リアホナ 2006年4月号この町に末日聖徒12  主の創造された花の姿に真理を学ぶ

    この町に末日聖徒12  主の創造された花の姿に真理を学ぶ

    ──長崎で最初の改宗者~長崎地方部長崎支部大平八紘兄弟──

    忘れもしない1966年2月2日,今からちょうど40年前のことである。24歳の大平八紘青年は仕事の合間に3時間ほど時間ができたので,長崎県美術館で開かれていた写真展を見に行こうとバスに乗った。そこへ二人の青年が乗って来る。「わたしの隣に空席があったんですけれど,一人の外国人が来られて,『ここに座ってもいいですか』って言われたんです。どうぞって言ったら,座ってすぐに言った言葉が,『あなたは神様を信じていますか』……『信じてます』って言ったら彼が畳み掛けて,『じゃあ神様はどんな姿をしていますか?』わたしはそれまで神様の姿について一度も考えたことがなかったんです。そうしたら『ジョセフ・スミスの見神録』というパンフレットを下さって。」大平青年の人生を変えた出会いは,そんなふうにさりげなく始まった。

    早くから人生の目的について悩んでいた大平青年は,小中学生のときは仏教のお寺に通い,高校からはカトリック教会で学んでいた。聖書の言葉はすばらしいと感銘を受けていたものの,カトリックの教義には納得できないところもあり,洗礼は受けないでいた。1965年の12月,「神は死んだ」という哲学者ニーチェの言葉に触れた大平青年は,「神様がいらっしゃらないんだったら,もういつ死んでもいい」と思った。ただ親より先に死ぬことはいけないと感じた。そうした矢先に彼らと出会ったのだった。

    名刺には「ジョージ・M・マッキューン長老」と書かれている。同僚は磯村長老という日本人宣教師だった。若いのに長老? と疑問に感じたものの,彼らが観光をしていると思った大平青年は,美術館に行くのをやめて案内役を買って出た。大浦天主堂,グラバー園,眼鏡橋……と長崎の名所を回り,最後に老舗の鼈甲店に連れて行った。真冬だったので,お店の人はすぐにコーヒーを出してくれる。ところがマッキューン長老も磯村長老も「わたしは結構です」と手を付けない。大平青年が「わたしも結構です」と断るとマッキューン長老は言う。「あなたは飲んでもいいんですよ」──「それはどういうこと? って思いました。」

    そうこうするうちに仕事の時間が迫ってきた。たくさんの疑問符を残しながらも,大平青年は請われるままに住所を教え,二人と別れた。

    「その晩,帰宅したわたしはマッキューン長老からもらった『ジョセフ・スミスの見神録』というパンフレットをすぐ読んだんです。もうその日に,ああ,これは真理だと分かったんです。でも,長崎には(まだ)教会がない。」大平青年は,カトリックに納得できなか

    ったのは預言者がいなかったからだと気づいた。

    実はその二人の宣教師は伝道部長の命を受け,九州各地で伝道所を開設する場所を決めるため視察に来ていたのだった。後に,「あなたに親切にしていただいた男より」と記した手紙が届き,大平青年はマッキューン長老に返事を書いて,また先方から……そんなふうにして文通がはじまった。やがて1966年11月,すでにアメリカへ帰還していたマッキューン兄弟から,長崎に伝道所が開設されることになったとの知らせが届く。11月28日,繁華街でバスを降りようとしていたときに二人の宣教師,フィルモア長老とヒル長老を見かけた大平青年は走って彼らを追いかけた。──そうして翌1967年1月4日,大平兄弟は長崎で最初の改宗者となったのである。

    一輪の花に世界を見る

    改宗して間もなく,大平兄弟は仕事のうえでも一つの転機を迎える。華道師範の免許を得て独り立ちしたのである。

    もともと大平兄弟の父親は華道の師匠であり,大平家の9人きょうだいはずらりと並んで父親からお花の手ほどきを受けた。上から5番目で長男であった大平兄弟は,10歳のころから習い始め,20歳にはお花を教える父親の手伝いを始めていた。「親の仕事を継ぐのは当たり前,生け花をすることに抵抗はないんですけど,世襲というのがわたしはすごく嫌で。」華道の世界で跡を継ぐとは,しばしば雅号を襲名することを意味する。しかし大平兄弟は独自に免許を得て,本名の八紘(はつひろ)を音読みした「大平八紘(はっこう)」の雅号をもって独立する。「わたしはこの八紘というのが大好きなんですよ。」──日本書紀に由来する八紘一宇という言葉がある。八紘とは天の下すなわち世界を意味し,一宇とは一つの家の意である。福千年には,イエス・キリストのもとに世界は一つになると預言されている。「その八紘一宇を(戦前の)日本人は,人の手でしようとしたわけですよね,そこに問題がありました。」

    「芸術の分野というのはみんなそうかもしれませんけれど,(言葉で)教えられる部分というのはそんなにたくさんはないんじゃないですか? そういう意味ではわたしは,(伝統文化で)いちばん難しいのが生け花ではないかなあと思うんですよ。というのは,花一輪だけでも存在感がありますし,それだけでも神様の創造されたものとしてすごく綺麗ですよね,それを人間が手を加えてさらに美しくしなければいけないというのはものすごい責任だと思うわけですよ。」

    花が体現する理想的な家庭

    「生け花をすることによってわたしは,人間の生き方をすごく学んだと思います。綺麗な花がいっぱいあるんですね,たとえば薔薇とか百合とか蘭とかというのは,それ一つずつ見ればすごく綺麗なんですけど,そのような花をみんな一緒に一つの鉢の中に入れてしまうと,さまにならないんですね。それぞれの主張が強すぎるわけです。ですから花を一つの鉢に生けるときには,ほんとうに表に出さなければならない花と,控えめに入れなければいけない花といろいろあるんですね。これは人間の生活も一緒だと思います。この人を引き立たせるためにわたしはこっちに控えましょう,と。そうしてお互いのいいところを生かさせる。

    教会の召しでも同じだと思います。副の人が長の人を押しのけて自分が前面に出ようとすると,決していい結果は生まれないと思います。」

    大平兄弟は花に向かうとき,その姿に理想的な組織や家庭の在り方を透かし見ているという。自由花,と呼ばれる生け方の場合,主・副・客の3つが基本となる。「主」は文字どおり主演となる花。「副」は「主」を助ける,いわば助演の花。「客」は「主」と相対する客演の花である。それぞれの花には向き(方向性)があり,「副」と「客」の向きは「主」へと向かい,「主」はそれぞれの動きを受けつつ天に向かっていくという。家庭においては「主」が夫であり,「副」が妻,「客」は子供たちとなる。妻と夫がしっかりと向き合い,子供たちも両親の方を向いて家庭を支え,神権者である夫は妻と協調しながら天の力を受ける。「夫と妻が向き合っていなければ決して家庭はうまくいかないわけですから。教会の会員になってからこういう考え方は生まれたと思いますね。ほかの先生たちはそういうことは教えないと思います」と,6人の子供の親である大平兄弟は笑う。

    「適材適所という言葉がよく使われますけど,一つ一つの枝をどこに使うかによって,生きもするし死にもするんですね。花が持ってる美しさをほかのものと合わせることによってもっと美しくすることが生け花芸術だとわたしは思っているんです。お弟子さんには『生ける』というより『生かす』ということを強調しています。」

    過日,大平兄弟は請われて福岡神殿に出かけた。神殿を飾るシルクフラワーを生けるためである。神殿部の兄弟が3日はかかると踏んでいた神殿中の花を,わずか5時間で生けてしまったという。「プロですから」大平兄弟はさらりと言う。その目は今日も主の創造物を生かすことに注がれている。◆