リアホナ2006年12月号欧州で見つけた家族のスローライフスタイル

    欧州で見つけた家族のスローライフスタイル

    ──家族4人で自転車欧州縦断11,000キロのチャレンジを成し遂げた関口ご家族

    『黙って俺について来い』,……かな。」2005年10月,関口兄弟は悩んでいた。間もなく開設する欧州縦断プロジェクトの公式ブログ※1のタイトルを考えていたのである。「ここは一つ,親父の威厳をこめて……」それが最終的にどうなったかは上の写真をご覧いただきたい。

    東京ステーク中野ワードの関口ご家族は“冒険家一家”として知られている。父親の関口治兄弟の仕事は著述業だが,1997年に,ソルトレーク入植150年を記念して開拓者の旅を当時のままに再現した「モルモン・パイオニア・トレイル」へ,母親の貴子姉妹,長男の優治君,二男の航治君の一家4人で参加し,徒歩と幌馬車で1,800キロを旅する。以来,旅を通じて「新しい形の家族のきずな」を築くことが関口兄弟のライフワークとなった。

    2000年には自転車でアメリカ大陸横断に挑戦,ニューヨークからサンフランシスコまでの5,366キロを走破した。関口兄弟と子供たち二人が自転車で走り,貴子姉妹はキャンピングカーで伴走しサポートするというスタイルがこのとき確立する。

    そして2006年,満を持して自転車欧州縦断11,000キロの旅に出発したのである。「子供たちが大人になる前に,もう一度4人で困難に挑戦したかったんです」と関口兄弟は語る。過去2回の挑戦時には小学生だった優治君と航治君も,すでに高校3年と高校1年。母親の貴子姉妹はこう話す。「以前の旅では子供たちも親に連れられて行っているという感じでしたけど,今回は自分から何かを見てやろうと積極的にかかわっていった感じでした。」──“黙って俺について来い”では済まなくなった青少年の子供たちと親との「きずな」を考える関口家族の旅は,思春期の子育てに悩む親にとって様々な示唆に富んでいる。

    あきらめないこと

    2006年5月18日,関口家族はフィンランドのヘルシンキからペダルをこぎ始めた。小雨降る気温7度のヘルシンキ大聖堂広場に立ち,最終目的地・ポルトガルはリスボン郊外のロカ岬を想う。関口兄弟がプロジェクトの度に感じるのは,スタート地点に立ったところでチャレンジは8割方終わった,あとは走るだけでいい,ということである。一言で11,000キロと言っても,北海道から鹿児島まで日本列島を縦断する約4倍もの距離──その計画をどのようにスタートまでこぎ着けたのか。

    「いつも子供たちに言ってるのは,すべての物事は結論から考えなさい,ということです。例えばこの学校へ行きたい,こういう仕事に就きたい,これをやりたい,これが欲しい,という結論があったら,そこから逆算して,じゃあそのために何と何と何が必要かをお尻から考えて行く。すると,今これをやらなくちゃ,と分かるんですね。でもそういう目標の立て方をしないで,とにかく俺は東大に行くんだ,英単語をまず覚えよう,と闇雲に始めちゃうと,結局目標が見えなくなっちゃうような気がするんです。」

    費用は,装備はどうするのか,ほんとうに実現するのか……心配する周りの声をよそに,当の関口兄弟は「絶対に行けると思っていました」と振り返る。「なぜかと言うと,1997年も,2000年も,皆さんに大変だよ無理だよと言われながらも行ったじゃないですか。」

    とはいえ,実現するまでの道のりを思い返しつつ「厳しかった……」と関口兄弟は漏らす。本来,この計画は2004年に実行するつもりで,新聞にもそう掲載された。ところが準備の無理がたたってか,関口兄弟は頸椎の骨が砕けるという病を得て首も手も回らなくなり,その療養のために延期を余儀なくされる。「でもやめるわけにはいかんと思ったから,皆さんにきちんと状況説明して,必ず行きますから,今は治療させてください,ということで延びたんです。」

    関口家族はあきらめなかった。「行く前に橋本聖子さん※2とお会いしたときこうおっしゃいました。『チャンスはだれにでも与えられると思うでしょう? でもそれは違うんです。チャンスは挑戦する者だけに与えられるんです。』ああ,それ,ほんとうだなあと思いました。

    チャレンジというのは,自分のレベルよりちょっと高くて,自分の力ではできないから挑戦なんです。そんなときに,思わぬ力やひらめきや態度が出たり助けが来たり,ちょっとした一瞬の閃光のようなものかも知れませんけど,そういうチャンスが来るんです。そのときに挑戦してきた人たちは,これがそれだ,って分かるんです。でも,普段から努力して集中していないと見逃すかもしれません。

    神様が最後の最後にご褒美を下さったってぼくは毎回思うんですけど,2年間,3年間とか準備してきても,(協賛企業による援助などにより)プロジェクトの実現が決まるのはいつも最後の2か月なんです,前々回も前回も。……あきらめることもできたんですけど,岩を99回叩いても,だめだ,割れなかった──でも次,来た人が一発叩くとパカンと割れちゃうとかね。その一発を逃したくないから,あきらめることは絶対できないですね。」

    常に全力投球を要求する日本社会

    走り始めて間もなく,関口兄弟は高校生の息子との体力の差を痛感する。さっさと先を行く子供たちから追いついてみろとからかわれる。まだ小学生だったアメリカ横断のときとは完全に立場が逆転したかと,北欧では先が思いやられた。

    ところが経験の差というものがある。関口兄弟はコースの全体を見てペース配分を考える。上り坂はゆっくり行く。子供たちは若さと体力にまかせてがむしゃらに上って行く。たちまち差が開くけれど,下り坂では疲れて惰性で下る。関口兄弟は下りにかかるやペダルを全力で漕ぐ。見る間に差は縮まり子供たちを抜き去ってしまう。親父の権威はまだまだ安泰である。──「子供たちは目先しか見えないので,常に全力投球なんです。何回子供に言ったか分かりませんけど,『野球の選手が100球全力投球してたら,打たれるし,死んじゃうよ。ほんとうのプロの中のプロは,100球のうち全力投球が10球か20球なんだ。あとはカーブ,シンカー,フォーク,わざとボール球投げて打たせて捕る。フェンスぎりぎりのレフトフライでも,アウトを取ればいい。お前たちは三球三振ばかり狙って行くからだめだ』って言うんです。」

    ヨーロッパのライフスタイルを見ていると日本社会の姿が見えてくる。EU諸国では大体午後6時に店を閉めてしまう。日曜は完全に休みでどこも開いていない。母親の貴子姉妹はキャンプ地に着いて食材の買い出しのため閉店間際に駆け込むこともしばしばだった。南欧の国々ではシエスタ(昼寝)の習慣もある。12時から3時ごろまで店は閉まってしまう。全国どこにでもコンビニがあり,欲しい情報はインターネットで,何でも24時間手に入る日本は便利かもしれない。しかしヨーロッパの人々はそうした便利さを求めてはいない。安息日や6時以降は店に行かないことを当然としてみると,それはとても人間らしい生活に思えてくる。

    「お金の使い方もそうですけど,長い目で見ると日本人は常に毎月毎月いろんな買い物して収入支出の繰り返しです。ヨーロッパの人は夏のバカンスのためにずっと倹約しててそこでぱっと遣っちゃうとか。野球にたとえれば全力投球で直球を投げ込む,ピークになるポイントがあるような気がするんです。でも日本人の生活はそうではなくて,常に全力投球を求める社会なものですから,これは息が続かない人もたくさんいますし,脱落する人もたくさんいるんですよね。

    これは日本が戦後復興したのでしょうがないのかもしれませんけど,全力投球が美徳っていうところがあるんです,ライフスタイルも含めて。でもね,全力で直球勝負するのは勝負のときだけにした方がいいかなと。練習試合で勝っても仕方がないんです,本番で勝てなければ……ヨーロッパの人々ってライフスタイルを見ていると,本番にピークが来るようエネルギーを持って行くコントロールはきっとうまいと思います。普段はゆるいんだけれども,勝負のときはすごいんです。世の中の仕事にしても,力の抜き加減ってとても大切だと思うんです。教会員生活でもそうかも知れません。常に全力投球でやってると,一時的に高揚感があるけれどこれ絶対に続かない。だから長く信仰生活を送ろうと思ったら,いい加減にやるわけじゃないんですけど,(目的に応じて)変化球を投げなきゃ,と。」

    関口家風スローライフ

    旅の間,家族はキャンピングカーで生活した。狭い車室では子供のプライバシーもない。優治君と航治君は,1日の行程を走り終えたあと,学校から出された課題を車室で顔を

    突き合わせてこなしては電子メールで日本へ送信していた。またそこにはテレビもなくゲームもない。その代わり本を読む,家族でよく話す。その日見たもの,明日のルート……話題が尽きることはない。「これはとっても良かったと思います」と貴子姉妹は振り返る。旅の途中,メールを送ったりブログを更新したりするためしばしばインターネットの接続ポイントを探して歩いた。現地の人に尋ねると,なぜそこまでインターネットがしたいのかと不思議な顔をされるという。よく考えると,必ずしもメールでなくとも電話で十分な用件だったりする。ヨーロッパで携帯が普及しているのは固定電話を引くより手軽だからで,純粋に電話としての用途にしか使われていない。「ITの先端技術に飛びつき,24時間営業のコンビニやガソリンスタンドで寝る間も惜しんで働いているのは世界の中でも日本と韓国,アメリカくらいかもしれませんね。」

    帰国後間もなく,関口家のテレビが壊れてしまった。そのままにしているけれど生活に支障はない。むしろ快適だという。旅に出る以前から関口家では子供たちが食卓で宿題をする習慣があった。そこでかわされる会話は旅の延長のようだ。また関口兄弟はフリーランスで仕事をしているため携帯電話が必要である。けれども優治君と航治君はクラスで唯一,携帯を持っていない高校生だ。それでクラスメートとコミュニケーションが取れないということもない。「最近は日曜日,教会では携帯を持たないようにしているんです。車に置いておきます。マナーモードにしているのなら持たなくても同じですから。とても快適です。」

    テレビ,携帯,電子ゲームといった便利な機器に振り回されない生活は,欧州の「ゆるい生活」を思わせる。あるいはそれは思春期の子供とコミュニケーションを良くする一つの方法かもしれない。

    乗り越えられないなら迂回する

    準備段階でも走り出してからも,一見,途方もないプロジェクトに見えて,小さなゴールの積み重ねの果てに大きな達成があった。一気にヘルシンキからリスボンと考えると気が遠くなるけれど,1週間ごとに到達する目標の町が決めてある。現地で入手した詳しい地図を囲み,毎日家族でルートを検討し,関口兄弟は電卓を片手に距離を何度も計算する。週の前半はペースが緩めでも,後半に取り戻す。そうして着実に走り続けてフィンランドからスウェーデン,デンマーク,ドイツ,オランダ,ベルギー,イギリス,ルクセンブルク,スイス,イタリア,モナコ,フランス,スペイン,ポルトガルと最終目的地に近づいて行った。

    「長い人生の中で,毎週教会へ行くというのは,週ごとに何かゴールを持っていたとしたら,指針になってちょうどいいサイクルかも知れませんよね」と関口兄弟は言う。いきなり昇栄というと考えられないけれど,週ごとに小さなゴールを決め,毎週走るべき行程を着実に走って行けば,いつかはるかな場所にたどり着ける。

    関口兄弟の楽観的な語り口に子供たちはこう言う。「お父さんの話を聞いて,お父さんと一緒に何かやると,俺,何でもできるような気がするなあ。」「そうだろう,お父さんといるとやる気出るだろう?」「やる気出るし,何かだめだなってことでも乗り越えられそうな気がするね。」──それを受けて関口兄弟はこう話す。「まさしくそこなんだ,実はね,世の中の人はみんな,壁があると乗り越えろ乗り越えろってことで頑張る。でも別に,乗り越えなくてもいいんじゃないかなとお父さんいつも思ってる。中には乗り越えられない壁もあるし,それならそこでいつまでも爪立てて血だらけになってやるよりは,ああこれはもうやめた方がいい,と早く見切りを付けて別の道を行く判断力も非常に大切なんだ。でも判断力を養うためには,何回か同じパターンを経験して,ああ俺は1メートル90までは飛び越えられるけど,2メートルはだめだなと学習すること,それは必要だ。」

    結論から考えるという方法がここでも生きている。このプロジェクトでは「走る国もコースも最終的にはずいぶん変わりました」と関口兄弟は言う。最初は東欧の国々を回る計画だった。ところが調べて行くと,治安が良くないため,レンタカー会社の規定で車を東欧諸国へ乗り入れることはできないと分かる。そこでスカンジナビア半島回りに変更する。ボスニア湾岸を北へ回るコースを考える。けれども5月のフィンランド北方は,凍結していて自転車で走れないと分かる。そこでフェリーで対岸へ渡ることにする……。

    コース最大の難所であるアルプス越えに当たり,関口兄弟は最高峰ではなく,サンゴッタルド峠という海抜2090メートルのルートを選んだ。そのとき優治君が手首を痛めており,航治君は高山の気圧に慣れず体調が悪かったからである。

    「高校時代の恩師に行く前に言われたんです,『自分の都合で子供を危険な目に遭わせてはだめだぞ』と。いわゆる自分のメンツのために,今日200キロ走らないと目標に到達できない,高速道路の横だけど走るか,とか……それはかなり危険なんですね。そういうときに思いとどまって,今日はやめようと,どうなるか分からないけど来週までにどうにか取り戻そう,との選択をすることはありました。」

    着地点が見えていれば,そのためにどういうルートを取るか柔軟に考えられる。越えられない壁,変えられない条件はあきらめて迂回し他のルートを探す。けれどもそうした柔軟さのないところに,昨今の若い世代の“いじめ→自殺”という発想,あるいは中高年に至るまで年間の自殺者3万人というこの国の病理があるのではないかと関口兄弟は憂慮する。

    ロカ岬到着を翌日に控え,11,000キロ完走がほぼ確実になったときにその事故は起きた。道路に空いた穴にタイヤを取られた関口兄弟が自転車ごと転倒したのである。とっさに腕をかばい顔から落ちた関口兄弟は脳震盪を起こし,その後しばらくの言動は何も覚えていない。しかし記憶している第一声が,「カメラ撮ってるか?カメラ回せ!」── 転んでもただでは起きない関口兄弟の面目躍如である。

    トラブルが起きたとき,それをいかに早く解決するかで人生の過ごし方がずいぶん違ってくる,と関口兄弟は常々語る。解決するということには,過ぎたこと,どうにもならないことをさっさとあきらめることも含まれる。なぜ穴をよけられなかったのだろう,なぜハンドルから手を離してしまったのだろう……思い悩んでも変えられないことについていつまでもくよくよと悩み続けるのは不幸だ。だから勇気をもって切り捨てて前に進む。

    帰国して間もなく,航治君が新学期の試験を前にして焦っていたことがあった。「パニックになっちゃってね。何も準備できてないから俺もうだめだと,人生終わった,と言って来たんです。だから,『じゃあお前に訊くけどね,もし明日のテスト0点取ったとすると,お父さん怒ると思うか?』『……怒らない。』『そうだよな,お母さんは? お兄ちゃんは?』『怒らない。』『学校の先生は?』『ん……まあ,怒りはしないだろう。』『だれが怒ると思う?』『だれも怒らない。』『じゃあ高校卒業できないのか?』『いや,そんなことはない。』『そうだろう,そうやって考えると,明日0点取ることによってお前の人生は終わらないし,点数悪かったらどうしよう,っていうのはお前のプライドだけの問題だよな。これを長い人生の目で見て,もしほんとうに物事を学ぶというスタンスで行くならば,0点取ろうが何しようが関係ないんじゃないの。自分の好きなこと一所懸命勉強してそれでいいじゃないか。ましてや0点なんてこれまで取ったことないから,いいよそれぐらいで』って話したら,『ああ気分が楽になった』と言ってました。子供ってのは世界観が小さいから,目の前のことしか見えないんですね。0点取ったらもう俺は終わりだって死んじゃうんですよ。何が終わりなんだ,ゼロから始まりじゃないかって感じですよこっちから見れば(笑)……。」

    ユーラシア大陸最西端,ゴール地点のロカ岬には,詩人ルイス・デ・カモンイスの詩の一節が刻まれている。「ここに陸終わり,海始まる」──関口兄弟は,一つのプロジェクトの終わりが見えてくる度に,次にやりたいプロジェクトについて夢想を始める自分に気づいている。碑文にあるように確かに,何かの終わりは何かの始まりでもあるのだ。◆