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地域福祉部は,地元の指導者と教会員が霊的福利(自分自身を霊的に強めようとするあらゆること)と物質的福祉(貧しい人を助けることと自立すること)にかかわる原則を理解し,生活に取り入れることができるように支援します。このコーナーを通して,霊的な話や経験,また時にはアイデアや参考資料を皆さんに提供いたします。
イエス・キリストに対する信仰による福利
霊的な福利の第一原則はイエス・キリストに対する信仰です。
エジプトに売られたヨセフは信仰のすばらしい模範です。兄弟に憎まれ,奴隷として売られ,高い地位まであげられたと思うとまた忘れられた存在となりましたが,ヨセフはイエス・キリストが自分を愛し,ともにおられることを一度も忘れることがありませんでした。
30歳になったヨセフは,パロの前に連れ出され,二つの夢を解き明かすように言われました。ヨセフは信仰を表し,こう答えました。「いいえ,わたしではありません。神がパロに平安をお告げになりましょう。」そのとおりになりました。ヨセフはパロの夢を解き明かし,7年間の飢饉ききんに備えるためにエジプトのすべてを任されました。
記録によると,「地は豊かに物を産した」とあります。皆さんも豊かに祝福されたことがありませんか。そのときヨセフはどうしましたか。人々は立派な建物や家を建てたわけでも,盛大な祭りや食事会をしたのでもありません。そのとき民がしたのは,食料を集め,またそれを貯蓄するための倉庫を建てることでした。まもなくやって来る飢饉に備えたのです。皆さんが豊かに祝福されるときはどうしているでしょうか。
ヨセフの信仰,倹約,ビジョンの模範はわたしたちにとって自分自身が受けている祝福を思うときに励みになります。またその祝福を使って今日「飲み食いし,楽しみなさい」の精神に従うのではなく,常に霊的にも物質的にも自立し,いつでもいかなる形であっても,主に仕えることができるように将来に備えるべきと励ましています。◆(『リアホナ』,2006年7月号,ローカル・ニュース)
儀式による福利
霊的な福利の原則の一つは,「神殿の儀式を含め,救いに関する福音の儀式を受け,バプテスマの聖約を新たにするために毎週聖餐せいさんを取る」ことです(『教会指導手引き第2部』 ,257)。
『真理を守る』にはこう記されています。「儀式と聖約は自分が何者なのかを思い出させてくれます。神への務めを思い起こさせてくれます。主はわたしたちが御自分のもとに来て永遠の命を受けられるように,これらの儀式と聖約を与えてくださいました。それらを尊ぶときに,主はわたしたちを強めてくださいます。」(『真理を守る』46)
ジョセフ・スミスは,モルモン書を金版から翻訳しているときに救いに関する儀式の大切さについて知りました。彼はこう述べています。「わたしたちは,罪の赦ゆるしのためのバプテスマに関して主に祈って伺うために,森の中に入って行った。」するとバプテスマのヨハネが「光の雲の中を降くだって来られた」のです。バプテスマのヨハネは,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにアロン神権を授けました。その後,二人は互いにバプテスマの儀式を施しました(ジョセフ・スミス-歴史1:68)。後に,メルキゼデク神権が回復され,そしてついに神殿の儀式も回復されました。完全な福音が再び地上に存在するようになりました。
信仰箇条第3条で,預言者ジョセフは,儀式を受け,それらを守ることの永遠の重要性について強調しました。「わたしたちは,キリストの贖罪により,全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救われ得ると信じる。」
実に,「……神から祝福を受けるときは,それが基づく律法に従うことによるのである。」(教義と聖約130:21)◆(『リアホナ』,2006年8月号,ローカル・ニュース)
祈りと聖文による福利
霊的な福利の原則の一つは,「毎日祈り,聖典の中のイエス・キリストの福音と末日の預言者の教えを研究する。」(教会指導手引き,257)です。
イエス・キリストは言葉と模範を通して弟子に祈りの方法を教えられました。聖書の著者は,主が山に登り,祈られたことに関して頻繁に記録しています。その中でも最も神聖と言っても過言でない祈りはヨハネ17章に記されています。これは,主が捕らえられ,十字架にかけられる前にゲツセマネの園でささげられた祈りです。これは「とりなしの祈り」として知られています。
主は,聖典の研究についても教えられました。アメリカ大陸にいる民に次のように教えられました。「あなたがたはこれらのことを調べなさい。まことにわたしは,これらのことを熱心に調べるようにという戒めを,あなたがたに与える。」(第3ニーファイ 23:1)「預言者の書を調べなさい。これらのことについて,証あかししている預言者が多いからである。」(第3ニーファイ23:5)
信仰の祈りや熱心な聖典研究を通して,わたしたちは,力や知恵を得ることができます。レーマン人の中での14年間の伝道を終えようとしていたモーサヤの息子にアルマが出会ったとき,アルマは,「ひとかたならず喜んだ」のです。その理由は,「神の言葉を知るために聖文を熱心に調べてきたので,すでに真理を深く知るようになっていた。そればかりではない。彼らはしばしば祈り,また断食もした……」(アルマ17:2-3)
救い主や預言者から学んだように,わたしたちも祈りと聖典研究の原則を生活に取り入れ,教えましょう。◆(『リアホナ』2006年12月号,ローカル・ニュース)
天の御父の戒めによる福利
霊的な福利の原則の一つは,「純潔の律法,什分の一,正直などの神の律法を守り,教会指導者の勧告に従う」(教会指導手引き第2部,257)ことです。
「人がこの地球に住んでいる理由の一つ,それは天の御父の戒めに自分が喜んで従うことを示すためです。」
「戒めは重荷であり,自由と個人的成長を制限するものだと感じている人が大勢います。しかし,救い主の教えによれば,真の自由は救い主に従うことによってのみ得られるものです。『もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら,あなたがたは,ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は,あなたがたに自由を得させるであろう。』(ヨハネ 8:31-32)神はわたしたちの益となるように戒めを与えられました。戒めは人に幸福と肉体的かつ霊的福利をもたらす愛に満ちた指示なのです。」
「戒めに対する従順は天の御父とイエス・キリストへの愛の表れです。」(『真理を守る』92-93)
主は従順に関して最良の模範でした。預言者ニーファイはイエス・キリストについて次のように記録しています。「あなたがたは小羊が聖きよくあられたことを知らないのか。しかし小羊は,聖いにもかかわらず,肉においては御父の前にへりくだることを人の子らに示される。そして,御父の戒めを守ることについて御父に従順であることを,御父に証明されるのである。」(ニーファイ第二書31:7)パウロは主についてこう述べています。「彼は御子であられたにもかかわらず,さまざまの苦しみによって従順を学〔んだのである〕。」(ヘブル人への手紙5:8)救い主はこう語っておられます。「わたしをつかわされたかたは,わたしと一緒におられる。わたしは,いつも神のみこころにかなうことをしているから,わたしをひとり置きざりになさることはない。」(ヨハネ8:29)
わたしたちも主の御心にかなおうとして前進することができますように。また,信仰や苦しみ,そして日々受ける祝福を通して従順を学ぶことができますように。◆(『リアホナ』2007年1月号,ローカル・ニュース)
愛し,仕えることによる福利
霊的な福利の原則の一つは,「神を愛し,『キリストの純粋な愛』をもって人々を愛し,奉仕する(モロナイ7:47)」(『教会指導手引き 第2部』,257)ことです。
「先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか」と尋ねられたとき,救い主はこう答えられました。「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な,第一のいましめである。第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」(マタイ22:36-39)ヨハネによる福音書第14章15節で主は,わたしたちが主を愛するならばどのような生活をするかについて教えられました。「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」したがって,神様,イエス・キリスト,自分自身,隣人─友人も敵も含めて─を愛することはわたしたちが守るべき戒めなのです。
イエス・キリストは,愛と奉仕の模範です。最初に行った奇跡から始まり,主は,一度も自分自身のために何かをしたということはありません。家族,弟子,また友人に仕えました。主は義人に対しても罪人に対しても親切で愛を示しました。自分に好意的であった人にも自分に害をもたらした人にも善い行いをしました。救い主は,言葉によってまた行いを通して愛と奉仕について教えられました。
わたしたちがだれにどのように愛を示し,奉仕を行おうかと考えるとき,『真理を守る』(小冊子)の中から導きを得ることができます。「わたしたちは天の御父への愛を示すために,御父の戒めを守り,御父の子供たちに奉仕します。隣人に対する愛の表現としては,隣人に親切にし,彼らの話に耳を傾け,ともに泣き,慰めを与え,奉仕し,祈り,福音を分かち合い,友人になることなどを挙げることができます。」(『真理を守る』,3)
わたしたちが常に愛を示し奉仕する機会を捜し求めることができますように。主が与えられた勧告に従うことによって,イエス・キリストの弟子になることができますように。「わたしは,新しいいましめをあなたがたに与える。わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば,それによって,あなたがたがわたしの弟子であることを,すべての者が認めるであろう。」(ヨハネ13:34-35)◆(『リアホナ』2007年2月号,ローカル・ニュース)
家族の基本原則を行うことによる福利
霊的な福利の原則の一つは,「ともに祈り,聖文を研究し,互いに愛し合い,助け合うことによって,家族を強める」ことです(教会指導手引き,257)。
生ける預言者たちは家族の永遠の行く末を強調しました。『家族──世界への宣言』で彼らは声を一つにしてこう述べています。「わたしたち,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会と十二使徒評議会は,男女の間の結婚は神によって定められたものであり,家族は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画の中心を成すものであることを,厳粛に宣言します。」
「神の幸福の計画は,家族関係が墓を超えて続くことを可能にしました。聖なる神殿において得られる神聖な儀式と聖約は,わたしたちが個人として神のみもとに帰り,また家族として永遠に一つとなることを可能にするのです。」
「両親には,愛と義をもって子供たちを育て,物質的にも霊的にも必要なものを与え,また互いに愛し合い仕え合い,神の戒めを守り,どこにいても法律を守る市民となるように教えるという神聖な義務があります。」
「家庭生活における幸福は,主イエス・キリストの教えに基づいた生活を送るときに達成されるに違いありません。実りある結婚と家庭は,信仰と祈り,悔い改め,赦し,尊敬,愛,思いやり,労働,健全な娯楽活動の原則にのっとって確立され,維持されます。」
家族の祈り,家族の聖典学習,家族の中で互いに愛し合い,助け合う,などのような基本原則を行うことによって,わたしたちは,現代の預言者が約束している,永遠に続く家庭を築くことができます。◆(『リアホナ』2007年3月号,ローカル・ニュース)
教会に集うことによる福利
霊的な福利の原則の一つは,「教会の集会に出席し,教会の召しや割り当てを受けて奉仕する」ことです(『教会指導手引き第2部』,257)。
イエス・キリストの教会がゼラヘムラの地に築かれたとき,「神の子たちは,しばしば集まって,神を知らない者たちの幸いのためにともに断食し,熱烈に祈るように命じられ」ました。(アルマ6:6)この聖句には,当時の民がしたのは「何か」(しばしば集まって)ということだけではなく,「なぜ」(神を知らない者たちの幸いのためにともに断食し,熱烈に祈る)それを行ったかということも述べられています。
現在,わたしたちもしばしば集まるように教えられています。上記の原則の前半です。わたしたちが毎週日曜日,教会の集会に出席すると,他の兄弟姉妹の友情を受け,聖餐を受け,罪の赦しを受け,そこに集って話を聞き,瞑想し,祈るときに御霊を受け,イエス・キリストの教えを受けることができます。これらは,教会の集会に出席する幾つかの理由です。
ある説教で,パウロは救い主の次の教えを伝えられました。「わたしは,あなたがたもこのように働いて,弱い者を助けなければならないこと,また『受けるよりは与える方が,さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを,万事について教え示したのである。」(使徒行伝20:35)わたしたちがビショップより召しや割り当てを受けるとき,わたしたちは弱い者を助けるために働き,自らをささげることができます。このようにして,「説く者と受ける者が互いに理解し合い,両者ともに教化されて,ともに喜ぶので」す。(教義と聖約50:22)こうして,わたしたちが教会の集会に出席するときに,多くのことを受けると同時に自ら人に与えることもできるようになります。教会の集会に集い,主に仕え,愛する兄弟姉妹に仕えるとき,わたしたちも教化されますように。◆(『リアホナ』,2007年4月号,ローカル・ニュース)
福音を分かち合うことによる福利
霊的な福利の原則の一つは,「友人や親類に福音を紹介する」ことです(『教会指導手引き第2部』,257)。
わたしたちは,福音を分かち合うことと霊的な福利を結びつけることがありますか。わたしたちは,どのように福音を分かち合っていますか? 管理ビショップリック第二顧問のキース・B・マクマリンビショップは,日本を訪問した際に,興味深い言葉を残しました。「日々の生活の中で,福音を教えてください。そして御霊の促しを感じたとき,口を開いてください。」この言葉は,次のヒンクレー大管長の教会員への勧告を読むと,より理解しやすくなります。「わたしたちが携えることのできる最も効果的なちらしは,わたしたち自身が善良な生活を送ることです。この業に携わっていると,わたしたちの生活は改善されます。なぜならば,わたしたちが真理に導こうとしている人々の進歩の妨げになるようなことを行ったり,言ったりしないように注意するようになるからです。」(ゴードン・ B・ヒンクレー,「子羊を見いだし,羊を養う」『リアホナ』1999年7月号,123)
福音を分かち合うことに関して,十二使徒定員会のホランド長老は次のように述べました。「主がそのような人を皆さんの目の届くところに連れて来られたら,気軽に話してくださるようにお願いします。どんな話題でもいいのです。必ずうまくいきます。福音のメッセージを暗記しておく必要などありません。皆さんの信仰や幸せそうな表情は,正直な人々の心を十分引き付けます。おばあさんたちはいつでも孫のことを話したがらないでしょうか? そのように福音について話してもらいたいのです。もちろん,孫の写真は必要ありませんが。福音とは自然ににじみ出て来るものであり,自分の内に隠しておくことなどできないものなのです。」(ジェフリー・R・ホランド,「わたしの証人」『リアホナ』2001年7月号,16参照)
人生が困難に思える時でも,誠実かつ謙遜に福音を生き,幸せで,心を喜びで満たし,天のお父様が与えてくださる数々のすばらしい物事や,御子イエス・キリストがわたしたちのために成し遂げてくださったことを常に心に留め,そして御霊に導かれた時に口を開くこと──これが,わたしたちだれもができる,福音を分かち合う方法です。これを通して,平安と喜び,また,霊的な福利をも見いだすことができるでしょう。◆(『リアホナ』,2007年10月号,ローカル・ニュース)
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