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ソルトレーク・シティー発 2010年7月22 日:1847年から1869年にかけてユタの山岳地帯に移住した8万人の開拓者はその旅に数か月を要したのに比べ,現代の開拓者がフランスから大西洋を越 えてソルトレーク・シティーに到着するまでにかかった時間はわずか8時間だった。この夏,末日聖徒イエス・キリスト教会の2世会員 ローラ(15歳)は英語学習のために母国フランスからユタに到着したのだが,思いがけず,ユタにおける初期の移民が経験した困難な旅を記念して4日間にわ たって行われた,開拓者の旅という青少年の活動に参加することとなった。
高校の2,300人の在校生中唯一の会員という点では,このフランス人少女も,母国においては宗教的開拓者だといっても過言ではないだろう。しかし,ソルトレーク・シティーの険しい山地で行われた活動に参加した彼女は,違いに気づいた。「フランスから移住した昔の開拓者に比べると,わたしの旅なんてほんとうにあっという間でした」とローラは言う。
開拓者の旅 を再現する際,彼女は岩だらけで険しい坂を約30マイル(48キロ)にわたって歩き続けた。ローラは開拓者の衣装に身を包み,ブリキの皿を使って食べ,地面の上で 眠った。「フランスではこんな経験はできなかったと思います」と彼女は説明する。「フランスでは毎年若い女性のキャンプがありますが,この旅では開拓者のような気持ちになれます。強くならなければならなかったし,働かなければなりませんでした。わたしたちには食べ物がありましたが,開拓者にはわずかな食糧 しかありませんでした。疲れましたが,とてもすばらしい経験でした。」
1800年代半ばの歴史に残る開拓者の旅を記念し,毎年7月24日に教会中で記念行事 が行われる。パレード,ピクニック,劇と音楽からなるページェン ト,実際の旅の再現などを通し,老いも若きも,バプテスマを受けたばかりの新会員も古い会員も,あらためて教会初期の開拓者の受け継ぎに敬意と感謝を示すのである。
1869年に鉄道が開通するまで20年間にわたって,教会 の初期の会員たちは350以上の幌馬車隊と10の手車隊に分かれて当時のユタ 準州へと旅をした。教会員の一団はニューヨーク,オハイオ,ミズーリ,イリノイと何度か移り住んだ後,ブリガム・ヤングの指揮の下,西部地域に400以上の定住地を開いた。開拓者の旅にまつわる体験談は教会歴史部のオンライン図書館で閲覧できる。
1970年代初頭,ローラの祖母と母のテレース(当時10歳)が改宗したときはフランスに おけるモルモン教徒の人口は少なかった。「当時,フランス中央部に教会の支部が散らばっている状態で,ステークは組織されていません でした。ステークになることがわたしたちの夢でした」と当時専任宣教師として奉仕したリード・ロビンソンは説明する。「ローラの家族はフランスの開拓者一 世です。」
ローラはこう説明する。「友人は教会のことが分かりません。でも今は,片道1時間 半かけてステークの会合に集うとき,わたしには友人が大勢いるのだと感じます。神殿参入には10時間以上かけてフランクフルトまで行きます。」
十二使徒定 員会のM・ラッセル・バラード長老は2010年1月に行われた世界中の青少年に向けた説教の中で次のように話している。「いろいろな意味で皆さんは開拓者 です。……昔の開拓者との違いは皆さんの旅で直面する状況が新しく,困難なものであることです。皆さん一人一人は個人的な問題を抱え,永遠の命 に向かう開拓者の旅路にあります。自分が一人ではないことを決して忘れてはなりません。世界中の教会の青少年が皆さんとともに福音の道を歩んでいるので す。」
ローラはフランスにおける孤独な開拓者の旅路を知っているけれども,今では,昔何千人もの人々が同じような道をたどり,中には乏しい食糧を持って岩だらけの,暑くほこりっぽい道を歩き続け,命まで落とした人々もいたことを理解している。「わたしは自分もあの旅をした開拓者の一人のように感じています。時々,フランスでの自分の生活は大変すぎると考えることがありますが,でも今分かったのです。わたしにはできると。」
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