リアホナ2006年1月号主への犠牲は“貸し”ではありません 1970年代に大企業を辞して伝道へと赴く

    主への犠牲は“貸し”ではありません 1970年代に大企業を辞して伝道へと赴く

    ── 松戸ステーク筑波ワード副監督 東光明兄弟 

    青森の高校で寮生活を送っていた東光明兄弟にとっていつも気になるものがあった。それは親友が持っている一冊の本だった。彼は様々な教会を巡っては神様について深く考え,たびたび東兄弟に学んできたことを教えてくれた。その親友が訪れた教会の一つに末日聖徒イエス・キリスト教会があった。開設されたばかりの八戸の伝道所だった。

    寮生活を送っていた東兄弟は,休みの時期に入って親友が里帰りしたときに彼の机の上に置かれた一枚のパンフレットを目にした。それには『ジョセフ・スミスの見神録』と書かれていた。そのパンフレットを手にとった東兄弟は引き込まれるように読み始めてしまった。「この話はほんとうかもしれない。」心の中にそんな思いがわき上がってきた。書棚に置かれた『モルモン経』も取り出して中を読み始めた。その場に立ったまま,次々とページをめくり始めた。そして東兄弟はパンフレットに書かれた宣教師と連絡を取り,レッスンを受け始めることにした。「もしジョセフ・スミスの経験が真実ならば確かめる必要があると思い,宣教師へ連絡をして会いに行きました。」これが高校生の東兄弟が教会に導かれた最初のきっかけである。その後熱心に勉強し,祈り,1969年に改宗した。「残念なことに間接的に福音を知らせてくれた親友は,結局改宗することはありませんでした。」

    開設されたばかりの伝道所では,改宗して間もない東兄弟にもクラスで教える機会があった。「テキストからアロン神権について教えていると,アロン神権は将来伝道へ出るための準備の神権だと記されていました。そこで自分は伝道に出るべきか宣教師に尋ねました。するとあいまいな返事が返ってきました。仙台の地方部大会でも伝道部長へ尋ねました。伝道部長からも明確な返事はありませんでした。当時はまだまだ伝道へ出ることは強く勧められていませんでした。キンボール大管長によってすべてのふさわしい男性は伝道へ出るべきであると言われたのは後のことです。メルキゼデク神権を受けて真剣に考えて祈り,伝道へ行くべきだという確信を得ました。自分の中で伝道へ行くことを決めましたので,高校を卒業して就職するときも,できるだけ伝道資金がたまるような仕事を見つけようと思っていました。」

    つらい旅立ち

    「就職しますが伝道へ出るのでやめるつもりです」と先生へ話すと,外資系の会社の方がいいかもしれないと言われ,一人だけ研究員を募集していた日本IBMへ就職することとなった。その後,高校を卒業した東兄弟は神奈川県の藤沢へ移り,日本IBMに就職した。「この会社へ就職して金銭的な面で祝福を受けただけではなく,藤沢という場所で,多くの兄弟姉妹から霊的な祝福を受けたと今は感じています。わたしが所属していた八戸の伝道所では,わたしが最も古い会員で,家族などいませんでした。ところが藤沢支部へ来ましたら,すばらしい家族の教会員や支部長からたくさんのことを教えていただく機会に恵まれました。そこで霊的な土台が築かれたのだと思います。八戸支部では末日聖徒の家族の生活を知りませんでした。そこで指導者の方々に社会人としての心構えを始め,信仰面以外でも多くのことを教えていただきました。」

    藤沢での信仰生活は東兄弟にとって充実し,楽しいものだった。伝道資金も順調に貯められるものと思っていた。そのようなときに実家から一通の手紙が届く。そこには「土地を買って家を建てましたのでよろしくお願いします」と書かれていたと苦笑する。「そんな大事なことを相談もせずに勝手に決めてしまうなんて,と驚きました。しかし,長男として毎月仕送りしていましたし,もう決まったことなので仕送りは続けました。」東兄弟は伝道資金を貯めながらも,実家への仕送りもしなければならなかった。エンジニアであった東兄弟は伝道への計画をするとともに,伝道後のことも用意周到に計画していた。伝道資金,実家への仕送り,伝道後の生活資金も計画しての生活だった。

    「当時,ハワイ神殿への訪問の費用を積み立てていたのですが,それを返してもらって伝道資金にあてました。神様は公平な方で,犠牲を払ったことには必ず返してくださいます。その後,アメリカへ仕事で出張し,そこでワシントン州の神殿へ参入して儀式を受けることができました。また,伝道へ出てから忘れたころに退職金が入ってきました。自分は東京神殿が建設されるときに建築のための献金をすることができなかったので,その退職金をそのまま全額,建築資金として献金しました。」

    就職して四年後,ようやく伝道への準備が整い始めた。「伝道へ出るときには会社の上司からも,考え直した方がいいのではないかと説得されました。会社も一人の人材をやっと育てたのですから,やっと仕事ができるようになった人間を辞めさせるのは損失だったと思います。」実家へ戻った東兄弟が宣教師になりたいと伝えると,当惑した父親は勘当すると怒った。それでも伝道へ出る気持ちが揺らぐことはなかった。不用な荷物を捨て,必要な自分の荷物をまとめた東兄弟の持ち物は,大きなお茶箱二つと小さなお茶箱一つに収まった。実家へ置けないので伝道中も持ち運ばなければならなかった。「当時(1975年)はJMTCなどありませんでしたから,直接伝道本部へと向かいました。福岡へ向かう新幹線の中,自分の持っているものすべてをほんとうに神様にささげることになるんだと思いました。伝道が終わっても帰る家がないと思うと,ぽろぽろと涙がこぼれだし,それを止めることができませんでした。」故郷を後にして一人伝道地へ向かったことを思い出し,声を詰まらせながらも東兄弟は当時を回想する。

    「伝道期間はすばらしい期間で,たくさんのことを勉強させてもらいました。西本伝道部長と山田伝道部長の下で宣教師として働くことができました。」

    「宣教師のルールとして両親には毎週手紙を書きましたが,最初の半年から一年ぐらいは一通も手紙を受け取ることはありませんでした。一年を過ぎると少しずつ手紙が届くようになりました。」──やがて両親との関係は修復され,母親は後にバプテスマを受けることになる。「伝道中の両親への仕送りのお金も貯めていましたので,それは弟に預けて,弟から毎月実家へ仕送りしてもらいました。」

    神様に無限の負債がある

    伝道が終わった当時を振り返り,「少し高慢になっていたのでしょうね。このような生活を続ければすべて簡単に物事が進むと考えていました」と話す。就職も簡単に決まると思っていた。しかし,実際には再び就職するまで苦労は絶えなかった。「履歴書を送って断りの手紙が来るのはましな方でした。ほとんどは何の返答もありませんでした。」

    どうして神様は,自分が一所懸命伝道してきたのに就職の助けをしてくれないのだろうと思い始めていた。そんなとき,ホームティーチングの同僚から就職について尋ねられた。悩みを打ち明けると「神様はいちばんいいときに,いちばんいい方法でこたえてくださいますから,心配しないでください」と言われた。「伝道前に支部長をされていた兄弟で,伝道後は一緒に同僚としてホームティーチングをしていました。その言葉はまさに目から鱗が落ちるような印象でした。」

    「自分はなんて高慢だったのだろうと思いました。伝道へ出たので神様へ貸しがあると思っていました。これは正しい考え方ではないと思いました。よくよく考えれば自分は神様に貸しなどないということに気が付きました。借りはたくさんあるけれども,貸しはない,と悔い改めて,再び頑張る決心がつきました。

    その後,面接をしたいと,日本語ワープロを開発する小さな会社から採用の面接の手紙が届きました。エンジニアにとって宣教師として働いた2年間のブランクはとても大きなものです。技術革新が激しいところですので。しかし,その会社で開発している技術は伝道前に携わっていた技術でなんとか対応できる仕事でした。その後必死に勉強し,2年間のブランクを取り戻すことができました。IBMでは銀行のキャッシュディスペンサーの開発の仕事をしていましたが,IBMは技術が進んでいる会社で,市場の3年先の技術を使っているようなものでした。ですから,再就職したときにはなんとか対応できました。その代わり,最終電車で帰って,アパートでは寝るだけ,早朝再び出勤する生活をしていました。その後,転職して恵まれた環境の中で働くことができました。時間も確保でき,給与待遇も良くなってきました。その会社では毎年新しい責任を受けながら20年ほど勤めました。」

    再就職の苦労を振り返り東兄弟は次のように話す。「時々わたしたちは主に対して不満を言ってしまいます。こんなに自分はやっているのに神様は何も返してくれないとつぶやくことがあります。しかし,神様と対等に考えて,何かをしたら返してもらうと考えることが間違っているのかもしれません。わたしたちはお返ししてもお返ししきれないほど神様には尽くさなければならないのだと思います。」

    犠牲の何百倍も恵まれて

    東兄弟は,その後の何度かの転職を経た現在,アメリカに本社を置く企業の副社長として,日本法人の中で技術者の先頭に立って経営に携わっている。「伝道へ出ることは様々な意味で犠牲を払うことです」と東兄弟は語る。「いろいろな困難な状況の中で伝道を考えていらっしゃる兄弟姉妹にお伝えしたいのは,神様は公平な方で,わたしたちが主の呼びかけに応えて犠牲を払って伝道に出たら,主はそれを十分に補ってあまりあるものを祝福として返してくださるということです。社会でも,ニーファイのように,人の方法ではなく主の方法で主に頼って仕事をすることによって成功することができます」とその確信を語る。

    「伝道へ行くという最初の決心がなければ今とはまったく違った道を歩いていたと思います。犠牲を払ったと思うようなことは,何百倍にもして神様は返してくださっていると思います。就職してから伝道へ行くのはなかなか難しい。伝道へ出たということは一生履歴書についてきます。まだまだ日本の社会では伝道へ出たことを正しく評価してくれるところは多くありません。その意味では,それに負けない実力を付けていくことも大切なことだと思います。」

    高校時代に親友の机の上に置かれたジョセフ・スミスのパンフレット。それが原点となり,東兄弟の人生と仕事に対するとらえ方は大きく変わった。「他の友人はこの世的な道を歩んで行った」と話す東兄弟は,伝道中に培った信仰を保ちながら,ビジネスの様々な局面で自分に備わる可能性を発揮している。◆