リアホナ 2006年8月号この町に末日聖徒14 天が下のすべての事には季節があり……

    この町に末日聖徒14  天が下のすべての事には季節があり……

    ──蚊帳地に描く四季の布絵~静岡ステーク袋井支部濱田綾子姉妹~

    明治4 1 年( 1 9 0 8 年),静岡県磐田郡二俣(当時)に生まれた女流日本画家・秋野不矩画伯は,19歳で師事,28歳で画壇に頭角を現し,平成13年(2001年)に93歳で永眠するまで70年以上にわたって創作活動を続けた。ことに,53歳のときインドの大学へ客員教授として赴任してからはインドに魅せられ,インド・ネパール・アフガニスタン・カンボジア・アフリカなどをモチーフに新境地を開き続けた。今,生地の二俣町には浜松市秋野不矩美術館が建てられている。インドの民家をイメージした素朴な味わいのある建築で,来館者は靴を脱ぎ,大理石の床を肌に感じながら秋野画伯の画業の遍歴を辿る。

    まだ梅雨空の残る七夕のころ,その秋野不矩美術館2階の市民ギャラリーでは,袋井支部の会員である濱田綾子姉妹の個展が開かれていた。題して「現代の布絵 蚊帳生地絵画展」。

    かつての夏の風物詩であった蚊帳の素材である,目の粗い麻の絡み織り布地にアクリル絵の具で様々な自然のモチーフを描く。ものが蚊帳地であるから,当然,風が通るだけの透き間が開いており,そこから向こうがほのかに透けて見える。その特性に気づいた濱田姉妹は,1枚の蚊帳絵に10センチほどの空間を空けてもう1枚の蚊帳絵を垂らし,透ける複数の絵が微妙に重なって漂うような不思議な絵画空間をつくり始めた。

    ギャラリーに入るとまず目につくのは,床に置かれた,川の清流を立体的に切り取ったような作品である。筒状に縫製した蚊帳地にかまぼこ型の透明なアクリル板を差し込んであり,上面には涼しげに川魚が泳ぎ,底面には石や川底をすべる魚の影が描き込まれている。

    さらにギャラリーの奥には暗室が設けられ,蓄光顔料を用いて蛍や月が暗闇でほのかに光る作品が設置されている。現代美術のインスタレーション(環境芸術)の手法に影響を受けたというそれらの作品からは,試行錯誤を重ねながらも,自分の表現を意欲的に模索している楽しさが伝わってくる。

    こうした作品の基となっているのは若いころ身に付けた手描き友禅の技術である。濱田姉妹は20代の10年間,職人としてひたすら着物の柄を描き続けていた。20代後半にはすでに独立し,絵柄の見本を描いて注文を受けていた。しかしそうしたキャリアは,30代に入って結婚・出産を機にしばし「封印する」ことになる。「絵筆を執ると,家族や子供たちよりそちらに行ってしまう自分がいることが分かっていたので,セーブしていたんです。」その「封印」は,家族の大切さを説く福音と出会ってからさらに強くなった。

    福音との出会い

    濱田姉妹は30代前半のとき,当時住んでいた群馬県高崎市で宣教師の戸別訪問を受ける。3番目のお子さんがまだ8か月のころであった。最初は福音そのものよりも宣教師との会話に興味があったという濱田姉妹だった。しかし忘れもしない,5回目のレッスンの日のことである。その日は不思議と幼い子供たちも静かでじっくりとレッスンに耳を傾けることができ,「片言の彼らの話がほとんど……心に届きました。何を言っているのかがすごくクリアにはっきりと理解できたんですね。」その晩の祈りのときだった。

    「天のお父様……」そう呼びかけた瞬間,それはやって来た。「こうすごく強い力を感じて,涙がわーってあふれて,20分くらいの長い時間泣いていたような気がします。天との交通が始まったって自分ではっきりと分かりましたね。頭のてっぺんからつま先まで電流が流れたような,そういう改宗でした。」

    そうして個人的な確信を得て,濱田姉妹は高崎東ワードでバプテスマを受ける。1991年10月のことだった。1年ほどして湘南ワードに移り,さらに3年を経て生まれ故郷の静岡県磐田へ帰って来た。教会について,ご主人はあまり歓迎する空気ではなかったものの,後に生まれた末の子を含め4人の子供たちは,皆8歳でバプテスマを受けてくれた。磐田では近くに住む母親に福音を伝えて8年前に改宗,今では母娘で袋井支部に集っている。

    すべてに時がある

    そして昨年,濱田姉妹は18年に及ぶ「封印」を解くことになる。ご主人の定年退職を機に,「仕事をしなければならなくなった」のがきっかけだった。子供たちも高校生を頭に小学校高学年までの年齢に達していた。

    ちょうどそのころ,かつての同級生が磐田市で地場産業の蚊帳の生産を手がけており,インターネットビジネスで成功し「蚊帳の博物館」を設けるなど,事業を拡大しているところだった。これまで蚊帳地に絵を描いている人はいない。請われて描いた蚊帳絵をもって昨年夏,初めての個展を開くと順調に注文が舞い込むようになった。まるで扉が次々に開いていくような展開だったという。18年のブランクを経ても,若いころ手に付いた勘は失われていなかった。むしろ18年間留めておいたものが堰を切ったようにあふれ出した。「あと50枚作って,って言われると,うれしいなあっていう自分が……これも描きたいこういうのもやってみたい,と次から次へとわいて来るんですね。」

    最初は単に蚊帳地をタペストリーやのれんにして絵を描いていた。そこから前述のように蚊帳地の持つ可能性に気付き,作品は立体的な領域へと胎動を始める。最近では,20年来の友人の舞踊家・宮崎祐子さんとともに,モダンダンスと蚊帳絵とのコラボレーション(共演)をするなど様々な発展が生まれつつある。

    パートメンバー(家族の全員が教会員ではない会員)として15年集い続けてきた濱田姉妹には,「パートメンバーの気持ちはよく分かります」という。友人の中には(ご主人の承認がないため)神殿で儀式を受けることができず,それでも神殿訪問に参加してロビーで待っている姉妹もおられるという。「わたしのエンダウメントと結び固めは孫がしてくれると信じています,とおっしゃるんです。」濱田姉妹も,福音の理想を求めて,家族に近づこうとするほど空回りし,かえってぎくしゃくするなど,パートメンバー特有の悩みは尽きない。ことに,思春期に入った子供たちの足が教会から遠のいたときは大きなショックを受けた。「わたし自身も離れてしまうかと思うくらいでした。」疲れた心に慰めを求め,宣教師たちに神権の祝福を施してもらう。その祝福の言葉を聞いて,いつか家族は一つになれる,子供たちは戻ってくるという希望が心に宿った。今はその希望の実現を「『心楽しく忍耐して』待ちたいと思います」と語る。

    ──神様に頼り,個人でその時々に精いっぱいのことをしながら信仰生活を歩んで来たという濱田姉妹。「もちろん神様の目からご覧になれば,いま完璧である必要もないし,わたしたちの大変さは後から報われていくんだろうなと思いますけど。……でもできない自分を卑下しないで,できる自分というところを大切にしてゆけば,神様が必ず時期を与えてくださると,今,感じています。わたしの1年前の自分が1年後にこうなるっていうのは想像もしていなかったんですね。」かつて祝福師の祝福を受けたとき,創作の才能を通じて現世で多くの人と喜びを共にする,と告げられた。神様から頂いた祝福を,濱田姉妹は今,改めて実感している。

    秋野不矩画伯も,6人の子育てを終えた50代でインドへ行き(新境地を得)ました,と濱田姉妹は言う。「すべてのわざには時がある。」(伝道の書3:1)──人生のどんな境遇,どんな時期にあってもできることはあり,やがて主が時を与えてくださると,濱田姉妹は身をもって知っている。◆