日本の教会歴史概要

日本での教会歴史を振り返ってみると,伝道が開始されるよりもかなり以前から, 主は日本の地と人々を備えられたことが分かる。

187112月,明治政府は岩倉具視を特命全権大使として,欧米に使節団を派遣した。その中に後の初代総理大臣・伊藤博文が同行していた。翌年の18721月に使節団はサンフランシスコに到着し,東部に向かう途中,ロッキー山脈で大雪のため, ソルトレークで予定以上の滞在を余儀なくされた。使節団の一行はブリガム・ヤング大管長をはじめとする教会幹部に面会し,多くの教会施設を見学して親睦を深めた。

188512月に日本は内閣制に移行し,伊藤博文が初代の内閣総理大臣に就いた。

1889211日,伊藤博文が中心となって起草した大日本帝国憲法が発布され,それまでの長年にわたるキリシタン禁制が解かれ,信教の自由がうたわれた。

19012月にロレンゾ・スノー大管長は,日本における伝道開始を発表し,最初の伝道部長として十二使徒のヒーバー・J・グラントが任命された。

1901812日,グラント長老以下4人の宣教師は横浜に上陸,91日の安息日に,横浜市山手にある丘の木立の中で,福音が宣べ伝えられる地として日本を正式に奉献した。伝道の初期は日本語の資料や聖典がなかったため,改宗者を多くは見いだせなかったが,パンフレット,賛美歌,モルモン書などが少しずつ翻訳されていった。その中で最初の宣教師であったアルマ・O・テーラーは,3代目の伝道部長を務めるかたわら,モルモン書の翻訳に携わり,19096月にその大事業を完成させた。実に9年近く 日本に滞在し,あらゆる努力と心血を注ぎ,日本のために青春をささげたのであった。

やがて戦争の危険が迫り,1924626日ヒーバー・J・グラント大管長の指令が出され,8月には  全宣教師が日本から引き揚げ,日本伝道部が閉鎖された。

1935年ハワイに日系人支部が組織され,続けて1937年にはハワイに日本人伝道部が開かれ,将来日本での伝道に備える指導者育成の道が神の計らいにより与えられた。1941127日に太平洋戦争が勃発し,1945815日に終戦を迎えた。

1948年に日本伝道部が再開され,1951年には早くも日本人初の専任宣教師が召された。

1956年ごろから日本各地で教会堂用地を購入開始。勤労奉仕の若い建築宣教師により建てられ,1964426日に東京の中野で日本最初の教会堂が,ゴードン・B・ヒンクレー十二使徒により奉献された。

1965年にはハワイ神殿団体参入,1970年には日本最初の東京ステーク組織,19801027日には東京神殿が,そして2000611日には福岡神殿が奉献され,200910月には札幌神殿の建設が発表され現在建設が始まっている。

たった4人の宣教師によって日本に伝道が開始されてから110余年,今や日本全国に7伝道部,29ステーク,13地方部,270以上のユニットが組織され,末日聖徒イエス・キリスト教会は大きく発展を遂げた。

1998年,十二使徒のヘンリー・B・アイリングは,若い宣教師たちに,日本の教会の将来の姿について次のような予測を話している。

「わたしには,主が日本において,教会を劇的な方法でお建てになり,発展へと導かれるという証が あります。……皆さんの子供たちはイエス・キリストについて証することを恥ずかしく感じることの ない学校や地域社会で育ちます。彼らは自分たちが末日聖徒であることを,一緒に学校に行く友達や,また先生にまで喜んで伝えるでしょう。……日本の教会員が教会に属していることを,また宣教師から福音を学ぶよう人々に勧めることを喜びとする日が来ます。」

日本の教会は次の100年に向けて,さらに大きく発展を迎えることでしょう。

 

                              2013.10.1