給与も高く,もとより伝道に出るときには辞めることになるので派遣社員の立場はうってつけだった。大波多兄弟はその仕事のために,就職後わずか半年で貯金が伝道資金の目標額に達したのである。

    大波多兄弟は伝道から帰還後,すぐに収入の良い仕事に就くことができた。経理を担当していた大波多兄弟はあるとき,会社の不正経理にかかわることになる。税務調査でそれが露見し,会社は追徴課税を受けることとなった。当時の大波多兄弟は上司に言われるままに会計処理しただけであって,何ら咎めを受ける立場ではなかった。しかし知識がないため結果的に不正に加担することになったことで,大波多兄弟はさらに学ぶことの必要性を痛感し,大学を受験して会社を辞め,会計学を修める決意をした。

    ところが入学して2か月が過ぎた大波多兄弟を突然の病が襲い,1か月ほどの入院を余儀なくされる。「そのときはすでに結婚していて,長男が生まれたばかりだったんです。そのとき収入がかなり減ったうえに入院費もかかるので,什分の一を払うと生活が成り立たないと思いました。でも什分の一を正直に払うことは夫婦で決めていました。」収入があるとまず最初に什分の一を取り分け,不足する分は貯金を取り崩しながら何とか4年間頑張ろうと夫婦で話し合って決めた。

    そこに思わぬところから助けの手が差し伸べられる。大波多兄弟の両親が,「学生だから」と援助してくれることになったのである。「おかげで,豊かではありませんが家族に必要なものを提供することができました。」大波多兄弟は法律事務所のアルバイトを見つけ,最後の1年は東京神殿で清掃の仕事に就いた。清掃は夜間に行われるので,平均睡眠は4時間,試験の時期は2時間ほどになった。「それでも若かったし,楽しかったんです。」そうして無事に大学を卒業することができたのだった。

    ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう語る。「皆さんの中には経済的な問題を抱えている人がいます。……そうした状態からどうやったら抜け出すことができるのでしょうか。わたしの知るかぎり,唯一の解決法は什分の一を納めることです。……什分の一とそのほかの献金を納めることにおいて,正直に主とともに歩む者には,天の窓を開いてあふれる恵みを注ぐと約束してくださったのは,神です。……わたしには,神がその約束を守ってくださるという証があります。」1

    1.ゴードン・B・ヒンクレー「生ける預言者の言葉」『聖徒の道』1997年10月号,14

    大波多兄弟はビショップとして言う。「什分の一は唯一,守ることによって祝福を受けるかどうか主を試してもいいという戒めですよね。『これをもってわたしを試み,……あふるる恵みを,あなたがたに注ぐか否かを見なさい〔。〕』(マラキ3:10)ですから什分の一を守ることができるというのはわたしたちにとって祝福です。日本の教会では会員直接献金制度がありますが,自分で窓口に足を運ぶ,あるいはビショップリックに持って行くという行為は,聖餐と同じように神様との聖約を思い起こす機会となりますね。例えばお子さんがお年玉の什分の一を納めるときなど,ご両親は代わりに郵便局へ行くのではなく,献金票の記入を助けてあげてお子さん自身が郵便局へ行くのもよい経験となるのではないでしょうか。」

    現在,教会の東京管理本部財務部経理課長を務める大波多兄弟は,教会の会計手続きについて,「きわめて厳格に,すごく正直に行っていると思いますね。神様のお金を会員の方からお預かりしているわけですから」と語る。その献金は,教会員やその他の人々の福利のため,集会所や神殿(p.22参照)の建設,教育(p.13参照),伝道活動(p.18参照),福祉,人道的援助活動などに使われる。

    人々の永遠の福利のために

    去る2006年9月8日,教会の代表者数人が東京のJAビルを訪れた。病院・診療所・高齢者福祉施設などで日本最多の施設数を擁する医療福祉グループ,JA全厚連に750脚の車いすを寄贈するためである。それを含め,今年度は日本で1500脚の車いす寄贈が予定されている。そうした福祉活動も教会員の献金によって支えられている。アジア北地域全体では,韓国とミクロネシア諸国で同様の車いす寄贈が行われている。ミクロネシアでは学校の教育用パソコンと図書,また注射器などの医療用品やミシンの寄贈が行われたほか,慢性の水不足に悩む島々のため雨水を集めるタンク60個を15か所に設置している。

    「教会の福祉には3つのステップがあります」と地域福祉部のダーウィン・W・ハルウ゛ォーソン部長は語る。「第1に,助けを必要としている人を支援する。第2に,自立を促す。第3に,彼らが奉仕をするよう奨励する,です。」奉仕を奨励する理由はこうである。「人を助けることによっていくつか自分の中に変化が起きます。自信が付き,自尊心を蓄えることができます。また,人に施しをすることは神様にするのと同じで,主への愛,隣人への愛を表す一つのすばらしい方法ですね。自分が人を助けたときに必ず笑顔が出てきます。そして幸せな気分になることができます。……喜んで尽くす,喜んで受けるという条件がそろったとき,爆発的な喜びがそこにあると思います。」

    自立には6つの分野があり,それは①教育,②健康,③職業,④家庭貯蔵,⑤財政管理,⑥霊的・情緒的・社会的な力,であるという。日本や韓国は経済力が強いので,第三世界の諸国に比べるとそれほど多くの物質的な支援は必要とされていない。しかし自立の6分野という観点から見ると,「半数以上の人が何らかの助けを必要としているように思います」とハルヴォーソン部長は言う。「ある人は,子育ても終えて子供たちは皆,独立し,自分の収入も十分あって家もあって食べ物もありますけれど,毎日寂しくてたまらない。どうすればこの寂しさを取り除けるだろうか,と。わたしたちの周りに小さな助けを必要としている人はたくさんいると思います。それに関心を持って気がついて,助けを行えるかどうかだと思いますね。」

    受ける者も与える者もともに祝福を受けるのがキリストの福音である。「イエス・キリストは一生涯,人に施しをして生きておられました。亡くなるときも自分のことじゃなく周りの人々,これから生まれようとする人々,すでにこの世を去った人々を心に思って亡くなっていきました。その精神をわたしたちが受け継いで今,生きていかなければならない。それが教会の福祉の根本であり土台となるところです。」◆

    5 福音を述べえ伝える   伝道は究極の奉仕

    宣教師たち,道路を清掃する

    宣教師たち,道路を清掃する

    8月初旬,福岡伝道本部で奉仕する宣教師のベティ・ミルズ姉妹は,福岡空港の北側の道路沿いにゴミが散乱していてとても目障りなことに気づき,こう提案した。福岡伝道部の宣教師たちで地域社会のために清掃奉仕をしよう,と。宣教師たちは賛成し,デビッド・B・岩浅伝道部会長ご夫妻はそれを許可するのみならず,一緒に参加すると言い出した。その区域の宣教師のリーダーであるジョーダン・ベネット長老と同僚の古川宗啓長老は,まず地元の警察を訪れ,次いで博多署に出向いた。警察と行政当局の助言を受けてどのように奉仕プロジェクトを実施するかが検討され,市当局は集めたゴミを清掃車で回収すると約束してくれた。

    そして8月22日,よく晴れたけれど蒸し暑い日だった。宣教師たちは空港わきの道路に集合し,「末日聖徒・助けの手」と記されたボランティア用ベストを着用して清掃を始めた。市当局は宣教師たちの尽力に感謝の意を表してくれたし,宣教師たちも地域社会に奉仕できてとても幸せな気持ちになることができたのだった。「わたしたち日本福岡伝道部は,さらにこのような奉仕プロジェクトを計画したいと望んでいます」と岩浅会長は語っている。

    宣教師は自費で,持てるすべての時間を使って求道者や会員や地域社会のために奉仕している。しかし犠牲を払っているという痛々しさはない。むしろ宣教師の快活で明るい笑顔や人柄の魅力を語る求道者は多い。北海道の旭川で,旭山動物園に勤務する馬場武志兄弟とご家族の場合もそうだった。

    新会員,馬場ご家族の見た宣教師

    新会員,馬場ご家族の見た宣教師

    この旭山動物園。シロクマ,ペンギン,オランウータンをはじめ,見ることができる動物はごくごく普通。しかし,動物を間近で見られる形状の檻や,動物たちの真ん中に出られる透明なカプセルなど観客を喜ばせるアイデアが随所に盛り込まれており,評判が評判を呼んで全国的な有名スポットとなった。管理課に勤務する馬場武志兄弟は,毎日忙しく動物園の中を動き回る。「観光バスが毎日約150台,多いときは200台を超えることもあります」と話す,動物園では古参の馬場兄弟も,家族で集う旭川第2ワードでは8か月前に改宗したばかりの新会員だ。

    馬場ご家族のもとへ宣教師が訪れたのは昨年の9月。「突然アメリカ人が来たので驚きました」と母親の淑子姉妹は話す。「二人の宣教師が訪問して来たのは土曜日の夕方でした。最初は断ろうと思ったのですが,遠いアメリカから北海道のこんな田舎まで来てくれていることを思ったら,話だけは少し聞いてあげようと思いました。翌週改めて訪問すると言っていましたが,まさかほんとうに来るとは思っていませんでした」と笑う。再度訪れた宣教師に驚いた淑子姉妹と中学生のさやか姉妹。ちょうど,玄関先で話しているときに馬場兄弟が帰宅し,家族みんなで宣教師の話を聞くことになった。

    正式にレッスンを受け始めたのは3度目の訪問からだった。「アメリカ人宣教師の言葉を補うように,教会員の方々が一緒にレッスンに参加してくれました。その会員の方々の説明がすごく分かりやすく,わたしたちもよく理解することができました。」教会員がレッスンに同席することは,馬場家族が福音への理解を深めるのにとても役立った。

    「わたしはコーヒーもタバコも飲んでいました。特に毎日コーヒーを飲んでいましたから,それがやめられるか心配でした。教会員の経験談やアドバイスによって,知恵の言葉も守ることができるようになりました。」宣教師と会員によるレッスンは,チャレンジだけではなく,それを解決するための方法をも教えられるものだったという。

    馬場ご家族が宣教師や会員と知り合って感激したことはたくさんある。「クリスマスのころに,宣教師と会員が訪ねて来て,玄関で賛美歌を歌ってくれたことには感激しました。玄関に入り切れないほどのたくさんの会員が訪問してくれました。」それは思い出す度に馬場兄弟姉妹の胸を熱くさせる思い出になっている。

    「宣教師はわたしの職場である動物園にも何度か来てくれました。彼らが教えてくれたこともすばらしかったのですが,まずは,宣教師の人柄にひかれました。息子のような年齢なのに,みんなしっかりしていました。人柄を通じて信頼感が強まり,信頼を寄せる人たちの話なので,理解が広がっていきました。」

    バプテスマを受けるころになり,淑子姉妹とさやか姉妹は少しためらいがあった。もう少し待った方がよいのではないかと。しかし,馬場兄弟は「自分だけでも先に受ける」と二人に話した。淑子姉妹は「家族みんなでよく話し合いました。それで,最終的に家族三人で一緒に2006年1月8日にバプテスマを受けました」と回想する。

    家庭に生じたうれしい変化

    中学生のさやか姉妹は「最初はレッスンの内容がよく分かりませんでした」と話す。しかし,今は教会へ行くことが楽しく「毎日が安息日だったらいい」と思っている。「教会へ行くようになってから,教会の活動だけではなく,どんなことでも家族一緒でするようになったのがすごくうれしいです」と話す。

    馬場兄弟も,改宗していちばん大きな変化は「家族で祈るようになったこと」と語る。「わたしは何十年も疑問を持っていたことがあります。必ず人間の叡智を超えた力があると思ってました。それを心の中で求めていたように思います。それが神様の存在だったと今でははっきりと分かります。また,良い家庭を作るのは自分の憧れでした。家族のみんなが家族で一緒にやることがうれしいと感じるのは,それが実現しつつあるということだと思います。」

    馬場ご家族にとって安息日に教会へ行くことは今までにない新たな習慣だ。淑子姉妹は「今まで日曜日は単にお休みの日でしたが,教会へ行くようになって生活が変われば,それが自然と習慣になり,楽しみになってきます」と話す。馬場兄弟も宣教師や会員との出会いに喜びを感じている。「生きることについて真剣に考える生活になったので,それはうれしいことです。教会の活動を通じて,人生について真剣に考えている人たちと会えることもうれしいことです。」

    現在,馬場ご夫妻はインスティテュートで学び,さやか姉妹もご両親について参加している。ある日,淑子姉妹だけが出席できなかった日に,馬場兄弟とさやか姉妹が家に戻ってから,その日に学んだことを淑子姉妹にレッスンしたことがある。「そんなことでも,すごく楽しく,うれしい経験でした」とさやか姉妹は目を輝かせる。

    「教会へ行くようになってから妻はさらに良い人格を築いていると思います。多感な年ごろの娘も,とても良い影響を受けながら日々喜びを感じています」と馬場兄弟は感謝する。

    召されている責任はとの問いに,「先日,夫婦で『なんとか』宣教師(ワード宣教師)に召されました」と笑う。「責任の正式名称はちょっと忘れましたが,宣教師や求道者を助ける働きをします」と馬場兄弟。会員と友情をはぐくみ,家族で福音を学ぶ中に喜びを見つけ,そして新たな奉仕の機会を得た馬場ご家族は毎日が家庭の夕べのようだと話す。家族で一緒に祈る新しい習慣は,家族の気持ちを一つにし,一体感を感じさせるものになっている。

    奉仕に生きる人生

    奉仕に生きる人生

    札幌伝道本部で夫婦宣教師として奉仕する歌島浩之長老/寿美姉妹は,伝道部内の宣教師からかかってくる電話の対応に追われることが多い。バプテスマを受けたいという求道者の両親との面会,知恵の言葉を守ることをなかなか決断できない求道者へのアドバイス。若い宣教師たちを助けるために夫婦ですぐに出かける。何時間もかかる場所へ訪問する途中も二人は祈りながら向かう。

    歌島浩之長老が広島で改宗したのは1972年。大学受験に失敗した歌島長老は,北海道の修道院に行こうかと考えていた。「当時は信仰心というよりも,社会から逃避したいような気持ちだったのかもしれません。」ところが出発の数日前,宣教師と出会って改宗へと導かれる。

    その後の歌島長老の人生は,まさに奉仕の人生だった。教会堂を建築するために建築宣教師として兵庫県西宮で働き,バプテスマを受けてから3年後には札幌伝道部の専任宣教師となる。改宗直後から伝道資金を貯め,霊的にも経済的にも奉仕に備えた新会員生活だった。

    妻の寿美姉妹が福音と出会ったのは1970年に開催された大阪万博のモルモン館。「宣教師から真実の教えを聞いたわたしは学ぶことを決心しました。しかし,自宅の近くには教会はありません。」

    寿美姉妹が住んでいたのは長崎県五島列島の福江島,いちばん近い長崎支部まで3時間はかかる。心に決めた寿美姉妹は万博の帰りに長崎支部へ寄り,2日間長崎に滞在してレッスンを受け,バプテスマを受けた。

    新会員の寿美姉妹にとって安息日に教会へ集うことは時間とお金のかかることだった。「長崎支部までは仕事が終わった土曜日に飛行機で出かけ,その晩は長崎に宿泊し,日曜日はフェリーで帰宅しなければならないので,聖餐会だけ出席してすぐに福江島へと戻る生活を送っていました。仕事は保育園の先生をしていましたので,土曜日もぎりぎりまで働かなくてはならず,月曜日の仕事までに戻らなければならない生活でした。この生活が続いた2年後に,扶助協会の会長に召されました。」時間と距離を克服しながら責任を熱心に果たした。

    その後は,札幌伝道部で専任宣教師として働く機会にも恵まれた。結婚してからは,夫婦でいつの日か奉仕する希望を持ち続けていた。

    二人が夫婦宣教師として召された場所は奇しくも札幌伝道部。かつて専任宣教師として奉仕した故郷のような場所に二人で再び戻ることとなった。

    なぜ,奉仕をするのですか?──歌島ご夫妻はこう答える。「それは神様からあふれるほどの祝福を受けられるからです。」この夫婦伝道に出るに当たっては,あるとき「予定していた時期よりも早く行ったほうがいい」と,夫婦それぞれが強く御霊の促しを感じた。「予定が早まるので伝道資金のこともどうしたらよいか悩みました。けれども伝道に行くと決心したときから思いがけず仕事が増え,予定していた金額を貯めることができました。」

    二人が歩み,選択してきた人生そのものが,奉仕の意味を尋ねる問いの答えになっているようだ。◆

    6 家族歴史の業  先祖を救い,先祖がわたしを救う

    あの紙を拾わなければならない!

    あの紙を拾わなければならない!

    自転車に乗って,高校3年生の筏井少年は走っていた。

    1995年12月のある午後,地元・富山市のにぎやかなアーケード街だった。突然,何か地面に落ちているものが目の端をよぎる。小さな紙片のようだ。気に留めず通り過ぎて50メートル以上走ったときだった。「いきなり,戻ってあの紙を拾わなくちゃいけない! と感じたんです。」なぜわざわざ戻らなければならないのか分からない。でも,絶対に・・・,拾わなければならないと思った。何だろうと拾い上げてみると,踏まれて足跡のついた教会の英会話のちらしだった。

    後に,記されていた電話番号から宣教師に連絡を取った。最初は抵抗があったものの,やがて「もし福音が真実ならばどうしよう」と深く考えて真剣に祈ることになる。自宅の部屋で,家族が寝静まった夜中の2時ごろだった。「もし真実であれば,生涯をかけてあなたに従います。真実かどうか教えてください。」──強い力を感じ,福音を否定できなくなった。

    その1週間後にバプテスマを受ける。1996年4月20日のことであった。

    1年8か月後,専任宣教師として福岡伝道部に召された筏井兄弟はよく自問した。改宗する人とそうでない人の違いは何なのか,と。「わたしよりも優しい人,賢い人,謙遜な人,一生懸命生きている人は,海の砂の数ほどいます。それなのに,日本人約1.3億人の中で,1000人に1人もいない末日聖徒に召された理由は何なのか。」その自分なりの答えは徐々に心にやって来た。──「多分,わたしの先祖がお祈りしていて,『隆之,この紙を拾いなさい!』と言った。先祖の心が子孫に向いて,そして子孫のわたしが教会に来たんです。」(教義と聖約2:2参照)

    伝道に出る前のころ,筏井兄弟が8歳のときに亡くなった祖母の夢を見た。「祖母は,『あなたの感じたところを探しなさい』と告げました。……系図でも伝道でも,あなたが聖霊に感じることは何でもやりなさい,と。これは祖母が(霊界で)福音を受け入れている以外の何物でもない,と感じました。」

    また伝道から帰還して間もなく,神権の祝福を受けたとき,こう告げられた。「筏井兄弟,あなたが改宗し祝福を受け続けた理由は,先祖の熱烈な祈りが今までささげられてきたからです。」

    そして神殿で祖母に身代わりのバプテスマを施したときである。「水に降りて儀式を進めるうちに,100パーセント分かったんです。ほんとうに,祖母がここにいる,と。福音を受け入れていると。身代わりをしてくださる姉妹は,もうわたしのおばあちゃんなんです。わたしは人前で泣いたりとか絶対したくない人間なんですけど,でも思いっきり泣きましてね。あんなにうれしい経験はありませんでした。」

    あらゆる手を尽くして

    伝道から帰還した筏井兄弟は,ブリガム・ヤング大学ハワイ校(BYUH)に留学する資金を貯めるため1年間働くと同時に,家族歴史の探究を本格的に進めていった。幾度となく市役所に通い,入手可能な謄本はすべて入手する。親戚の集まりや法事には欠かさず参加し,お年寄りと思い出話に花を咲かせながら先祖のことを尋ね,墓碑銘,仏壇の過去帳や位牌を調べ,お寺の住職からも話を聞いた。さらに電話帳で同じ姓を調べて電話したり,代々の筏井姓が住む集落で系図と謄本を片手に戸別訪問したり……「伝道から帰還したばかりで恐いものなんかありませんでしたから」と筏井兄弟は笑う。

    幸いなことに「筏井」という姓は日本人の中でも珍しく,そのルーツは富山県にある。地元の図書館で姓氏家系に関する本や,筏井という名前が入っている本を片端から探していくうち,『筏井四郎右衛門と自然登水車~わが国江戸時代文化年間の永久機関』(正橋剛二著)という本に巡り会った。この本の中に筏井家の家系譜が出てくる。筏井兄弟は,医師であり郷土史家でもある著者の正橋氏と会って家系譜の由来を尋ね,総本家の所在を教えてもらう。そしてその家を訪ね,数十枚に及ぶ家系譜のコピーを頂くことができたのだった。そこには平安時代,1112年に始まる筏井姓の元祖から26代にわたる代々の当主の生涯,すなわち家族の歴史が記されていた。

    「この家系譜を手にしたとき,自分を改宗させてくださった先祖をやっと発見した気がしました。約2か月後,220人強の先祖の名前を神殿に提出し,『わたしたち(子孫)なしには彼ら(先祖)が完全な者とされることはない……死者なしには,わたしたちも完全な者とされることはない』(教義と聖約128:15)という預言の半分が成就したように思います。」男性についてはできるだけ筏井兄弟自身が身代わりを務めて儀式を進めるため,留学してからほとんど毎週ハワイ神殿に参入した。

    家族歴史の業に終わりはない

    留学して数か月が過ぎ,男性のエンダウメントの儀式がほぼ終わるころだった。2001年夏のある早朝,筏井兄弟は,間借りしていたビショップの家の2階の部屋で目をさました。「目を開けると8畳くらいの部屋に20人くらいの人がいました。窓から外を見ると,数百人がわたしの部屋へと続く長い長い列を作っていました。彼らはなんとも温かい笑顔でわたしを一心に見つめて,今か今かと待ち焦がれているようでした。」220人あまりの儀式を終え,ひとまず子孫の責任を果たせたと安堵しているところに,まだ終わりではないと告げられたかのようだった。

    「それがただの夢だったのか,示現だったのか,分かりません。ただその経験が今でも鮮明に心に刻まれており,一人でも多くの先祖の記録を神殿に提出し,彼らのために儀式を施したいという動機の基となっています。そのころからわたしの人生は変わり始めました。」

    筏井兄弟は,学業面では3年4か月でSumma cum laude(ラテン語で成績優秀者を意味する)の称号を得て卒業する。経済面では念願の医療業界で外資系の人事に就職できた。先祖の儀式に携わってから現在に至るまで受けた祝福の理由を筏井兄弟はこう述懐する。「わたしはごくごく普通の人間ですが,儀式を受けて力強くなった先祖がいつも身近にいて支えてくださっている気がします。わたしだけが家族で唯一の改宗者ではありません,家族歴史の業が主の『御心』であることは,個人的な経験により,もう否定することはできません。わたしには,永遠の家族として共に昇栄するために,先祖はわたしたち子孫を救うべく働いているという確信があります。

    わたしたちはこの時満ちる神権時代に召されており,望みさえすれば,『今日』から先祖を救う業に携わることができます。そして,先祖と共に『永続する祝福』を受ける特権があることを証します。」◆