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わたしはおもにメリーランド州で育ちました。母がクリスチャン・サイエンスの信者で,父が長老派のあまり熱心でない会員だったため,わたしと弟はクリスチャン・サイエンスの教えに従って育てられました。キリスト教の中で,クリスチャン・サイエンスと末日聖徒イエス・キリスト教会ほど大きく異なる教会はありません。ユタ州立大学の学部生だったとき,幼少期から親しんできた宗教について強い疑問を抱くようになりました。それまで,クリスチャン・サイエンスの中で癒しなどの肯定的な経験を目にしてきたにもかかわらず,疑問を感じるようになったのです。その宗教の基本的な原則について葛藤や疑問を解決しないまま,わたしは自分の名前をその教会の名簿から削除してもらいました。そのように信仰を失ったわたしは,宗教的に非常に不安定な状態に陥ることになりました。
大学の4期生のとき,アンという,親切で魅力的な女子大生に出会いました。2年後,わたしたちは結婚し,わたしが大学院に進むのを契機にウィスコンシン州に移りました。アンは,末日聖徒の家庭に生まれ育った活発な会員でした。アンが教会員でない人物と結婚したことで,彼女の両親はがっかりしました。彼女は,わたしが教会に入ることを信じて疑いませんでした。わたしが科学的研究に深く関わっていたのを知っていた彼女は,そっとモルモン書にまつわる証拠に目を向けさせるようにしてくれました。おもにFARMS(訳注:Foundation for Ancient Research and Mormon Studies)の記事や,『砂漠のリーハイ』(Lihi in the Desert)などの本でした。わたしは進んで読み,「なるほど,興味深いね」と感想を言ったものです。しかし,目に見えては何も変わりませんでした。そういう状態が何年も続きました。
ウィスコンシン大学から博士号を授与された後も,一度信仰を失ったわたしは信仰についての不安を払拭できずにいました。わたしたちは人口の95パーセントが仏教徒のタイに住むことになりました。タイでの友人や同僚は仏教徒で,自分の宗教の教えに従えば,涅槃に達することが可能であると信じ,この世にあって実際に仏教によって心の平安と充足を得,良い道徳的規範に従って生活していました。タイの後は,コロンビアに移り住みました。コロンビアはラテンアメリカで最もローマカトリック教の信者の多い国です。コロンビアでの友人や同僚は大半がカトリック教徒で,その宗教の教えに従えば,煉獄から解放され天国に行けると信じていました。そして,カトリックの信仰により,癒しなどの祝福も受けていました。ですから,わたしは非常に異なった宗教に触れる機会を得,それらはどれも明らかに肯定的な結果や祝福をもたらしていたのです。
末日聖徒イエス・キリスト教会については早くから高く評価していたので,アンが教会に行くことや,二人の娘を教会の教えに従って育てることに反対する気持ちは毛頭ありませんでした。教会のおかげで,娘たちは児童期も青年期も無事に乗り切ることができたと思います。アンはモルモン書に関する証拠を説明する読み物を度々わたしにくれましたが,一度信仰を失い,非常に異なる様々な宗教が友人の生活の中で機能しているのを目にしていたことで,わたしは特定の宗教が信念と決意の基盤となるという考えに疑いを抱いていました。モルモン書と教会が真実であるという,心から湧き上がるような圧倒的な感覚を経験することができないでいたのです。その数年前,それまで宗教にそれほど関心がなかった友人が特別な経験をしました。彼は,二人の宣教師が自分の家に近づいている様子を見た瞬間に彼らの教会が真実であることを確信したのです。しかも,彼らが家の中に入ってきた瞬間に,彼らから何の教えも聞いていないのに,彼らの話を聞いてバプテスマの水に入りたいと思ったのです。わたしたちがコロンビアから里子に迎えた息子はカトリックとして育ったのに,初めて教会について説明されたとき,それが真実であるとはっきり知りました。わたしは自分も同じような気持ちを経験することを期待していましたが,そのような経験をすることはありませんでした。
アンはモルモン書の正当性を示す証拠となる様々な記事をわたしに手渡し,それらについて話し合いを続けました。少しずつ,わたしはモルモン書が真実かもしれないと思い始めていました。最終的に彼女が手渡してくれたのが,モルモン書の語句形態素分析についての記事でした。モルモン書が複数の著者の手になるものであることを強く証明するものでした。それは,取りも直さず,ジョセフ・スミス・ジュニアは天才で,すべてをでっち上げたのだという主張を否定することを意味します。そこで,わたしは友人に相談しようと決心しました。その友人は生涯活発な教会員であり,著名な生物科学者でした。わたしと会うことに同意した彼は,二人の宣教師を伴ってやって来ました。わたしは前にも宣教師の話を聞いたことがありましたが,その当時は宣教師と気持ちが通じませんでした。今回,一度宣教師が約束に来られなかったとき,友人は一人で来てくれました。そこでわたしは,先の友人や息子が受けたような,教会が真実であると確信させてくれる経験をしたことがないのだと話したのです。すると彼は大切なことを話してくれました――福音と教会が真実であるという証を得る方法は様々あるのだと,話してくれたのです。友人や息子と同じ経験を期待すべきではないし,知的な方法で信仰と証に導かれることもあると言うのです。重要なのは,いずれの方法も到達するところは同じであり,モルモン書と教会が真実であるという確信が得られるということだということでした。優れた生物科学者であることと信仰深い末日聖徒であることは両立可能なのだと彼は言いました。
わたしの経験から宣教師が学べる教訓が一つあると思います。宣教師のレッスンは以前にも受けたことがありました。40年前には,二人の姉妹宣教師が教えに来てくれました。わたしは二人に,フランネル張りのボードとお決まりのアプローチは忘れて,自分たちが何を信じているのか,それを信じる理由はなぜか話してほしいと頼みました。彼女たちはそのチャレンジによくこたえ,わたしに進歩が見られるようになったとき,二人は別の地域に転任してしまいました。代わりに来た長老たちはそのような形のレッスンをすることができず,話し合いは進展しませんでした。それから43年後,科学者の友人の説明により,信仰とは何かについて,また信仰を得るには様々な方法があるということについての疑問が解決し,わたしは9年前にバプテスマを受けることができました。宣教師の役に立つ教訓を,次のように言うことができるでしょう。40年前の宣教師は,MTC(宣教師訓練センター)で学んだ後で伝道地に赴く現在の宣教師ほどよく訓練されていなかったという印象があります。今日の宣教師はよく訓練されてはいますが,求道者の背景,興味,価値観に合うようにメッセージを伝える必要があります。だれにも合う単一のアプローチなど存在しないのですから,宣教師は敏感になり,どのようなことが求道者の心の琴線に触れるのか分かるようでなければなりません。
わたしの改宗談からすべての教会員が学べる教訓がもう二つあります。一つは,教会に対するアンの揺るぎない決意と,教会から与えられる責任に対する献身です。それらは,わたしにとって変わることのない模範であり,彼女が教会とその教えを心から信じ,その教えに従って行動していることが分かりました。わたしたちの家族や周囲の人々は,わたしたちの行動と模範によって教会の正当性を判断します。好むと好まざるとにかかわらず,わたしたちは皆,宣教師なのであり,行動は言葉より雄弁です。もう一つは,アンは結婚した当初から,わたしが教会は真実であるという結論に達して改宗するよう常に祈り続けたことです。それはついに実現しましたが,ずいぶん時間がかかりました。このことから,祈りはこたえられるけれども,望んだ速度でこたえられるとは限らないということです。確かに,妻はわたしが43年後でなく,43か月後に改宗する方を望んだだろうと思いますが,祈りの答えは妻の暦でなく,主の暦に応じて与えられたのです。わたしたちは彼女の祈りが適切な時期に答えられたことに感謝しています。
イエス・キリストの御名により,アーメン。
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トム・ユールはウィスコンシン大学病理生物学および野生生物生態学の名誉教授で,8年前に退官して以来,妻のアンとユタ州メイプルトン在住。教師およい研究者としてウィスコンシン大教授として33年間奉職し,内10年間は動物医学部研究担当副部長を,さらに10年間はネルソン環境問題研究所教授兼所長を務めた。
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