リアホナ 2006年6月号 主に備えられた求道者との出会い

    主に備えられた求道者との出会い

    松戸ステークセンターの教会堂でポリネシア文化センター(PCC)のキャストらによるファイヤサイドが開かれた4月30日の夜のこと。大石義和兄弟の携帯に何人もの教会員から電話やメールが飛び込んできた。ファイヤサイドで証したあるポリネシア人ダンサーの姉妹が,自分に福音を伝えてくれた“大石長老”に会いたい,と壇上で語ったというのである。

    大石兄弟は,1999年から2001年までハワイ州ホノルル伝道部で働いた。その間,およそ100人の改宗を見,自分がかかわった人々すべての名前を覚えている。が,メールに記されていた姉妹の名前に心当たりはなかった。5月3日,大石兄弟は半信半疑ながらも,PCCの公演が行われている臨海副都心・お台場へと家族で出かける。陽も傾いた午後5時30分,野外ステージに現れたのはプメラニ・メノア姉妹。確かに大石兄弟が教えた求道者であった。メールに記された名前の表記が不正確だったのだ。ステージが終わった後,皆で再会を喜び合ったのは言うまでもない。

    ──「ハワイでの伝道は最高でした」と大石兄弟は振り返る。

    御霊によって教える

    英語が話せなかった大石兄弟は伝道の申請を出すときに「できれば日本で」と希望したほどだった。召しの手紙は英語なので,一瞬自分がどこに召されたのかも分からなかった。「びっくりしましたね。まさか海外に召されるとは。」

    任地に着いてからも英語には苦労した。毎朝4時45分に起床,まずシャワーを浴びて,5時から7時まで英語の勉強に没頭する日々が続く。「ですからレッスンは下手だったと思いますよ。」けれども周りの人々の目は温かかった。ハワイでは宣教師という召しにたいへん敬意が払われていて,宣教師たちは毎晩,会員宅に招かれて食事をする。”ディナー・カレンダー”というものがあり,食事に招いてくれる会員の名前がびっしり並んでいる。友人を紹介してくれるよう頼むとすぐに紹介してくれる。底抜けに大らかなポリネシア人気質のなせる業である。

    着任5か月が過ぎたころ,日系3世のミヤモト家族のお宅に招かれた。ミヤモト家族は両親ともかつて日本で伝道し,5人の子供たちのうち何人かも日本に召されている。ミヤモト家の高校生の娘さんと学校で一緒にチアリーディングをしていたのが“プメ”の愛称で呼ばれるプメラニ・メノア姉妹だった。

    紹介されてすぐにレッスンが始まり,毎回,ミヤモト家の全員が参加してくれた。プメの両親は数年前に離婚しており,母親と父親のもとを行き来しているプメにとって家族への関心はことのほか強かった。家族について証する必要がある,と強く感じた大石長老は,たどたどしい英語で一所懸命話し始めた──自分にとって家族は何物にも代え難い大事なもので,家族一人一人を愛していること。家族は永遠であり,信じて行うならばプメの家族も再び一つになれること,これから神殿で結婚し,プメ自身がすばらしい家族を築いてゆくことができること……。気がつくとプメは涙を流していた。たとえ英語が流暢でなくとも,大石長老は御霊によって伝道していた。

    3週間後,プメはバプテスマを受ける。父親の反対はあったものの何とか許可を受け,さらにミヤモト兄弟の強い説得によって,バプテスマ会には両親がともに出席してくれた。まさか父親が来てくれるとは思っていなかったプメラニ姉妹は幸せの涙を流したという。

    特技から生まれた出会い

    大石兄弟は,かつて高校から大学にかけてダンスに夢中だった。ダンスと言ってもソーシャルではない。いわゆるブレイクダンスと呼ばれる,Hip-Hop系の,ビートの効いた音楽やラップに乗って踊る激しいストリートダンスである。友人とチームを組み,地元や東京で開かれるコンテストに何度も出場した。

    しかし伝道に召されたとき決心をした。

    「伝道中は踊らない」と。ハワイでは伝統的なフラなどのダンスを教会で青少年に教えている。そうしたクラスに求道者と出席してポリネシアのダンスを一緒に覚えることはあった。スラップダンスと呼ばれる,体を叩いてリズムを取る勇壮な戦士のダンスなどは今でも歌って踊れるという。PCCに出演できますね,と聞くと,「いや,外見がポリネシア人に見えませんから」と笑う。けれども伝道から帰還して今に至るまで,公の場でHip-Hop系のダンスを踊ったことはない──ただ一度の例外を除いては。

    ハワイ島にはただ一つ,頂上に雪を頂く山がある。日本の国立天文台がすばる望遠鏡を設置していることでも有名なマウナケア山で,その標高は4,200メートル。大石長老はあるとき,マウナケアを望む山麓にあるワードに赴任していた。標高が高いので,ハワイにあっても朝晩はストーブが必要になり,セーターを着込んで伝道していたという。

    いつものようにストリーティングに出かけた大石長老と同僚は,公園で大音量の音楽を鳴らしながらブレイクダンスを踊っている10人あまりの若者たちを目にした。風体から言ってあまり“福音的”人々ではない。しかし大石長老は,彼らに話しかけなければ,と感じ,心にはなぜか「今なら踊ってもいい」という思いがわき上がって来た。伝道中は封じたはずのブレイクダンス。同僚は止めたものの,大石長老は何も言わずに輪に加わり一緒に踊ってみせた……それがきっかけだった。彼らの宣教師を見る目が変わった──ネクタイを締めたお固い奴だと思ったら,こういうことができるのもいるんだ──打ち解けた彼らに音楽を止めてもらい,その場でモルモン書の聖句を分かち合った。中でもジェイコブ・マーティンという青年と仲良くなった大石長老は,彼に福音を教えるようになる。

    ブレイクダンスは1970年代ニューヨークのギャング文化をルーツとするが,実はジェイコブは風体だけでなく実際に,いわゆるギャングと呼ばれる組織にかかわっており,家族はジェイコブをことのほか心配していた。しかし福音に耳を傾けたジェイコブは変わり始めた。様々な軋轢はあったものの,ギャング組織を抜けてバプテスマを受けたのである。バプテスマ会に出席した母親が,誇らしい顔でジェイコブを見つめていたのが印象的でした,と大石長老は振り返る。

    話はそれだけでは終わらない。ジェイコブの模範によって,あのとき公園にいた仲間たち4人も改宗し,後にジェイコブら5人の青年たちは皆,伝道に召される。ジェイコブはアルゼンチンに赴き,数百人にも上る人々を改宗に導いたという。

    あのとき大石長老が,「踊ってもいい」と感じたたった一度のダンスは,後に大きな実りをもたらしたのである。◆